2010年12月27日月曜日

師走二十七日

忙しい忙しいと言いながら、GamersgateでVictoria2が半額セールをやっていたので、買ってきた。
当然英語版であり、何から何まで手探りになるわけだが、まぁそれは良い。
パラドの最近作の例に漏れず、EU3エンジンを用いており、僕のPCではそろそろキツイ。まぁ、あまり長時間ゲームをするのでなければ、話にならないというほどではない。

現在、1.2パッチなので、まだバランスが良くない。
ブラジルでやってみたのだが、20世紀に入ったあたりで叛乱祭になってしまう。

このゲームの売りは「近代化」に尽きるのだが、これは農民が工場へ吸い上げられる過程をも含んでいる。で、工員や技術者といった都市民は、自由化を求めるわけである。
つまり、保守的な農民が自由化していくことにより、権威主義的な政体とは合致しない思想を持つ国民が増えていくわけである。
また、自由主義思想の変化として社会主義思想が生まれる。貧乏なままの自由主義者は社会主義に染まるらしい。具体的には工員のことだろう。
社会主義者は穏健な間は自由主義者と大差ないのだが、急進的になっていくと不満を強める。ついでにここから共産主義が生まれる。こやつらは政権転覆を起こすことしか考えない。

というわけで、近代化プレイを進めていくと、ゲームの最後の方は社会主義者やコミー共ばかりになる。政体は権威主義のままなので、そりゃ暴動も起きるだろう。
理屈はよく分かるのだが、解決の道が見えないのが困る。いやまぁ、実際ロシアをはじめとする結構な数の国が解決できないまま滅んでいった訳なのだが。
社会主義者をあまり多く生まない方法ってあるのかな。

今日は一日休みだったので、中国でやってみた。
ゲーム当初の中国は近代化を迎えていない状態なのだが、このゲームでは必要技術を開発してさえしまえば近代化できる。1836年開始で50年代には近代化を達成した。史実で言えば同治年間ぐらいか。洋務運動要らんがな。あるいは、1836年から洋務運動を行ったと考えればいいか。ちなみに嘉慶年間である。
この時代は清の国内矛盾が加速していった時代なのだが、アヘン戦争を含めて、この手の問題はゲームには反映されていない。EU3エンジンシリーズに共通するモチーフなのだが、イヴェントを多用せずに、世界史を再現ではなく再構築するというスタイルを取っているので、どうもそのあたり甘くなる。
おかげで1860年代には列強になった。おかしくね?
マンパワーがものすごいし、独裁国家なので、有り余る税収を用いて必要な工場を建てまくるだけで、スコアの一種である工業点が爆発的に貯まるためである。
簡単な技術で造れ、かつ世界経済が必要とする商品を、傾斜配分政策(資本の集中投入)で作りまくり売りまくり……。何時の時代の話だ?

ただし、あまりに輸出依存の経済を作ってしまったので、1880年に差し掛かることになると、世界市場でだぶつくと一気に経済破綻を起こしかねないという無茶苦茶な状態になった。西太后あたりが、内需なんて知りませんわとか言っているのだろう。
で、国内がガタガタになって失業者が溢れかえると、20年早く義和団の乱が起きた。具体的には中国ほぼ全土で叛乱発生。
やってられるか。
余談ながら、技術開発能力を上げるための文化関係技術と国力造成のための産業開発技術しか開発していなかったので、戦争すればヴェトナム相手でも負ける。というか、アフリカのソコトに勝てなかった。
まぁ、国境を接する国とは仲良くしていれば、多数の陸軍部隊を要している限り、簡単には攻め込まれないので、さほど問題ない。もし戦争になったら、アヘン戦争や日清戦争を再現することは間違いないところである。

中国もだいたい分かったので、次は本命のプロイセンあたりで試してみようかな。


『清塩法志』の作業はとりあえず完了した。手持ちの資料で出来る範囲という意味である。
一部の行塩区の塩引数データや、ほとんどの行塩区における塩引一道あたりの塩斤数に関する情報については、まだコピーを取っていない。また人文研に行かないとなぁ。

現時点で、清代中期の地方志から得られた同時期の塩引数と、『清塩法志』から得られた清末の塩引数が、中国主要部について得られている。
次に行う作業は両者の比較である。以前の論文で調べた広東・広西や先日チェックした江西などでは、両者はほぼ一致する。
他の地域でも同じ結果が得られるのであれば、そして塩引一道あたりの塩斤数に大きな変動が見られないのであれば、清代中期から後期にかけての人口増大は、私塩によって賄われたのだと判断できる。
この時期の塩税収入についても調べなければならないが、両広の事例からすれば、かなり増えていることは間違いない。
つまりは、税収増の要求に対して、塩の供給増ではなく、税率の上昇で対応したわけであり、それが社会矛盾を増大させたのである。官塩が売れなくなるので、それを賄うためにも塩商人による私塩が激化したというわけである。

仮にそれが妥当であるとして、ここまでは広東についての研究の結論と同じである。
いやまぁ、多分ここまでで一本分の論文になりそうだが、本題はこの先になる。
明代はどうなのだろうか?
明代中期から後期にかけても同じ現象が見られたとするなら、これは中国近世史において、一般的な現象であると考えられる(宋代のことは、今は忘れることにする。理由は、僕は宋代について何の研究も行っていないこと、史料上の制限、そして明代後期から大量の銀が流入し、経済構造そのものが変化したと考えるためなのだが、まだ根拠を揃えて説明できない)。

近世中華帝国において、課税対象を財政需要に対して柔軟に拡大させることが出来なかったという僕の仮説は、もちろん塩政についての研究のみからでは立証不充分である。これをやるには財政そのものについての研究が必要となる。
これについては、岩井茂樹いう原額主義、つまり「経済の拡大に対応しない硬直的な正額収入と、社会の発展と国家機構の活動の拡大とにともなって増大する財政的必要とのあいだの不整合、およびこうした不整合を弥縫するための正額外財政の派生を必然的にともなう財政体系の特質を表現する名辞」(『中国近世財政史の研究』p.357)から、何らかの示唆を得られないかと考えている。僕の理解では、原額主義とは、国初(例外もあるが)において定められた正規の税収額(正額)が、硬直しがちであって財政の需給に対して柔軟に変化しにくく、そのため非正規の税収が拡大しがちであったという財政的傾向のことである。

原額主義の概念が対象としているものに、塩引というものが包摂されているのかどうかは、岩井先生に聞かないと分からないが、中国の財政はカネのみならず食糧も含まれていること、そして塩引はそれらと一定の関係を有している──塩引の「価格」は公定されていて、あまり変動しない──ことから、対象に含まれていると考えて良いだろう。
清末の両広塩政の事例から、塩引一道あたりの税収を増やすために税率を上げた時の内訳を見ると、課税細目そのものが増えていて、細目内の税率が変わったわけではないことが分かる。
つまり、清代中期には、塩引一道に対して「A」という課税細目が定められており、それに対して1両とかの税(塩課)定められているわけである。これが清末になると、「A」だけでなく「B」や「C」が附加されて塩税が高められていくことになる。この時、「A」の額そのものはあまり変わらない。
要するに、「A」が正額であり、「B」や「C」が非正規の附加税というわけである。非正規の附加税といっても、実際には塩価の中に繰り込まれているので、取引の際には塩税が増えたようにしか見えない。
ちなみにこの細目は清の最末期に統合されようとするが、実際に統合されたのは民国に入ってからのこととなる。明代の一条鞭法と似たような展開を見せたわけだ。
一条鞭法とはつまり、「A(正額)」・「B」・「C」というあった税目が「A’」に繰り込まれる現象を指す。しかし、清代になると「D」・「E」といった感じでさらに附加税が加わることになる。
民国初期に統合された塩税は、一条鞭法のようなさらなる附加税を課されたのだろうか? このあたり興味深い話だが、まだ調べていない。調べるかどうかも不明というか、もう民国以降には手を出したくなかったのだが、こうやって書いていくうちに興味をそそられるようになった。また折を見て調べてみることにしよう。

話を戻そう。塩政において原額主義が適用され得るのかという問題については、然りと思われる。根拠不足なので「考えられる」と断定できないのが残念だが、まぁ清末については、原額主義の概念から作られたモデルで説明できそうである。
問題は、「何故」という部分である。清代中期の両広塩政についての研究の中で、僕は塩務官僚にとって、硬直的な塩の課税額を柔軟に変動(というか増大)させるには、政治・経済的安定期であり財政的需要がなかったことから肯定的になる動機がなく、むしろ人事査定上のハードルが上がってしまうという否定的な要素が強かったためであると考えた。
官塩供給量を増やすには、私塩に対する競争力を確保するためコストを下げねばならず、かつ土地の有力者や塩商・末端の塩務官僚・胥吏などから構成される私塩流通システムを敵に回すという政治的リスクを冒さねばならない。
政治・経済的に安定していた清代中期ならともかく、その双方が混乱していた清代後期に、それを行えるだけの余裕はなかっただろう。
よって、塩制改革は行われなかったわけである……が、清代後期の塩制についてのみの話ならともかく、塩税制度全体について述べるには不充分だ。硬直的な塩税徴収システムが改革されなかった理由の説明にはなっても、なぜ硬直的なシステムが採用されていたのかという説明にはなっていない。

清代の塩制は、基本的に明代のそれをそのまま踏襲している。精緻化しただけともいえる。つまりは、硬直的な(逆に言えば、その枠の範囲であれば運用しやすい)システムもそのまま引き継いだわけである。
柔軟に塩税収入を増減できるシステムとなると、これは需給量についてそれなりに正確性の高い予想が出来ていないと、成立しない可能性がある。
年によって出来不出来のある穀物ほどではないが、塩の需給量はそれなりに変動する。
具体的には、人口に対して一定割合の需要があるわけだから、塩の需要は人口数に比例する。逆に言えば、塩の需要は人口数が分からなければ予測できない。
明や清の人口把握は、清代中期、康煕50年(1711)に盛世滋生人丁として人丁税を免除するまでは、非常に不正確なものだったとされている。人口台帳ではなく課税台帳だったため、皆まともに申告しなかったためだ。
となると、清代中期以前において、塩の需要量を把握することはほとんど不可能だったはず。そう考えると、硬直的な制度を採用するのもむべなるかな。
つまり、「量入制出」か「量出制入」かという昔ながらの財政論議になるわけである。ここでは「制入量出」だが、まぁ同じことだ。中国では唐代に両税法が採用され、「量入制出」から「量出制入」へと変わって以来、硬直的な(あるいは確実性の高い)財政原則が用いられてきた。
これは要するに、豊作不作に関わりなく、一定の租税を徴収して政府のフローを確保し、需要(例えば不作)に応じてそのフローから支出する仕組みである。中国のような中央集権国家では、こうした中央のフローが大きい方が、行政に都合が良い。というか、中央のフローが大きくなったから、中央集権が進んだと考えるべきか。

唐代・宋代の財政については何の勉強もしていないので、改めて調べてみる必要があるが、ここまで書き連ねてきたことから判断すれば、「昔から硬直的な(制入量出)財政原則があったので、塩制についても同じようにした」ということになる。
「制入量出」の財政原則があり、また清代中期になるまで人口動態を把握できるほどの行政能力がなかった(正確には清代中期に行政能力が高まったわけではなく、財政需要が低下したため人口把握を放棄した結果、かえって人口数の正確な把握が可能になっただけなのだが)ことから、塩税徴収システムは、他の徴税システムと同様、硬直的なものだった。清代後期に至るまでこれを改革する動因は働かず、また清代後期になると改革への動因は生じたが、改革を行うのに必要なコストを払えず、結果システムを改革せずに税収の増加を求め、システムを破綻させた──この推測が正しいとして、「清代」の部分を「明代」とか「元代」とか「宋代」としても通じるのであれば、これは両税法導入以降、一般的な財政構造だったと考えることが可能となる。

はてさて、つらつらと書いてきたことは正しいのだろうか。というか、定量的な実証が可能なのだろうか。
とりあえず清代と、出来れば明代については検討してみたい。明代後期からの銀の大量流入により、色々と変わったとは思うが、その次のことはそこまでの分析が終わってからだろう。

2010年12月23日木曜日

師走二十三日

ヤマと見ていた先週が終わり、何とか一息付けた。
今のところ、致命的な……というと言い過ぎだが、大過なく過ごせている。
あと一週間弱で、とりあえず年内は終わる。まぁ、何とかなるだろう。


色々と疲れてきているので、ゲームとかはあまりしていなかった。

A)帰宅→スキャン作業→酒飲んでニコニコ見て寝る
B)帰宅→酒飲んで仮眠→スキャン作業→酒飲んでニコニコ見て寝る

ダメだね。これは。
我ながらダメダメなので、頭を使わなくても出来る仕事を進める。
具体的には、先日来続けている『清塩法志』のデータ整理。
各地の行塩引数をExcelもといOpenOfficeのCalcに投げ込む。
中国のほとんど全ての県名を入力し、それぞれに対応するデータを打ち込む。
甘粛・新疆や東北三省などの、塩政からはやや切り離された地域は除外し、山東・雲南のデータはまだコピーを取っていないのでこれまた除外し、広東・広西は作業を終えているのでこれも外すとしても、900近い県や州が存在する。
こうした地名をいちいち入力し、それぞれに数件の塩引データを入力する。今こうやって書いている文章を見直すとうんざりしてくる話だが、まぁやりましたよ。ほぼ。残るは福建だけ。
素面でこんな事をやりたくはないのだが、酒を呑むと単純作業であっても──むしろ単純作業だからこそ──作業にならなくなるので、作業用BGMを聴きながら。

ここからBGMをセレクトしていたのだが、Cowboy Bepopと攻殻と平沢進は作業用BGMに向いていないことがよく分かった。

作業用BGMとして一番良く使っているのは、しらは作品集。もう何回聴いたことか、サッパリ覚えていない。作者サイトからmp3を落としてiPodに入れて聴いたりもしているので、三桁にはなっているはず。良く飽きないモノだ。
東方のアレンジ曲なのだが、僕のように東方をやり込んでいるわけでもない人間でも楽しめる。
ちなみにいまも聴いている。


スキャン作業は、結構順調になってきた。時間そのものはだいたい2時間程度を割り当てることにしており、短くすることを重視していない。
逆に、スキャン作業しながらでも出来る仕事を進めるようにしている。料理や掃除なんかは結構出来るものである。

池波正太郎の「鬼平」と「剣客商売」を始末できたので、もっぱらそれを読んでいる。何度読んでも面白いね。
「梅安」シリーズはまだだが、これは冊数が少ないので。池波正太郎のシリーズものでは、「真田太平記」はまだ集めていないのだが、もう少し片が付いたら集めようかと思う。

他に佐藤大輔と谷甲州の本も、だいたい片付きつつある。RSBCの文庫版がまだ残っているが。

あと、「グインサーガ」シリーズがまだ手つかずだ。栗本薫の小説は、これと「魔界水滸伝」ぐらいしか読んでいない。「魔界水滸伝」は昔処分してしまったので、手元にない。
「魔界水滸伝」はそれほど面白いとは思わなかったが、横山信義の「八八艦隊物語」は、処分したことを後悔している。
他にも色々と棄てたからなぁ。今にしてみればもったいない話だ。

文庫と新書を主に処分してきたのだが、最近は雑誌類も対象としている。雑誌といっても一般雑誌は持っていない。専ら学術雑誌。
A5サイズのオーソドックスなものが大半だが、一部B5サイズの少し大きいものも混ざっている。一般書ではなく学術雑誌を処分するのは、こいつらはあまり頻繁に読まないため。
本当を言えばA5サイズを読めるKindleDXかiPadかGalapagosの大きいヤツが手に入るまで待ちたいのだが、カネがないのでまだ先の話になる。
学術雑誌の場合、気楽に読むことはあまりないので、必要に応じてPCで読めばいいという判断である。

こうして少しずつ空きスペースを増やしているのだが、まだあまり片付いたという実感はない。まぁ、まだ200冊程度しか減らしていないので、そんなものだろう。
一ヶ月200冊とすれば、来月の今ぐらいになれば、多少は実感が湧くだろうか。

2010年12月12日日曜日

師走十二日

このところずっと忙しいのだが、それに輪をかける状況になっている。
正確には「忙しい」というよりは「休みがない」というべきだろう。具体的には月月火水木金金。

まぁ、幸いにして体調は大きくは崩れていないので、一番の山となる今週を乗り切れば、年末に向けて少しは楽になるはず。
体調は崩れていないとはいえ、酒量が増えている。
ジンなどの蒸留酒をグラスに二杯。シングルとかダブルとかではなく、グラス八分目ぐらい。まぁロックだが。ちなみに水割りはまず呑まない。父が角瓶を好んでいるので、実家に帰った時にそれを呑むときには水割りにする。日本のウィスキーは水割り向けに出来ているためだ。

たまには休肝日を設けるべきだろうが、なかなかうまく取れない。もう少し意識するべきだろう。


さて、しばらくお休みとなっていた研究だが、作業を再開した。
作業工程としては、

① 地方志から清代中期の行塩数を求める。
② 『清塩法志』から清代末期の行塩数を求める。
③ 曹樹基『中国人口史:清代巻』より清代中期から末期にかけての人口の増加を求める。
④ ①から②の官塩供給料増加分と③で求められる人口増加分を比較する。

④の結果、前者より後者の方が大きければ、塩需要の増加に対応する努力を放棄し、私塩で賄うに任せていたという仮説が、少なくとも数字の上では裏付けられるわけである。
これを可能な限り各省について行う。とはいえ広東や広西などは作業済みだし、江西は先日行った。また満州や新疆などは、あまり詳しくチェックする必要はあるまい。一応は確認しておくつもりだが。
比較作業自体は簡単、というかデータを入力すればほぼ同時に判明することなのだが、その入力作業が面倒臭い。面倒なのでやらなかっただけで、要するにただの怠慢である。
怠慢というだけなのであれば、気合いを高めればなんとかなる。なかなか高まらないのが問題なのだが、まぁそこは頑張ることにする。しばらくさぼっているということからくる後ろめたさが最大の推進力である。なんという後ろ向きな。

なるべく頑張って年内には終わらせたいところ。頑張るという言葉は僕の嫌いリストでも三傑に入るほどなのだが、他に手がないとあっては仕方がない。

2010年12月4日土曜日

師走四日

先週、大学で学会が開かれた。
この時期、どこでもこの種のイヴェントが続くのだが、今回のは民衆運動についてがテーマ。科研費が来年春で切れるので、締めの会というわけである。
科研に参加していた研究者に、明清を専攻とする人間が多かったこともあり、割とそっち方向が濃い内容となった。
まぁ、主導していた先生が明代専攻だったことが大きいのではないかと思うが。もうひとりの主導役がウチの先生なのだが、こちらは魏晋南北朝の人。よってそちら方面のひとも結構多かった。
いろいろと下働きをさせられたのだが、まぁそれはそれで。ついでに発表そのものについてのレヴューもしない。来年春ぐらいにまとまった形で出版されることになっている。
以下は、発表を聞きながら思ったこと。

様々なテーマがあったのだが、そのうちの一つが、いわゆる唐宋変革の結果、何か変わったことがあったのだろうかというものだった。
変化として挙げられたものの一つに、史料の数がある。
明代以降は、史料数が非常に多い。それは今回でも、新規発見された史料についての発表があったことからも窺える。よって、潤沢な史料を整理し、そこから新たな知見を組み立てるという形になる。注意すべきは、都合のよい史料だけで論を構築しないように心掛けることであろう。
唐代以前は、史料数が極めて少ない。よって、特定の史料を様々な角度から解釈するというかたちになる。牽強付会に陥ることは、避けねばなるまいが。

宋代を専攻とする研究者が、宋代のうち北宋は唐代以前に、南宋は明清に近い性格を持っており、過渡期的な特徴を有すると発言していたことが印象深い。唐宋変革で何もかもが変わったわけではなく、宋代から明清にかけて、ゆっくりとした変化が続いていったというわけである。
時代区分についての発言があったわけではないが、僕としても、急な変化などというものはそうそうあることではないと思っていたので、重なるところが多い。

通史的な発表はふたつほどしかなかったのだが、いずれも中国民衆運動史を専攻する研究者の発表ではなかったことが印象に残った。民衆運動史全体を通観して、変ったものと変わらなかったものとして、どんなものがあるのか、という議論は少なかったように思う。この科研そのものがワークショップ的なものであり、そうした結論を導き出す場ではないというのはあるだろうが。

発表のひとつに、中国の大きな枠組みは古代の時点で完成しており、循環するのみで変わるところはなかったとする古い議論を紹介しているものがあった。
これは古典的な中国停滞論のひとつではないか(オリジナルをチェックしていないので確言はできないが)と思うが、戦後日本(おそらく中国も含めて)における中国史研究では、中国停滞論からの脱却という観点を強調しすぎるように思われる。

発表でもあったのだが、ある王朝の末期に、失政や天変に伴って民衆反乱(昔は農民反乱もしくは起義なんていった)が勃発し、その結果、王朝は交替する。この過程で土地が荒廃して人口は減少する。
新王朝においては、前代の官僚や王族などは残っておらず、行政はスリム化されている。
荒廃した土地への開発が進み、人口が増加する。また新規開発地への移住、開発も進む。
この過程で官僚などが増大し、民衆への負担が増大する。
社会矛盾も強まり、最終的には民衆反乱へと至る。

この模式化されたサイクルは、中国史上で起きた数多くの民衆反乱を説明できるほど一般的なものなのだろうか。
確か岸本美緒も顧炎武の歴史認識として書いていたと思うが(論文名は忘れた)、彼らは中国の歴史を循環的なものとして認識していたとある。循環を停滞ととらえるべきか否か、また循環するもの以外の変化、たとえば冒頭で挙げた唐宋変革で生じた変化は明清時代にまで至って深まっていったことなど、長期的な変化として、どのような整理が可能か。
僕の認識としては、量的変化と質的変化として整理される。わかりやすいサンプルを示すと、総GDPとひとりあたりGDPである。アンガス・マディソン(今年の4月24日に亡くなっていたそうだ)が採った手法である。
他にもあるだろう。これまで積み上げられてきた定性的分析に、人口や反乱数などといった数値資料を用いた定量的分析を組み合わせることはできないか。

ま、言うは易く行うは難い類の話ではあるが、個別事例の研究の深化と、数値情報の入手・整理が容易になった現代なら、不可能ではないと思う。

2010年11月19日金曜日

霜月十八日

先日、10冊の本をデジタル化するのに1時間と書いたが、1時間半ぐらいかかるようだ。
で、少し考えた。

仮にこの労働に時給1000円の価値があるとすると、90分で10冊の図書を処理するわけだから、1冊あたり150円のコストがかかることになる。
この作業に主に投入する機材として、スキャナとKindelが挙げられるが(裁断機とPCは除く)、両者のコストを6万円とし、減価償却に1200日(つまり使えなくなるまで約3年半)かかるとする。
一週間に30冊の本をデジタル化すると仮定すると、一年間には約1500冊、3.5年では5000冊オーバーが処理されることになる。つまり1冊あたり12円である。まぁ、現実にはそこまで大量の本を処理するわけでもなし、出来るものでもないので、20~50円ぐらいになるだろうか。
合計すると、一冊当たり180円前後のコストがかかっているわけである。

これは果たして妥当なコストなのだろうか。
文庫もしくは新書をBookoffで、100円で買うとするなら、だいたい300円ほどの出費というわけである。
状態のいいやつを400円程度で買う場合でも、500円。
まぁ、手が出ないとか腹にすえかねるとかそういう感情は湧きそうにない。

将来的にはDXあたりの9インチモデルを買い、論文なんかも抹殺したいところである。
ただし、学術書は註をチェックする必要が多いので、ページ送りが感覚的に行えない電子書籍は今一つ向いていない。一方通行的に読む小説などの読み物には向いているのだが。
このあたりが電子書籍が紙に劣る点だろう。ちょっと、うまく解決する方法を思い付けそうにない。

2010年11月14日日曜日

霜月十四日

我が蔵書のデジタライズ作業は、毎週40冊を目標としている。
その根拠は、裁断を行う場所である大学に持ち込みやすい小型カバンには8冊が丁度入るようになっており、理屈の上では5日通うわけだから8*5=40冊というわけである。
もちろん、現実にそんな風に行くとは全く思っていない。

ある程度裁断した本を貯めておき、この週末にかけてデジタライズしてみたのだが、日産10冊あたりが目処のようである。
工程としては、

1. スーパーファインのカラーモード(300dpi)で取り込み
2. 取り込み原稿からPDF Knifeを用いて、最初と最後の3頁(巻頭挿絵などのカラー頁がある場合はそれも)を分割。
3. スーパーファインの白黒モード(600dpi)で2の部分以外を取り込み
4. pdfpdfpdf.comを用いて2と3を結合
5. ChainLPを用いてトリミング
6. Kindleにファイルを転送後、KinColEditorを用いてコレクションの反映
7. 2および4で出来たファイルはバックアップ用に保存

という段取りである。だいたい10冊で1時間ほどかかるだろうか。
最初から白黒だけでやればもっと早いのだろうが、将来、カラー化導入の可能性を踏まえ、一応残しておく。また、カラー版での取り込みは、裁断ミスなどのチェックを兼ねている。
作業に取りかかる前は、大した手間は要るまいなどとたかをくくっていたのだが、存外に作業量が多い。手際よく処理するようつとめると、他の仕事などとてもしていられない。

つまるところ、意外と面倒なので、仮に裁断をしっかり40冊やったとしても、週に四回もこれをやっていられるかどうか分からないのである。
ただし、10冊なら10冊分の処理をすれば、その分のスペースが空くというのは快感である。
なんというか、ある種かさぶたをはがすときの快感というものに近かろうか。その手の性癖には今ひとつ疎いので、適当なのかどうかは分からないが。
もっとも、これまでぎりぎりにまで詰め込んできているので、多少減ったとしても、実感できるほどの変化はまだない。
文庫本及び新書サイズのストックでさえ、ざっと見たところ2~300冊はある。部屋の随所に詰め込んであるモノを開放すれば、その数倍はあるだろう。実家に置いてきたものを含めれば、更にその倍はあるかもしれない。
まぁ、仮に隔日で一年間この作業を行うとしたら、およそ1000冊ほど片付くわけである。さすがにそれだけ減らせれば、ずいぶんと変わるだろう。
先は長いので、のんびりやる所存である。

2010年11月13日土曜日

霜月十三日

図書館において、僕の仕事は、ひとことでいえば「雑用」である。

一応、表芸は遡及、つまり古典籍の書誌情報の作成になるのだが、こちらは手下に任せれば問題ない体制を作り上げたので、僕自身はほとんどタッチしない。トラブルシューティングと各担当の調整、作業計画の立案及び評価が仕事である。
……いやまぁ、バイトのする仕事じゃないというかどう見ても管理職です本当に(ry

で、今年度からメインになりだしたのがリポジトリ。これについては折々触れている。

もうひとつは、貴重書の管理。こいつは表芸とも一応関係する。現時点でほとんどの貴重書が遡及されていないので、いつかは作業対象となるためだ。
もっとも、下手に遡及してオンライン検索が可能になると、わけのわからない連中が見せてくれと世界中(文字通り)から押し寄せてくる可能性が馬鹿にならないほどあるので、上司は乗り気ではない。僕も、まぁ同意見である。

代わりに、デジタル撮影して画像をアップロードし、それを見てもらう。デジタルアーカイブという作業だが、これも表芸のひとつ。
もちろん、撮影やサーバーの管理などは僕の手に余るので、それらについては内部や外部の専門家に委託することになる。
僕がするのは、撮影対象のリスト選定である。

貴重書はマスターカードと呼ばれる資料整理カードと、それをまとめた函架簿と呼ばれる台帳によって管理される。いちおう、貴重書目録も公刊されているのだが、戦前に編纂されたものは、さすがに古すぎ、最近になって編纂されたものは、あいにくと出来が悪すぎるため、どちらも使い勝手が悪い。
仕方ないので、数年前に函架簿からExcelにデータを入力した。全部で6000件ぐらいはあるだろう。
面倒な作業だったが、今ではこれが作業管理のベースとなっているのだから、ま、やっておくべき仕事ではあったのだろう。

で、このExcelのシートを眺めながら、撮影対象を決めるわけである。
仏教系大学であり、非常に多くの資料を引き継いでいることから、ラインナップは豊富である。当然、仏教書が中心となり、次いで日本文学関係。そして史料関係。
僕の本業からして、本当は史料類を優先して公開したいのだが、まぁ、一般受けしそうにないので、そこはある程度抑える。予算には限りがあるためだ。
一般受けしそうな絵の入る図書を選び、また源氏物語や平家物語のような冊数の多い図書を収め、その周辺に史料類を放り込むというようにして埋めていくわけである。

例年は僕一人で決めていたのだが、今年は日本文学を専攻する同僚にもリストの一部を渡し、助言を求めた。常日頃から、東京方面の研究者たちがウチの蔵書について知りたがっていると聞かされていたので、何ならそういう人たちの中で信用できる人に、こっそりと検討してもらってもかまわないと言っておいた。

数日後、返事が返ってきた。
どうも、僕が選んだリストは、刺激が強すぎるものらしい。そこからさらに厳選したリストを作成して向こうさんに見せたそうなのだが、それでもかなり興奮していたそうな。

なんでも、東京方面の大学が持っている本は、すべて研究されつくしているそうな。
こちらが昔から抱え込んできた本は、いわば「未発掘」の資料らしい。
ウチの大学は、いろんな意味で閉鎖的であり、外部への情報発信にあまり熱心ではない、らしい。まぁ、それは僕にもある程度わかる。
大学の格からすると不相応なほど充実した資料を持っているので、あまりよそへ出歩く必要がないのだ。
さすがに近年はそうも言ってられなくなっており、こうした傾向がいろいろと足を引っ張っているのだが、それは措く。
話を戻して、そういうわけで東京方面の研究者からすると、閉まったままの宝箱的な位置づけにあるらしい。

同僚から、「このリスト、安易に公開しないでくださいね」とのお言葉をいただいた。
下手をすると、研究者からストーカーじみた真似をされかねないですよという、冗談とも本気ともつかない忠告を受けた次第である。

ついでに、リストには史料関係もいろいろと載せておいたのだが、これもまずいらしい。
ウチの大学、というか本家は、日本史上のあれやこれやに関わっており、白い歴史も黒い歴史も有している。
図書館とは別に、史料編纂室というのがあって、そこでは保管された史料からいわゆる正史を編纂しているのだが、その一部は図書館にもあるわけである。
こういうところで編纂された「正史」は、要するに白い歴史である。黒い部分は表に出ない。
図らずも白か黒かも判じかねる史料を公表しようとしたわけであり、これはかなりのリスクを伴うというのが、同僚とその師匠の懸念するところであった。

一応、僕の意識は歴史屋さんであり、史料に黒も白もあるかというのが正直なところである。というか、白い史料は放っておいても表に出るはずなので、むしろ黒い史料こそガンガン公表すべきであると思っている。
とはいえ、独善からそこまで踏み込んでしまうと、被るリスクが大変なものとなりかねない。実際に火の粉を浴びるのは、正規の職員である上司や課長あたりになるのだろうが、万一、身分の保証なぞ皆無の僕にまで及んだ場合、速攻で首が飛ぶことになる。

また、非公開(ではないのだが、みんなそう思っている)の資料を公開すると、一部の教員が心証を悪くしかねないとも言われた。資料の公開性・共有性が研究の大前提であると思っている僕からすると噴飯ものだが、「俺の資料を勝手に公開するな」的な先生様は、存外に存在する。そういう人に限って、ロクに論文も書かない……かどうかは知らないが、少なくともそう忠告してくれた同僚は、自身の経験としてひどい目にあったことがあり、僕からするといささか過剰なほど、この手のリスクを警戒している。

結論として、大学の先生の集まる委員会にリストを提出し、その裁可を受けるという案をひねり出した。これなら、面倒が起きた場合には先生方が引き受けるという建前というかエクスキューズを作ることができる。
上司は、寝た子を起こすことになるのではないかと懸念しているが、まぁ判断するのは課長である。
その課長は来週頭まで出張しているので、それからの話になるだろう。


などと、例によってnoriともりりんに話したのだが、「クトゥルーの世界だな」とか言って笑っていた。
僕は、冒頭あたりで原因不明の死を遂げる図書館職員というわけである。
死ぬ時には携帯に向かって意味不明の言葉を叫べるよう、用意を整えておかねばなるまい。

2010年11月11日木曜日

霜月十一日

気になった記事二点。

カラー対応E-Inkを実戦投入するとの記事が出た。
おそらく、近いうちにKindleにも搭載されることになるだろう。
現行のKindle3では、基本的に白黒である。電圧によって白と黒のどちらかを表示するというE-Inkの原理からしてカラーは無理と思っていたのだが、色付きのフィルターを通すことでそれを可能にしたとのこと。
これにより、大きな変化がもたらされそうな気がする。
僕は基本的に文庫や新書などの文字情報を電子化するためにKindleを用いているのだが、コミックを読むにあたっても、これで実用的になる。4096色というから、まず問題なかろう。
また、古い本で黄変したページなんかも、これでいちいち調整する手間が省けるというものである。
まぁ、その分重くなりそうだが、プレゼンによると2割程度処理速度が上がっているそうだから、相殺されるのではなかろうか。
市場に投入され、レヴューが出るまでしばらくかかりそうだが、今から楽しみである。


例の衝突ビデオ流出事件について、毎日新聞論説副委員長の与良正男が尖閣ビデオが示すことというコラムを書いた。
内容はともかくとして、

職員が「ネットが最も手っ取り早く、効果的だ」と判断したのだけは間違いないはずだ。そして、これは内部告発の有効手段として今後、拡大していくだろう。それが今回のビデオ流出が示す、もう一つの側面だ。

という一節が目を引いた。
今回の騒動で、ごく初期のころからニコニコや2chなどで言われていたことは、新聞やテレビなど、従来型メディアではなく、ユーチューブという動画サイトが利用されたことである。つまり、従来型メディアでは取り上げられない可能性があるため、つべに上げたというわけである。
こうした世界は昔から反権力・反体制の傾向が強く、その延長上として従来型メディアも槍玉に挙げられることが多かったのだが、その是非はともかくとして、従来型メディアによる報道の中で、なぜ従来型メディアではなくてユーチューブだったのかということを取り上げたものは、これが初見である。大して熱心に記事をチェックしているわけでもないので、見落としているだけの可能性も高いが、まぁそれは措くとして。

今回のような政治的に大きな影響を及ぼす告発については、今後も同様の傾向が続くのではないかと思う。もう少しうまくやれば、足跡を残さずにやれると思う人間がいてもおかしくないし、ウィキリークスのような告発サイトを使う人間も出てくるだろう。
いずれにせよ、従来型メディアに対する不信感の表れと考えると、興味深いことである。

2010年11月8日月曜日

霜月八日

先週金曜日は、いわゆる学祭のため、仕事はお休みである。
有休をもらえない身では、平日の休みというのは貴重である。まぁ、金が入らないことには変わりないが。

というわけで、人文研へ赴いた。
目的は『清塩法志』のコピー。先日から進めている四庫全書所収の地方志に記載された塩政史料と比較するためである。
以前にも書いたが、四庫全書の史料は、おおむね康煕末年から雍正年間頃、17世紀末から18世紀初め頃の情報を記載している。で、『清塩法志』は19世紀後半以降、清末の情報を記載している。
この両者の行塩数を比較し、大きな変化が見られないなら、清朝は清代中期以降の人口増加に伴う塩需要の増大に積極的な手を打たず、その分を私塩に委ねていたということになる。

そのことにどういう意味があるのかというと、清の財政構造は、需要に対して柔軟に供給を増やせるようにはなっていなかったということが言えるわけである。少なくとも財政の三割から五割程度を占める塩政においては。
安定期なら問題ないが、財政需要が増えてきたとき、それに対応できずに王朝が滅亡したのではないかというのが、立証しようとしている仮説である。
そしてそういう硬直した財政構造は、明と清という近世中国の王朝が共通して持つ性質ではないのかというのが、その先の話である。
まぁ、結論ありきで研究を進めているわけではないし、近世中国の財政が塩政だけで構成されているわけでもないので、先は長い。


まー、週末から今日にかけて、そのコピーで何か仕事をしたわけではないので、ダメな感じだねぇ。
ちなみに酒に溺れながら何をしていたのかというと、M&BとICと……加えて、裁断した図書をScansnapで読み込み、色々と。
Kindleは白黒しか読まないので、カラーやグレースケールだと表示できない。白紙部分の閾値を上げてグレーを落とし、文字部分のガウス値を上げて補正すれば上手く行きそうな気もするが、古い本だと白紙が黄変しているのでY値を落とすよう補正せねばなるまいのだろうが、Photoshopを持っていないのでそんなこと出来ないし(GIMPでできるかもしれないが)、基本的に文字が読めたらそれで良いので、白黒で良かろうと思う。

この結論にたどり着くまで、ずいぶん試行錯誤した。一般に600dpiが自炊業界の標準解像度だが、S1500の白黒だと1200dpiというものまで試せる。
で、試してみたのだが、あまり差はなかった。容量がでかくなった分、頁めくりが遅くなったので、かえって使い勝手が悪い。電子インクを使うKindleはレスポンスが遅いという宿命があるため、頁めくりの遅さはかなり都合が悪い。
結局、スーパーファインモードを使い、表紙部分(および巻頭に挿絵類があるならそこも)のみカラー(300dpi)で撮り、本文は白黒(600dpi)ということにした。量の少ないカラー頁ぐらいは600dpiでやっても良かったかもしれない。

で、そうして出来たPDFファイルにChainLPを当てて余白部分を切り落とす。これをやると頁のサイズがまちまちになるのだが、余白の分だけ頁が小さくなったことで、相対的にズームされて読みやすくなる。
もう少し細かく設定すれば均等な寸法でトリミングできるのだろうが、面倒なのでそこまで調べていない。

職場でリポジトリ作業を担当していることもあり、こういう作業と仕事とが頭の中で連動するようになってくる。主務担当の同僚も同じ事を言っていた。
まぁ、無駄にはならない経験だろう。もうしばらく色々と試してみたいところである。

2010年11月3日水曜日

霜月三日

Scansnap S1500が届きにけり。

正直、これを買うのは結構迷っていた。発売から一年半ぐらい経っているので、昨今の自炊ブームの盛り上がりからするに、新製品が出てもおかしくない故。
とはいえ、出るかでないかわからない新製品を待つよりも、時間を買った方がマシであるとの判断を下した。

基本的に、僕がこれを使うのは、小説か新書あたりのサイズの図書をスキャンするときである。
つまるところkindleで読めるサイズというのが大前提なので、新書よりも大きなサイズだと都合が悪い。kindle DXやiPadを導入するなら話は別だが、当分は縁のない話である。
本当を言うと、日本語の歴史系論文で一番良く使われているA5サイズの図書を読めるDXサイズは、欲しいんだけどねぇ。それがあればウチにある論文のコピーの半分以上を粛清できるし。
現時点では色々と問題があるので、そこまでは踏み込めないとの判断を下しているので、まぁ二三年先の話になるだろうな。

すでに数冊の本を大学の電動式裁断機でぶった切っており、準備は万全である。
早速、スキャンにかける。
早い。これまで使っていたのだが一世代前のS500なんだから当然だが。それにしても早いのは快感である。すくなくともその早さに慣れるまでは。

学術雑誌だと、背表紙面に使っているノリが本紙の結構中側にまで浸みており、裁断機にかけても頁がバラバラになっていないことがある。
この点、さすがに商業用の文庫や新書だとかなりぎりぎりのラインで裁断しても問題なかったのだが、やはりあまり攻めすぎると頁が切り離せて居らず、エラーを引き起こすことになった。
ついでに今頃気付いたのだが、この手の本は薄い紙を使っている。やはり学術雑誌用の紙よりは良いものを使っているらしい。おかげでジャムりやすいような気がして落ち着かない。
文庫の場合、文字の位置も、結構綴じ代近くにまで配置されているため、裁断位置にあまり余裕を持たせすぎると、文字を裁断しかねない。難しいところだ。
ついでに、二枚同時に巻き込んでしまうトラブルは、一応は起きていないようだが、安心は出来ない。
しかし、これを確認するためには全文を読むしかないわけで(総頁から割り出せるかと思ったが、頁表記のない部分が多いため、あまり現実的ではない)、スキャニング後は裁断された図書を処分してしまう以上、どうにもならないような気がする。

なお、まだトリミングやなんやで結構処理する必要のあることは多いのだが、それは明日にでも仕事場で行うことにしよう。トリミングはAcrobatのあるこちらやるしかないが、リネームその他の作業はどこでも出来る。
ついでにこの次裁断すべき本も持って行っておこう。暇なときにはどんどんぶった切っておかないと、予想よりもスキャンに要する時間が短いので、追いつかれてしまう。
が、一応大学でやる作業なので、ラノベとかは見られると気まずかろうなぁ。というか、あまり下手を打つとまずいことになるかも知れない。ラノベ程度ならまだしも、コミックとかだと下手を打ちすぎるとまずかろう。
まぁ、ほどほどに、かつ上手くやるということで。

にしても、ファファード&グレイ・マウザーやコナンといった、往年の洋物ファンタジーを裁断していたのだが、こいつらはいわゆる「ラノベ」に入るんだろうかねぇ。

2010年10月30日土曜日

神無月丗日

忙しい日々が続く。
なんか消耗しっぱなし。

夏頃から、

仕事が終わって帰宅

疲れているので、晩飯の時間まで待ってちゃんとした飯を作る気になれず

ベーコン+ジャガイモ+ザワークラウトの炒め物などでビールやワインを呷る

酔っぱらって睡眠

三時間後にアルコールが切れて起床

再活動後、三~五時頃に就寝

というライフサイクルが定着しかかっている。もちろん、夕方や夜まで用事がある日は別である。
これはこれで悪くないのだが、体力的にはともかく、気力的にはあまり回復しない気がする。
基本的に僕の睡眠時間は8時間がベストで、放っておくと、だいたい8時間ほど眠れば目が覚める。
この場合、3+5時間とかいう感じになるわけで、トータルでは問題ないはずだが、やはりどこかで無理があるらしい。
あるいは単純に、精神的活力が減退気味になっているのかも知れない。歳がどうとかもあるだろうけど、今年の夏は暑かったし、体力だけでなく気力も消耗していたのだろう。

このサイクルは、夕方という社会的には活動時間とされている時間帯に睡眠を貪るという弱点があるのだが、3時間の睡眠後にはそれなりに気力体力共に回復しているので、悪くないと言えば悪くない。まぁ、その代償が日中の気力不足と考えると、やはり常用すべきではないかも知れないが。


色々とあるのだが、とりあえず研究について。

残念なことに、予想通り今月中に四庫全書のデータを揃えることは出来なかった。
まぁ、あと『江南通志』だけなんだが。ただしこれはかなりデータ量が多いはずである。

で、それはまぁ予想の範疇だから良いとして、とりあえず先ほど、江西のデータについて検討を進めてみた。
検討材料となるデータのひとつは、『四庫全書』所載の雍正8年のデータ。だいたい18世紀初頭のものである。
もうひとつは、『清塩法志』所載の江西に関する行塩データ。『清塩法志』そのものは民国に入ってからの編纂物だが、これはおそらく光緒年間に編纂された『両淮塩法志』を流用しているはず(まだ未検証)なので、19世紀終わり頃のものである。

清の盛世からその衰退期に至るこの200年弱の間に、中国の人口は急増している。清中期の乾隆43年(1776)の江西の人口は、約1880万人だったのだが、ここから約80年後の咸豊元年(1851)には約2430万人になっている。
この間の人口増加率は約3.4‰で、明末から清初にかけての混乱期において江西ではほとんど人口が増加していなかったことと、江西は古くから開発が進み、人口増加を支える余剰の土地がなかったことを考えると、非常に順調な増加である。

さて、その順調に人口が増加した200年の間に、塩の供給量はどの程度増えたのか。
広東では増えなかった。江西では?
やはり増えていない。ふたつの史料から得られる塩引数は、ほぼ一致している。実際には雍正7年と乾隆4年に35000道ほど増額が行われている。これは全体の9%ほどであり、乾隆43年から咸豊元年までの3割近い人口増加を支えるにはとうてい足りない。
更に言うなれば、広東においても乾隆年間中期頃までは、江西と同じように行塩数の増加が行われていた。
となると、広東で得られた知見と同じように、江西においても清代中期頃には人口増加にともなう塩需要の増加を、官塩の供給によって満たす努力を放棄したものと考えられる。

広東と江西は、それぞれ両広塩運司と両淮塩運司という異なる塩務機関によって塩政を執行されており、所轄の異なる両地域で同じ現象が見られたと言うことは、他の地域でも同様の事例が見られる可能性は高い。
まぁ、現時点では可能性に過ぎないので、こうしたチェックを繰り返していくわけだが。

とまぁ、貴重な土曜日の午後のひととき(正味2時間ほど)で、こうしたデータの処理と、そのまとめ(いま書いている文章である)に費やしたわけだが、なかなか好感触である。いやまぁ、可能性が高いと踏んでこういう研究を始めたので、こうならないと涙目なのだが。
残る両淮塩運司行塩地についても同様のチェックを行い、さらに四川・長蘆・両浙・福建・雲南・河東といった塩運司で出ている塩法志から、基本古籍庫で入手可能なものはダウンロードして。本当は『清塩法志』が一番まとまっており使いやすいのだが、あれは人文研にある。出来る限り行かなくて済むように、手元で済む作業は済ませておきたい。
人文研が嫌いなのではなく、遺憾ながら有休なるものをもらえない身では、あそこに行くだけで相当な財政的負担になるためだ。
本当を言うと先週の月曜日や来週の金曜日などは、平日にもかかわらず学祭などの理由で休みである。ならばそうした日を使うべきなのだろうが、多分気力と体力が追いつかない。冒頭の問題に帰るわけである。やんぬるかな。

2010年10月9日土曜日

神無月十六日

今週はいろいろと消耗する一週間だった。

週末から週明けにかけての連休は、某宗教団体の合宿形式のセミナー。
神も仏も前世も来世も信じないという、信心深い人からすればロクでもない人間にとって、こういうモノに参加させられるというのはかなりの苦痛である。
もちろん好き好んで参加したわけではなく、いろいろなしがらみの結果である。

ちなみに、僕は宗教のオカルティック(もしくは形而上的)な部分についてはまるで信じていないが、そういうものを信じている人を否定するつもりはない。
以前、千日回峰行をやった人の講演を聞いたのだが、それによると、途中で仏が見えたそうである。
僕からすればそれは疲労の局限で生じた幻覚ということになるが、その人にとってはまさに仏が見えたのであり、それに勇気づけられて苦行を乗り越えたのであれば、それは信仰の力というものであろう。プラシーボ効果と同類のものと、僕は思っている。

で、宗教の形而下的な部分、倫理観や処世術、自己鍛錬などについては、有効であると考えている。僕個人が宗教に対して期待しているのは、このあたりの部分である。
宗教からでないと得られないものではないが、個人的環境からすると、宗教を経由しての方が楽であるというだけのことである。

とまぁ、そういうことで連休はつぶれた。
それなりに得るところはあったが、お金を稼ぐなどというような即物的な効果は得られないし、また期待もしていないので、効果のほどを具体的に説明することは不可能である。まぁ、いい経験をしたというあたりが一番無難なところだろう。


その他、人と会う約束が流れたり、仕事がやたら忙しくなるなどで、気の休まるところがなかった。
おかげでIron Crossの起動確認すらロクに行えなかった。昨日になってようやく確認できた次第であるが、最初のパッチが公開された後のことなので、その意味ではむしろ良かったのかもしれない。
1933シナリオを始めたのだが、まだ1937年で戦争ははじまっていないので、E3マップによるプロヴィンスの細分化がどういう影響をもたらすのか、まだ未体験である。来週の月曜は休みなので、日曜と月曜はそれを楽しむのもよいかもしれない。

2010年10月7日木曜日

神無月七日

さて案の定、データの入力は遅れ続けている。
現在のペースだと、今月中に終われば御の字だろうなというくらい。
もう少し具体的には、半分程度の進捗である。
何か問題があるのかというと、サボってるからだとしか言いようがない。頭を使うことはほとんどないので、コツコツやることを面倒がっているという理由しか残らないのである。
まぁ、もう少し述べると、こうした作業は仕事中に暇を見つけて「気分転換」に行うのがこれまでの常だったのだが、仕事が忙しくなったので、内職に割ける時間が減ってしまったことが大きかったりする。ついでに同じ理由でHOI2の翻訳も滞りがちである。

だったら、こうして駄文を書き散らす時間を使えばいいじゃないかという気もするが、今の環境(やはり仕事中)だと、Google Documentしか使えない。これは非常手段と考えれば便利ではあるのだが、スプレッドシートにしても、挙動がいまひとつもっさりしていて、いささか使い勝手がよろしくない。また、区切りや置換を使って史料を加工するのにも、あまり向いていない。

帰宅すれば酒あおってニコニコ見たりM&Bをやったりするのに忙しく……書いていて本当にダメな人間だという気がしてきたので、このあたりでやめておこう。ちなみに今日はAoDに続くHOI2のエキスパンションIron Crossが発売され、既にDL済みなので、僕の時間はこいつに奪われる予定である。
まだちらっと見ただけだが、技術はMOD34でマップはE3と、細密化を進めたものである。基本システムまでいじったAoDとは異なり、AoDやDDAなどにマウントする――つまり文字通りに有料大型MODと考えるべきだろう。
あとで試すつもりだが、バイナリ部分をAoDやHOI2に依存するのであれば、普通に日本語化ファイルが使えるはずである。
パラドゲーの通弊として、しばらくの間は有料β扱いになるだろうが、それでも楽しみだ。

2010年9月27日月曜日

長月廿七日

さて、中国問題について、考えを整理しよう。

(1)歴史的に、中国は多様多彩な民衆を支配するため、強力な中央集権制度を構築・維持してきた。
(2)だが、それにもかかわらず広大な国土と多様な民衆を支配することは困難で、実質的には地方へ大きな権限を委譲せざるを得なかった。
(3)近代以降、植民地化されてきた中国は、その克服を通して近代化を進めてきた。
(4)近代化において必要な国民の形成は、最も大規模かつ先行していたヨーロッパ列強を追い出す形で侵略を進めていた日本を敵としながら進められてきた。
(5)改革開放により経済の自由化が進められたが、このために生じた政治的自由への希求は、天安門事件という形で噴出した。これは暴力と日本に対するナショナリズムを煽り立てることで抑え込んできた。
(6)市場経済の成長路線は、今後も放棄されることはない。このために政治的自由への希求がより強まるはずだが、現在の共産党独裁を放棄することは考えにくい。
(7)今後の経済発展を維持するためには、相応の資源が必要であり、また大量の輸出品を販売する海外市場へのアクセスが必要となるが、そのためには現在海洋の覇権を握るアメリカと、その東アジアにおける最も有力な同盟国である日本と対立する可能性を、潜在的に抱えている。

以上が歴史的経緯および現在の情勢から判断される中国の状況である。この状況判断は近未来においても有効なはずである。
以上から、さらに次の推測を導き出せる。

(A)経済的自由は、より合理的に経済活動を進めるため、政治的自由を希求する。よって現在の共産党独裁に対する圧力は高まり続ける。
(B)既得権を持たない多数の低所得層は、政治的にきわめて不安定な「大衆」である。彼らを抑えるには、充分な所得もしくは社会保障を提供するか、ナショナリズムを昂揚させて不満を抑圧させるか外部に向けさせるしかない。
(C)人口が多すぎ、地域格差の激しすぎる国内事情から、経済的に問題を解決することは難しい。ナショナリズムの昂揚、特に上述の経緯から日本に対するナショナリズムの昂揚が手段として用いられるだろう。
(D)ナショナリズムを煽ることは、ヨーロッパにおいては第一次大戦、日本においては第二次大戦に至る道程で経験しており、現在では有効ではないが、中国のような近代化の過程にある国では今なお有効である。教育水準の低さと政治的自由の制限による情報の偏りもそれを助長している。だが、その矛先は往々にして弱腰過ぎると受け止められた政府に向きかねない。
(E)教育水準、所得水準の高い中所得層以上および中央政府は、日本との全面的な対立が経済活動に悪影響を及ぼすことから望んでいないはずである。だが、低所得層及び地方官僚は、その恩恵に与りにくく、またその利益よりも近視眼的利益のほうをより重視する可能性が強く、また上述の理由により中央政府がそれを完全に統制することも困難である。

よって、中国は日本に対するナショナリズムを強調するし、それをコントロールすることは、思想信条の自由を制限しているにもかかわらず極めて難しい。
また、ナショナリズムを煽ることはあっても、日本との全面的な対立にまで持ち込まれる可能性は低い。仮に持ち込まれたとしても、現時点で中国が日本を屈服させることは困難であり、またその場合、経済発展には多大な支障が出る。

以上が中国の現状から推測される対日政策の基調である。
逆に日本からすると、中期的(数十年程度)には、日本と中国との総合的な経済力については、格差が広がっていくだろうし、高付加価値産業や研究開発能力も、じりじりと差を詰められていくだろう。またその間、政治的な圧力は高いままである。

日本という海洋国は、基本的に戦争に向かない。正確に言えば、長大な海岸線を抱えていることから防御的な戦争には弱いため、攻撃的な(侵略的な)戦争が向いているということになる。だが、これは現在の覇権国家であるアメリカと協力するか潰すかのどちらかを行う必要がある。かつては後者を望んで失敗したため、現在は前者の方針を採用しているのだが、当座の所、アメリカは中国と全面的に対立する必要を感じていない。というか覇権を維持している限り、現状維持で問題ない。覇権を握るというのはそういうことだ。
中国は、地政学的にはドイツやロシアと同様、大陸国家と見なし得る。つまりアメリカ(あるいは日本)相手に侵略的な戦争を起こしにくい。
かつてのソ連同様、中国もまた外洋海軍の建設に力を入れているが、これには時間と金がかかる。十年やそこらでどうにかなるようなものではない。

要するにどういう事かというと、日本からすれば中国は今後数十年にわたって最大の仮想敵国であり、政治的には最大の敵性国家であるが、向こうから全面的な対立もしくは戦争を仕掛けられる可能性は低いし、万一そうなっても負ける可能性はさらに低いと判断していいということである。

ちなみに、こう書き連ねてきたが、日本と中国とが経済関係で反目する可能性はあまり高くない。全面的な対立に陥ったら話は別だが、そうでない限りは、表向きは友好的な関係を維持する。中国も世界経済の一員であり、最低限のエクスキューズは守る義務がある。例えば今回の一件でレアアース問題を取り上げたが、本当に対日禁輸を行った場合、中国が被るダメージは政治的なものだけでなく、経済的なものとしても相当なものとなったはずである。
良く言われることだが、経済的な依存関係は戦争を阻止する決定的な要因とはならない。日本がアメリカに喧嘩売ったという事実は、軍事や歴史に関心のない人間からは、どういうわけか忘れ去られがちである。

さて、そうであるならば、日本が中国に対して必要以上に友好的に振る舞う必要はない。上辺は友好的な関係を標榜し、経済的関係もそれなりに深めつつ、政治的にはギスギスしていて良いわけである。
というか黙っていてもそうなる。少なくとも向こうにはそうする理由があるし、短期的な理由でそうしないことはあっても、何かのイヴェントが起こればすぐに覆る程度のものでしかない。小泉政権時代の政冷経熱を経て、政治的にも友好ぶりを演出してきたが、それが上辺だけだったことは今回の一件からでも明らかである。
となると、日本が上辺以上の友好を求めても無駄だし、囚人のジレンマを思い起こせば、必要以上の友好を求めることは、それが相手への一方的な譲歩を意味するわけだからして、不利益ですらある。
最低でも、相手と交渉できるカードを用意しておかねばならないし、可能であれば、対中関係のイニシアティブを握り得るだけの用意は調えておくべきだろう。
以前にも書いたが、僕は中国の政治的不安定を更に煽動する、もしくはそうなりやすいよう環境を整えておくことは有効だと考えている。
もちろん実際に煽動するのは愚策である。エクスキューズを守ることは大事である。可能な限り婉曲に、見えにくい形で。反体制組織への間接的な援助など、方法はいくらでもある。

実際に中国が政治的混乱状態に陥った場合、日本が被る政治的・経済的不利益は決して小さくはない。最悪、核ミサイルが飛んでくる可能性すらある。
このあたりのリスクマネージメントは当然進めておかねばならない。というより、それを踏まえて軍事面・経済面での対処法を用意しておく必要がある。

軍事面での対応は、現在進めている軍事力整備の方向性で正しい。小規模な弾道攻撃への防御、対潜水艦・対戦闘機能力の向上、島嶼戦闘能力の整備。いずれも合致している。戦闘機の導入だけはうまくいっていないみたいだが。
経済的には、チャイナリスクの認識ということになるが、政府から直接手を入れにくい分野ではある。が、代替資源の開発や備蓄整備などは進めているし、中国以外における新規生産拠点の開発も進めているわけだから、ある程度の成果は上がっているのだろう。


……とまぁ、こんな話をnoriともりりんにしたら、もりりんから「ゲーム的すぎる」と言われた。
まぁ、それは僕も自覚してはいるが、極端な話、最悪の場合は相手と戦争するぐらいのつもりでいなければ、最悪の場合は戦争する必要があると考えている相手との交渉なんぞ、勝てるわけがない。
極端な手段というのは、それを使うのは負けになるが、それを用意できないのであれば、それはゲームに参加できないもしくは自動的に敗北するという意味で、やはり負けであろう。
ポーカーの例を再び持ってくるのであれば、対等な条件を持つ者同士のゲームであれば、ブラフかどうかは最後まで分からないわけである。最初から降りるラインを示している相手なら、どこからがブラフであるか分かっているわけだから、必勝とまでは言わなくともきわめて有利であろう。
僕にしても、実際に中国に謀略の限りを尽くせとは思っていない。が、それを行うだけの能力を備えておけば、実施するかどうかの意思を交渉の材料として用いることが出来る。交渉の材料も持たずに交渉なんぞ出来るわけがない。
北方領土にせよ竹島にせよ、日本人は交渉材料を用意せずに交渉を行おうとする悪癖というか無邪気な癖があるように思える。バブル前とは異なり、圧倒的な経済力なんてものは失われたのだから、いい加減夢からは覚めるべきだと思うのだが。

2010年9月25日土曜日

長月廿五日

昨日は、リポジトリ関係者の研究会があった。
いろいろと面白かったが、中でもH大担当者の発表が興味深かった。
リポジトリを整備するには著作権の処理が問題となるが、これをいかに処理するかというお話。
今後書かれる論文については、リポジトリを担当する組織に対し、複製権と公衆送信権を承認することで、著者の著作権を維持しつつ、リポジトリとして論文をオンラインに掲載することが可能となる。
またこれまでの論文について、特に著者が故人となっているような古いものについては、サイト上で公示することで、許諾に換えるものとしている。要するに文句がなければ勝手に掲載するというわけである。
著作権法上問題のある行為なのだが、営利の手段ではないことと、いちいち許諾を取ることが現実的ではないことからの、非常手段ということである。
こうした方法については、印仏研などいくつかの大手学会誌ではすでに行われている。これは参考にすべきだろう。

本来、正規の職員のみを対象としているところを無理やり参加させてもらったので、打ち上げと二次会はタダだった。素晴らしい。


酔っぱらって帰宅したら、中国船の船長を釈放したとのこと。
正直、しばらく理解できなかった。アホじゃなかろうかと思わざるを得ない。

この手のビットは、相手の手の内をすべて晒させるのが、当たり前の目標となる。
中国側がレイズを続けていたのであれば、黙ってコールし続けるということである。

フジタの社員が人質になったわけだが、命を取られる可能性は極めて低い。仮に処刑してしまえば、それこそ日本に対して一方的に中国をたたけるワイルドカードを渡すことになるからだ。
レアアースもすぐに備蓄が尽きるわけでもなし、味方を作ってWTOに持ち込めばいい。というか日本が動かずとも動いてくれるようにも持っていけるはずだ。

コールし続ければ、北京は振り上げたこぶしの下ろし所に困ることになる。交渉するならそれからだろう。
一時的に対日感情は悪化するが、これはどのみち避けては通れないコストだし、必要であれば中国に世論操作を求めればいい。おそらく、黙っていても中国政府は世論操作を行うだろうが。
今降りれば、相手に格好の攻め口を与えることになる。
もちろん、次に侵入してきた漁船を拿捕することも可能だが、わざわざそうするメリットがない。

いやほんと、今釈放してどんなメリットがあるんだろうか。さっぱりわからん。


追記
中国の対応が日本政府の予想を超えるのは、充分にあり得る話なので、そこで腰が引けたということ自体は別におかしくはない。
一番いいのは、ゲームを始める前に相手の対応を読み切ったうえで、コールするかドローするかを決めておくことだが、これは現実的には難しい。基本的には相手の出方は推測するしかない。となれば、推測を誤ることもあろう。
今回の最大の問題は、結構な額まで掛け金を釣り上げたところで降りたことであろう。相手が引くに引けないということは、初期の時点で分かっていたはずだ。
ゲームを続けていれば取り返しがつかなくなるという段階には至っていなかったし、その意味では中途半端に過ぎる。
今後ゲームが行われるに際しては、日中双方とも、この結果がスタートラインに影響を及ぼす。日本にとってはどういう意味でも悪影響しか及ぼさないだろう。

2010年9月20日月曜日

長月廿一日

おおむねKindleと格闘する一日。

青空文庫のデータをPDF化する青空キンドルを使って、幾つかのデータを落としてみたのだが、読めないものもある。また、「々」など一部の字は対応していないらしく、読み込めない。このあたりは今後のアップデートで解決される……といいな。


おとつい、3年に及ぶ留学生活を終えて帰国してきたMさんを迎え、H君と三人して晩飯を食ってきた。
中国語は上手くなったが、後はあまり変わっていないような彼女から、色々と面白い話を聞けた。
聞いたと思ったが、今こうして文章にしようとすると大して思い出せない。酒飲んでいたからというのが大きな理由だろうが、まぁ、仕方がない。

あまり役には立ちそうにない話は、しっかりと覚えている。これはいつもの通り。
どういう話からこう繋がったのかよく覚えていないのだが、とにかく、中国との付き合い方みたいな話題だった。
やはり政治的な意味での思想信条の自由がない国なので、色々と難しいところがあったりするそうである。
まぁ、留学生故にというのもあるだろうし、それ故に許されるというのもあるみたいだが。
チベットや台湾、新疆なんかのネタが代表格だろう。あまりおおっぴらに話せないわけである。
特に教授ともなると、建前をきちんと守らないと、自分の首が危なくなる。
なんだったかの折りに、彼女がそうしたネタを口にしたら、それっきり黙り込まれたこともあったそうである。
日本でいう近世以前(あちらでいう古代)を扱う場合は、歴史学でも比較的事実求是の原則が守られるはずなのだが、まぁ程度というものがあるわな。特に外国人にはそのあたりの微妙なラインは見えにくくても仕方がない。

で、そこからどう繋がったかやはり忘れたが、日本にとって、まずい状況に陥った上での中国との付き合い方みたいな話になった。
僕としては、中国は分断して内戦状態にあってくれた方が、日本にとってはまだマシ(良いと思っているわけではない)と考えており、そのように話した。
チベット近代史をやっているH君も似たような意見である。
Mさんはあまりお気に召さなかったようである。


以下は、Mさんとの会話とは直接の関係はない。

基本的に僕の政治、特に国際政治に対する見方は、友好とか理想とかに頼らないドライなものである。
損得のみ。相対的には、損か大損かという選択肢もあり。そんな二択に追い込まれないのがベストだが。
一番良いのは、上の表現に倣えば、得か大得かというものであろう。ここ数年よく聞く「ウィン・ウィン」というヤツである。よく中国政府の人間がこれを口にするが、わざわざこんな言葉を連呼するということから、逆にいかにこうした概念から遠くにいたのかよく分かると思ったりするのだが、これは穿ちすぎだろうか。
それはともかくとして、相互互恵関係というのは、それなりの理由がないと存在しない。互いの利害を補完し合う関係にないと、基本的に成立しない。
中国と日本とでは、このあたりで噛み合わなすぎると、僕は思っている。
中国にとって、日本と仲良くすることで得られるメリットと、日本を敵にすることによって得られるメリットがあるわけだが、歴史的経緯から、前者に比して後者の方が大きすぎる。
中国にとって、協力者としての日本の存在は絶対必要ではない。日本にとってもまた然り。日本の場合、現在の覇権国家であるアメリカの存在がなければ、また分からなくなるが。

それでも仲良くするだけならタダだし、他に面倒がないなら仲良くして悪い理由は全くないのだが、面倒が発生した場合はそうも言っていられなくなる。
今起きている尖閣問題なんかがその良い例だろう。仮に日本が全面譲歩したところで、尖閣以外の何かが問題になるだけである。中国は、圧力の高まる一方の国内を抑えるのに、反日という呪文を必要としているし、これを必要としなくなるということは、少なくとも現在の体制である限りは考えられない。
反日以外の呪文で国内のガス抜きが出来るなら別だが、そんなものは今までの歴史に登場してこなかったし、ガス抜きの必要がなくなるまで圧力が下がるということは、国内全てが「平等に」豊かになっているか、政治が致命的なまでに混乱──要するに共産党政権が崩壊──しているかのどちらかしか考えられない。
人類の歴史上、全ての人が貧しくなって政治が安定することはあっても、その逆がなかったことを考えると、前者の選択肢はあり得ない。後者については、当然共産党政権が望むはずがない。
よって、中国が反日という呪文を手放すことは考えられず、今後も似たような展開になることであろう。

逆の観点から推していくならば、あまりに中国の脅威が高まりすぎた場合、共産党政権の崩壊を目指すというのは、日本の立場からするなら検討していい選択肢となるはずである。
もちろん、その場合は厖大な難民や経済混乱など、非常に大きなリスクを伴うことになるので、安易に採っていい選択肢ではない。(そういえばMさんも口にしていた。ただし、僕からすればこれは対処可能な問題であると思う。コストは嵩むが)
が、損と大損とを比較するならば、話は別になる。日本を敵とすることを宿命付けられた国家がどんどん強大になっていくことを考えれば、状況次第ではリスクを取った方が良い場合もあろう。

日本を敵視することはやむを得ないとして、その上でそのような極端な手段を採らなくても済む体制というのはどういうものだろうか。
例えば韓国は、歴史的経緯から日本を敵視するという点では中国と同じだが、一面で双方とも深刻な危機を想定せずに済んでいる。これは双方がパックスアメリカーナに組み込まれているからであり、また政治的に劣位にある日本が、経済的には優位にあるというためであろう。
中国はこのいずれにも該当しない。新しい関係を築かないことには、この先きわめて不安定な局面に陥った際にどうなるか分からない。
日本の利己的な利益のみを考えるのであれば、中国を解体し、韓国とよく似た政治体制の国家を樹立し、その国と韓国とよく似た外交関係を構築すれば、安定する可能性は高い。
もちろん、これは中国が再び分裂状態に戻るということであり、中国、特に現在権力を握っている共産党にとっては大損である。何としてでもそれを防ごうとするだろう。
であるならば、それは交渉材料に使える。あくまで、中国が国家分裂した際のリスクを覚悟するという非常手段ではあるが、中国への分裂工作を婉曲な形で進めておくことは、別の案件でのカードに使える。

こうした露骨かつ対抗策を見いだしにくいカードというものは、その準備だけでもかなりの面倒事になる。中国や韓国が歴史問題で攻め立ててきたときに、日本が感じる不快感を更に強烈にしたものだろう。
よって、その準備はかなり慎重に行うべきだろうし、またその行使にはさらに慎重になるべきであろう。その意味では核兵器に似ている。
が、日本が表に出ない形でという条件を満たせるのであれば、ある程度は進めておいた方が、この先を考えると賢明なのではあるまいかと、僕は考えている。

実際、表に出ないだけで結構やってはいるみたいである。長くなりすぎるので今日はもう止めるが。

2010年9月19日日曜日

長月十九日

Kindleが届いた。
はえぇよ。

発送が9/17となっているので、2日後の到着と来るならば、国内のデポから届いたということになるのだろう。まぁ、ロジスティクスが強いのはAmazonの力の根源なのだが。
まだ保護シートが届いていないので、元からついているフィルムはそのままにして使うことにする。

早速起動してみる。
随所でいわれていることだが、E-Inkの力は偉大で、とても液晶画面に表示されているものとは思えない。確かにこれは凄いわ。
画面サイズについては、やはり随所でレビューされているとおり、新書サイズまでならストレスなく快適に読めるのだが、A5で小さく感じられ、A4になるとかなり読みづらいものとなる。B4になると読めたものじゃない。
まだ多くはチェックしていない──というか、こうも早いとは思わなかったので、データの大半を仕事場に措いてきてしまった──のだが、幾つかのファイルで試してみたところ、オーソドックスなA5サイズの論文なら、何とか読めそうである。それでも文字は小さい──おおむね7~8ポイントぐらいだろうか──ため、老眼の人には辛いはず。
一応横に倒した状態で表示させることも可能である。この場合、画面サイズがおおむね1.5倍になるわけだが、当然画面の上下は半分になるので、使い勝手は悪くなる。基本的には非常手段と考えるべきだろう。

ある程度覚悟してはいたが、全てのデータのデジタライズというのには、やはり無理がある。先達が述べているとおり、差し当たっては文庫・新書が中心となり、A5サイズまでが実用限界ということになるだろう。
これ以上のサイズの図書をデジタライズしたければ、DXかiPadを手に入れる必要がある。アレならひとまわり大きなサイズまで対応できる。
文庫やコミックを除けば、図書のほとんどはA5ぐらいで、文書類を含めるとしてもA4サイズまでがほとんどなので、やはり将来的にはそこまで至る必要があるかも知れない。

なお、一部のフォントが対応していないらしく、文字で表示されないものがある。日本語や中国語で若干そういう例があったのだが、具体的にどれがそうなのかは今のところ分からない。このあたりは今後のアップデートに期待しても良いだろう。

本来、Kindleは電子図書を読むことを前提としており、PDFはそもそも対象外だったことを考えると、僕の使い方の方がおかしいわけである。
が、日本の電子出版が近い将来に大きく前進するという見込みは、色々宣伝が為されてはいるのだが、僕としては悲観的である。少なくとも、紙の本と同程度の値段設定をしようと考えている間は、売れ行きが大きく伸びるとは思えない。英語版は1割引にしたことで大きく売上を伸ばしたのだが、日本でそれをやるには再販制の壁が立ちふさがる。この制度を撤廃しない限り、簡単にはいくまい。

その日が何時になるのか知らないが、それまでは自炊中心というのが、日本の潮流になるのではないだろうか。多分その間に中国や韓国の方が先に進みそうである。
良きにつけ悪しきにつけ、著作権に縛られることの少ない彼らの方が有利というのは、なかなか皮肉なものであるとは思う。

2010年9月18日土曜日

長月十八日

非常に困難なものであると予想された中国全土の塩政史関係データ入力だが、予想よりも好調である。

基本古籍庫のテキストデータは、200文字以内しかコピーできないという制約がある。
もちろんこれは悪用を防ぐためだが、使いにくいことには違いない。
が、それは我慢すればいい範疇の問題ではある。少なくとも手打ちで入力するよりは効率的だ。
で、文字位置調整のために改行部位には全角スペースを使っているのだが、これはExcelのデータ区切り機能を使い、スペースでデータを区切ってしまえばまとめてつぶせる。
これにより、例えば

成都縣行鹽陸引一千八百五十四張於簡州買鹽至本縣行銷  華陽縣行鹽陸引二千一百張於簡州買鹽至本縣行銷

という文字列は、

成都縣行鹽陸引一千八百五十四張於簡州買鹽至本縣行銷
華陽縣行鹽陸引二千一百張於簡州買鹽至本縣行銷


とふたつのセルに移しこむことができる。
さらに楽をしたいなら「鹽」と「於」などで切っても良いのだが、まぁそこまでせずとも各セルにほしいデータをコピペすればいいわけであり、その隣のセルに算用数字に置き換えた塩引数を入力するわけである。観数字を算用数字に置き換えることもできるだろうが、まぁそれもいい。
すると、

成都縣 陸引一千八百五十四張 1854
華陽縣 陸引二千一百張 2100


という感じになる。最終的にはこうして得られた数字を合計するわけである。

以上の作業は、ほとんどすべて四庫全書本のデータである。もう少しいろいろな時代の史料を欲しくもあるのだが、ある時代において網羅的に集められたデータというのは、建国当初を除けばなかなか得られないものである。四庫全書本のデータはおおむね雍正10年ごろのものなので、清中期ごろのデータとしては重宝するものになるだろう。

まぁ、やっぱり今月中で終わらせるのは無理だろうけど。

2010年9月17日金曜日

長月十七日

円高にものをいわせ、Kindleを買うことにした。正確にはKindle3。先月出たばかりだったか。
2までは日本語フォントに対応していなかったそうだが、3では日本語と中国語に対応しているとのこと。
まぁ、よくよく考えてみると、Kindleを使って読みたいものは、大半がPDF化された論文などの文書なのでOCR機能を使うつもりがなければ、あまり問題なかったような気もする。PDFは2から対応してたんだっけ?

いずれにせよ、ウチにある論文その他を大量に処分できるというのは素晴らしいことである。
処分だけならいまでも出来るのだが、これを読める環境がPCしかないというのが難点だったため、どういう形であるにせよ携帯端末を導入するまでは、本格的なペーパレス化を進める気になれなかったのだ。
ついでにいえば、PDF化の作業は仕事場のScanSnapを使っているのだが、これも自前で欲しいところだ。裁断機だけは大学のを使った方が良いけど。

Kindle3はWiFiモデルとそれに加えて3G通信規格モデルの二種類がある。後者の方が通信速度は速いが、50ドルほど高い。
動画を観るとかならともかく、テキストデータであればせいぜい数メガ程度だし、WiFiのみ($140)で充分だと思ったが、何となく3Gモデル($190)を買った。どういうものかよく分からないので、円高による分を突っ込むくらいのつもりでそちらのしたのだが、素直にWiFiモデルを買って差額の50ドルで何か別の本でも買えば良かったかもしれない。
で、送料・完全を加え、$220.48(19,282円)なり。予算の2万円をぎりぎり割った。
ちなみにその後、保護フィルムを買おうと思い立ったので、+1400円。見事予算オーバーである。

すぐに来るとは思わなかったが、昨日発送通知のメールが届き、来週の水曜には届くらしい。早いと言えば案外早い。この手に受け取って保護フィルム貼って初回起動に成功するまでは信用出来んが。
なお、一応対抗馬として日本橋に行った折りにiPadも見てきた。
面白いオモチャではあるが、オモチャとしての機能を充分に発揮させるには、通信費を捻出する必要がある。携帯をソフトバンクに変えてiPhone+iPadという組み合わせなら安いのだろうが、そこまでする気もないし。
iPadとKindleの最大の差は、色が付くか付かないかということ。Kindleは色が付かない代わりに、2色限定ならiPadよりも優れている(らしい)。

僕としては、動画なんかはPCで見ればいいので、Kindleで充分である。
もりりんと話していたのだが、彼がコレクションしていて置き場所に困っているGun誌などは、写真ページが結構重要である。女の子じゃなくて鉄砲だが、グラビアと同じだ。こういう場合はiPadが良いか悩ましい。僕としては、PDFなり何ならBMPなりでデータを持っておいて、絵を見たいならPCで見ればいいと思うが、このあたりは個人差があるだろう。

ま、来週が楽しみではある。

2010年9月15日水曜日

長月十五日

入力すべき各省志の塩政志からプリントアウトしてみたのだが、紙束の厚さに心が折れそうです。
とりあえず今月中とか無理だわ。
まぁ、何時かは終わると信じて……!(ご愛読ありがとうございました)



先日から、少し考えていることがある。
一応、歴史なんてものを研究していると、時代の変化というヤツにある程度の感覚を持つようになる。もしくは持つように心がけるようになる。

「今は変革期」とか「時代の変わり目にある」なんて、よく聞くセリフだが、実際の所、変わらない時代なんてありゃしないし、せいぜい80年ほどしか生きない人間にとっての変化に過ぎない、と僕なんかには思えてならないようなことも多い。

例えば、アメリカの金融危機なんかが良い例だ。
「100年に一度」なんて連呼していたものだが、ブラックサーズデーもブラックマンデーも無視ですか。第一次や第二次大戦の戦中・戦後の不況は無視ですか。
ブラックマンデーはともかく、それ以外については、もはや直接的な経験としては知らない人の方が多い。所詮は同時代人にとって衝撃なのであって、半世紀ほど、もしくは数世紀ほど後の視点から見てみれば、それほどの変化ではなかったことも多い。

ブローデルやウォーラーステインなどの提示した歴史の見方として、「長い歴史」という概念がある。文字通りの意味で、長期的な変化についての概念だ。
ブローデルは、個々の事件や変化について述べた「短期的変化」、数世代単位で刻まれる社会・経済的な変化について述べた「中期的変化」、地理的条件など簡単には変わらない「長期的変化(持続)」という三つの時代区分を用いて、地中海の歴史について述べた。
つまり、個々の変化を見ていただけでは、長期的な変化を見落とすことになりかねないというわけである。

で、この概念を援用して、時代区分を行うことが可能となる。
短期的には、これまで同様の事件についての歴史。ある特定の変化について述べる。
中期的区分については措くとして(必要かどうかはテーマに依るだろう)、長期的区分としては、「近代」とか「中世」とかが挙げられる。

中国史を研究する場合、古典的なマルクス史観に基づく時代区分や中国一国を強調する時代区分などが存在するが、どちらにしても難がある。これについて議論を行い出すときりがなく、実際、きりがなかったため、最近の研究者はこの問題についてほとんど触れることがない。僕も願い下げだ。
が、世界史レヴェルで歴史をみる場合、やはり時代の大きなくくりは必要だと思う。ウォーラーステインなんかは、「近代」という時代を、15世紀にヨーロッパで誕生したある世界システムが発達して、世界を包含していく過程として捉えている。
これについても異論はあるわけだが、僕としては、大筋として間違ってはいないと考える。
で、この「近代」という時代がいつまで続くのかという問題だが、彼はもうじき終わるのではないかと考えているようだ。

長らくこの点について考えるところがなかったのだが、最近になって同じように思うようになってきた。
「近代」という時代は様々な要素から構成されているのだが、あるひとつの側面から見るなら、特定地域への資本の集中と、それを原資として進められた工業化による富の拡大・集中の時代と見ることが許されるだろう。換言すれば、物質的価値の飽くなき増大が図られた時代ということである。
要するに、植民地から収奪してきた富を元手に工業化を進め、その製品を売りつけることで更に資本を増やしていくという過程である。
この考え方は、1960~80年頃まで適切だったと思う。つまりは植民地というものが、名実と共に地球上から消え去っていった時代までということである。
広義の植民地、つまり不等な関係で資源を収奪される側というのは、現在もある程度は残っているわけだが、かつてほど明瞭な形では存在しない。

さて、話を少し戻そう。工業化を進め、あるいは発達した金融業による資本そのものの集中・管理により、その地域が豊かになっていくというのが、近代における「豊かな」地域の特徴である。
この構造の根本は、工業化(モノカルチャーなど農業の近代化も含めて良いだろう)によって多量の商品を生産し、それを消費させるというものである。この過程で多量の資本が運用されるため、それを握る者は大きな力と富を得る。
では、モノとしての商品がひと通り充足され、これ以上のモノを必要としなくなった社会があるとすれば、どうだろうか。もちろん、消費財は必要だし、新製品もある程度は消費されるが、生存のための需要は大きくはない。それを大きく必要としないほど、社会的インフラが整備されている社会である。

要するに、今の日本だ。
他の先進国も多かれ少なかれそういう傾向にあるが、特に日本においては、生きるのにさほどの資本を必要としない。「健康的で文化的な最低限の」生活という概念は決して現実化しない空文ではあるが、他の社会と比較してみれば、かなり高いレヴェルで達成されていると言える。
まぁ、いつまでこの状況が続くのかは知らないが、数年や十数年で崩れるようなものでもなさそうである。
これとて日本以外の地域から富を収奪した結果ではあるのだが、かつてのような一方的な傾向は強くはない。日本という地域に集積された様々な形態の資本が生み出す価値により、富を手に入れていると考えて良いだろう。

かつてと異なり、日本など先進国でなくてもかなり豊かな生活を送れる可能性が高まりつつあると思う(ここでは貧富の問題を無視する。詳述しないが、歴史的に見れば相対的にはこの問題は弱くなっていると考えられるためだ)。となると、世界全てが、資本の飽くなき集中を目指した時代を終えられるのだろうか?

こうした構造が持続するには、ふたつの問題がある。

ひとつは環境問題。いうまでもなく、現在の経済は物質的価値を生み出すのに環境(天然資源を含む)を消費している。ゼロエミッションが近い将来に達成できそうにないこと、大航海時代のヨーロッパの如く世界を拡大するため宇宙に進出するには、いまだコストが嵩みすぎることから、これまでのように資本を増やしていくことは難しい。

もうひとつはシステムそのものの問題。近代化というもののもうひとつの見方は、技術革新による生産性の向上というものであると思う。
例えば、9人の農夫がひとりの都市生活者を支えていたとする。9人の農夫は、彼らが生産した価値から、自己の再生産(これには家族の扶養や彼の生活を守る行政・軍事機構への納税も含まれる)に必要な分を取り置き、残りを流通させる。流通過程(この過程で一定の価値が消費される)を経て都市へと物資は流れ、都市生活者の生存を賄う(この対価として彼もまた価値を生産し、提供する)わけである。
技術が発達し、農業生産性が上がると、8人の農夫がふたりの都市生活者を支えられることになる。
都市生活者は工業生産品や技術などを開発・生産し、それを提供する。都市生産者のアウトプットが増えれば増えるほど、全体としての価値は増えていくというわけである。
もうひとつ例を出そう。10人の工員が居たとする。機械を導入したことにより、8人で良くなった。2人は研究者なり金融事業者にでもなったとしよう。つまり工員よりも大きなアウトプットを出せる職である。機械の性能と導入規模が増えることにより、必要とされる工員の数は減り、より大きな価値を生み出す職に従事できる人間が増え、全体としての富は更に増えていく。

このモデルには欠陥がある。技術革新によりある業種に必要とされる人員が減ると、余剰人員はより生産価値の高い業務に就き得るということは、あくまで仮定である。適切な雇用の受け皿が存在しないと、失業することになる。つまりアウトプットはゼロになる。
となると、必ずしも生産性の向上を目指すという方向へのみ、指向されるとは限らない。生産性が低くとも、雇用の維持のため、あえて現状を維持するという選択肢も充分にあり得る。日本の農業なんかが良い例だろう。

また、上述したように、生存に必要な価値を高いレヴェルで充足してしまい、これ以上の価値への需要が高まらない場合も、生産性向上へのモチベーションが高まらない。生産性を向上させても需要がなければ意味がないからだ。

以上、長々と述べてきた考えが妥当だとするのなら、物質的価値の増大を目指してきた近代という時代が、終わりを迎えつつあるのかも知れない。
では、ポスト近代とはどういう時代か? こうなると歴史屋の守備範囲を超えるが、あえて臆測するなら、物質的価値以外の価値が高まる時代ということになるだろうか。
こう書くと、途端にうさんくさく感じられてしまう。宗教じみてくるからだろう。確かに宗教というのも非物質的価値のひとつだが、それに止まるものでもあるまい。広義の文化はほぼ全て該当するだろう。
そう言い切ってしまうと、今度はひと昔前のSFで描かれた理想郷みたいなことになってしまいそうだが、まぁそちらもあるまい。
環境・資源の問題はどのみち解決せねばならず、そうなると宇宙に出るしかなくなる。そのためには莫大な資本と更に先進的な技術が必要となる。こちらは近代的価値そのものであるため、これまで通りの枠組みが充分通用するわけである。

よって、その両者のバランスが取られることになるわけである──と書いていて思ったが、それって、結局従来とそれほど変わらないのではなかろうか? 剰余価値を文化と技術開発に投資し、それによって社会の安定と発達を促す……変わらんなぁ。
ま、宇宙に出られる/出なければならなくなるのは、もう少し先になるだろうからして、それまでは文化が相対的に重視される時代になるのだというあたりなら許されるだろう。
なんか、大航海時代を控えたルネサンス時代の到来を予測しているみたいな感じになってきたなぁ。時間をかけて、もう少し考えを整理していこう。

2010年9月11日土曜日

長月十一日

論文に限らないが、面倒な部分と面倒でない部分がある作業を片づけるときに、どこから手をつけるか。
食事の際に好きな料理から食べるか、もしくはケーキのイチゴから食べるか、人類永遠のネタである。

僕はというと、順序はあまり気にしない。というか、好き嫌いでソートしない。五十音なりなんなり、主観の入らない方法が好みである。食事の際はまた別だが。
そうはいっても、異なる種類の作業を、どちらから片づけるかなどという場合は、主観によって決める必要がある。コイントスで決めても良いんだが。

というわけで、明代と清代の、行塩地・塩引数・人口を調査しなければならなくなった現在、どこから手をつけるのか、決定する必要ができた。

で、一番楽そうだった人口について……論文に掲載されている推計値をExcelに入力するだけの簡単な作業です。未経験可。

改めて自分のデータフォルダを確認してみると、すでに入力してました。簡単な作業だけに。

仕方ないので、次に塩引数を入力することにする。いくつか出ている省志から塩政志をコピーし、そこから該当する数字を入力する。
かつてはクソ重い図書を借り出し、1枚10円のコピー費を払って、いちいちコピーを取っていたものである。また単純なデータの集積なので、無駄にページが多かったりする。
時代は進歩し、基本古籍庫から必要なデータをプリントアウトするだけで良くなった。コピペがベストなのだが、さすがにそこまで親切な設計ではないので、ワンクッション置くのは仕方がない。OCR処理は為されているので、コピペ自体は不可能ではないのだが、コピーできる分量に制限があるのだ。
というわけで、地名と数字をいちいち入力しているが、考えてみれば、一番面倒くさい地名ぐらいはコピペしたほうが早いかもしれない。まぁ、今使っている環境からは基本古籍庫にアクセスできないのだが。

現在、雍正刊本の河南通志の作業を進めているのだが、これを十三省分行わねばならないということになるのだろうか。広東と広西は作業の必要がないとしても、あと10省である。考えだけでも死ねそうだ。
頭の中を、エスカフローネのOPのサビが流れる。「のぉみそ、などいーらーなーい」
まぁ、いつか終わる作業である。史料も集めにゃならんし、今月いっぱいでこの仕事が終われば良しとしよう。

2010年9月9日木曜日

長月九日

つらつら考えるに、明代の塩政を研究するだけでは、上手く行かないかも知れない。
もちろん、明代のみで片付けるつもりはなく、明代の研究を終えた後に清代の研究に移るつもりだったが、それでは問題があるかも知れないと言うことである。

もとより、複雑怪奇な塩政について、一度に全ての研究を行えるわけがない。
少なくとも10年前の僕には、塩政全体の見通しなど立てられようもなかった。
そこでケーススタディとして、まず明代の広東について研究を行い、そして地域を広東に絞って定点研究を進めたわけである。

現在の僕は、明代から民国初期までのパースペクティヴを得られる状態にある。地域としては広東のみだが、中国全体の全般的な傾向も予想し得るだろうというのが、現状に対する判断である。

となると、次に行うべきはその実証、つまり中国全土におけるある程度長期にわたる塩政の変化について、検討すべきである。
そう考え、まずは明代から検討し、次に清代へと進めるつもりだった。もう少し具体的に述べると、明代と清代のそれぞれ中期及び後期を対象としたいと考えている。広東においては、清代中期になると官塩供給量の調整を放棄し、需要の拡大は私塩の放置によって賄うことになったが、これは明代においても、また中国全土においても共通しているのだろうか?

ところで、研究の進め方は、まず行塩地(官塩市場)の変遷を明らかにし、次いで販売される官塩の量を明らかとし、それと人口数から得られる需要量とを比較することで、差額として求められる私塩(密売塩)の規模を求め、それによって塩政の安定度を測るというものだった。

このうち行塩地と官塩販売量は、塩政関係史料から求められる。いわば研究の中核である。
で、明代と清代の人口については、人口史の専門家である曹樹基先生の研究成果から求めていた。人口史については今なお研究が続けられているが、中国各地の人口を推計している研究としては最新のものであり、その確度も比較的高いものと、僕は考えている。
ただし、中国人口史の一般論として、明代の統計史料の正確性はかなり宜しくないというのが通説である。正確には清代中期頃まで、人口統計は信用できないものとされている。これは人口統計を製作した理由が、人口数の把握それ自体にあるのではなく、徴税台帳として製作されたため、徴税を忌避する人民が統計から遁れようとしたことと、そしてそれに関連して明代中期以降に進んだ人口の流動化が起きたことなどが理由として挙げられる。
要するに、明代から清代中期の塩の需要規模を正確に把握することは難しいということである。

となると、比較的信頼性の高い清代中期以降について研究を行い、次いで清代初期・明代後期・明代中期(順番はどうでも良いが)と進めた方が、人口数の不透明な部分についても、より蓋然性の高い推測を行うのに適当ではないかと考えたわけである。

もともと二本の論文で行おうとしていた研究であるからして、まとめて一本でというわけにはいかない。相応の時間と労力とを投入し、おそらくはその1・その2という感じで二本立ての論文ということになるだろう。
労力はともかく、時間については頭の痛いところだが、考えてみれば先の論文はまだ発表したばかりであり、1年に二本書くつもりでやれば、なんとか収まるかも知れない。時間的には長期間だが、扱う史料はほぼ同一だからだ。少なくとも、別の論文を二本書くよりは早く済みそうな気がする。

明代については『明実録類纂』を使ったが、清代については、ジャンル別の類纂は出てないはずである。地域別ならあるのだが、さすがに全部チェックするのは辛い。
それほど精度の高い史料が必要なわけでもないので、地方志あたりから塩引数や行塩地について情報を引き出し、まとめる作業を行うことになるだろうか。

2010年8月31日火曜日

葉月丗一日

編集してたらいきなり消えた。cgiを使った書き込みシステムはクズだから信用するなと思っていてこれである。cgiが悪いのかどうかは知らんが、壮絶に気分が悪い。


不愉快なので今日はこれまでにする。
信用すべきでないシステムを使った僕が悪いと反省すべきだろう。

2010年8月18日水曜日

葉月十八日

我が職場は、お盆の時期には8日にわたってお休みとなる。
まぁ、本家がお寺ということもあり、かつては職員の少なからざる数が、坊主を本業としていたこともあったのだろう。ちなみに僕の上司も本業は住職なので尋ねてみたところ、実際盆暮れは忙しいらしい。
もっとも、今となっては職員の大半が俗人であり、どれほど意味があるのか怪しくなってきている。ついでに職員は8月には夏休みシフトというヤツを取っており、通常の半分程度しか出勤しなくて良いことになっている。もちろん給料は普通通り出る。

僕はといえば、労働時間にかかわらず有休なんてものはないので、休めば休んだだけ貧乏が悪化することになる。正直なところ、職員の職員による職員のための休暇なので……書いていて腹が立ってきたので、この話題はこのあたりで打ち切ることにする。


で、お盆はnoriの家で一日ボードゲームを楽しむという習慣があるのだが、今年もそういうことになったのだが、実の所、直前まで実施されるか怪しいところだった。
彼の本業はコンクリ検査技師なのだが、大阪のコンクリ業界がここ一ヶ月以上ストを続けており、スケジュールもクソもなくなったためである。
話を聞いてみると、ゼネコンに対して待遇改善を要求、それは当たり前なのだが、その要求を遡及適用せよとのことらしかった。

当たり前の話だが、契約が既に締結され、必要な予算も確定している仕事にあって、待遇改善の遡及適用、つまり人にかける予算を増やせと要求することは、プロジェクトそのものを破綻に追い込みかねない暴挙である。だいたい、半島人じゃあるまいし遡及適用(まぁ法ではないが、契約だって同じようなものだ)なんて、法や契約の大前提をぶち壊しにしかねない要求を行う方がおかしい。
noriも当初は交渉戦術だと思っていたらしいが、全然話し合いを行おうとしていないらしく、つまりは本気で要求しているらしい。なんでも中央から派遣された専従の人間が取り仕切っているらしい。
たしか、韓国の大邱だったかで起きた起亜自動車のストがそんな感じだったはずだ。工場の労働者の意見なんぞ無視して、無茶苦茶な要求を突きつけ、話をややこしくするだけしてから、ストが終わると去っていく。困るのは現場の労使のみ。沖縄なんかの反戦・反基地運動でも似たような話があるらしいので、要するにこの手の運動のお約束なのだろう。

noriの話によると、一番困っているのはストの参加者ではなく、その周辺の人間らしい。一応、スト参加者には組合から金が下りている。が、建設というのはコンクリ労働者だけで行うものではない。彼らのストにより現場は機能を停止し、他の労働者も日当をもらえなくなっているのだが、当然ながらコンクリの組合が彼らの面倒まで見ることはない。実際、そろそろそうした業者も破綻が始まっているそうな。

ちなみにnori本人はどうかというと、「大阪以外の現場を回っている」とのこと。そりゃまぁそうだろう。が、現場までの移動時間が大幅に増えたので、忙しくなったそうな。
ついでにお盆休みの直前になってから、一時的に組合もストを解除したため、ものすごい量の仕事が舞い込むことになり、お盆休みが消滅したのだそうな。
有休とかその手の休みをもらったことのない僕は知らなかったのだが、いわゆるお盆休みとは、まとめて有休を取っても「構わない」時期なのだそうな。
つまり、必要が有れば働かなければならない。この国の常識によると、有休とは何時取ってもいい休みではないためである。

まぁ、建設業界にはご苦労様ということで。高度経済成長とバブルの時代が終わり、建設業界は少しずつ縮小していく傾向にある。今回のスト問題は、その反発として起きたひとつの現れだろう。


で、何とか行われたボードゲームの日を除くと、僕は京都の自室に籠もりっぱなしで、ずっとゲームと史料の処理を進めていた。
外に出歩くこともないので、昼夜逆転なんてものではない。いや、綺麗に逆転してただけか。夜寝て昼起きるのも、昼寝て夜起きるのも、睡眠時間と活動時間の量が大きく変わるわけでもないのに、どうして昼夜逆転するのか、少し不思議ではある。

爛れきった生活を一週間送ったことにより、体調はあまり良くない。ダルイし。典型的なクーラー病である。
その甲斐あって、実録の史料整理はほぼ終わった。次に地方志や全集を当たることになるが、その前に実録の史料だけで、当座の分析を行うのも良いかもしれない。

2010年8月11日水曜日

葉月十一日

菅政権が、韓国に対して、村山談話に則った形での謝罪を行い、宮内庁が保管する「朝鮮王室儀軌」を「引き渡す」(1964年に締結された「文化財・文化協力協定」において、日本は韓国に対して朝鮮半島から略奪した文化財を返還し、それによってこの問題は解決したため、違法に持ち去った文物を目的語とする「返還」という言葉は使えない)ことになった。

僕は、談話についてはともかく、儀軌の引き渡しは何の好影響ももたらさないだろうなと思っていたが、案の定、大した意味はなかったようだ。
朝鮮日報の日韓併合100年:「総督府が持ち出したものは全て返還対象」という記事は、権哲賢駐日大使の言葉として、今回の引き渡しが全てではないと述べている。

かねてより、韓国・北朝鮮や中国などは、日本に対して「道徳的優越」の立場を堅持する傾向があると思っていた。特に韓国についてはそうだ。
ここでいう「道徳的優越」というのは、何らかの形で被害者となった者が、加害者に対して、その被害を受けたという事実を、交渉における立場の強化材料とする傾向を指す。
もちろん、加害者がその事実に対して大きな関心を持たなければ意味がなく、強い罪悪感を抱いている場合にのみ通用する。

国家でも個人でも、罪に対しては罰を受け、罰を受けることで罪を精算することになる。法的にはその通りだが、罪悪感というような感情については、それをどのように精算するのか、もしくはそもそも精算が許されるのかどうかは、ケースバイケース、あるいはむしろ個人差による。

日本の場合、第二次大戦やそれ以前の植民地支配などについては、戦後全面的に悪とされた。つまり罪に問われたわけで、その罪は幾つかの賠償や交渉により、罰を受けたことになって、現在は法的にはほぼ精算されている(残ってるのは国連の旧敵国条項ぐらいのものじゃないかな)。
となると、残るは感情ということになる。

さて、日本はこの問題において加害者であり、また数世代を経ているので、感情面ではほとんど大きな力を持たなくなった。つまり忘れ去ってしまった。
一方、韓国や中国などは、この感情をナショナリズムを高め、国家形成の強力な道具としてきたので、今に至るも強い影響力を残している。
こうした感情の力を消し去るためには、それを忘れ去るか、あるいは無視できるほどの別の感情を抱くようになるしかない。要するに報仇の念そのものなのだから、仕返ししてやったとか、相手はもはや無視しても良いような小物であるとかの優越感に浸れるようにならないと、消え去ることはない。

仕返しするということはつまり、韓国なり中国なりが日本を植民地支配するということで、それは現実的ではない。サッカーなんかのスポーツ競技でやたら対抗心を燃やして、日本に勝てば大喜びするというのは、この感覚をささやかながらも満足させているためだろう。
優越感に浸るためには、相手より強大にならなくてはならない。正確には強大になったという感覚を持てるようにならなくてはならない。この点で、1990年代の中国と現在の中国では非常に面白い対照を見せている。

1990年代の中国は、日本に対して非常に敵対的だった。ちょうど経済成長のまっただ中で、日本が分かりやすい形でのライヴァルだったためだろう。経済成長に伴う社会的分裂を、ナショナリズムの強化によって解決しようとした江沢民政権の政治方針もあったのだろうが。ちなみに改革開放以前の中国は、日本と同じ土俵に登っていないので、むしろこの点では鈍感だったと言えるだろう。
2000年代後半以降、中国は日本よりも大きな経済力を有するようになりつつあり、この点で優越感を満たしつつあるようだ。感情の話なので、実態そのものは絶対的に重要ではないのだが、今年の時点で総GDPは日本を抜いているので、日本に対する優越をイメージしやすいのだろう。
ついでにいえば、中国は歴史的に日本よりも強大な国であり続けた。この点においても、日本に対する優越を回復するということは、その自尊心を強く満たすだろう。

韓国の場合、そういう意味では日本に対する優越はなかなか満たしにくい。総GDPの話をするなら、人口が日本の10倍の中国と、日本の半分の韓国とでは事情が全く異なるのだから当然だろう。もっとも、一人あたりGDPの話をしても、韓国が日本を追い抜くのはかなり難しい。少なくとも近未来の話としてはあり得ない。
歴史的にも、朝鮮は日本に対して中国とは異なる形での優越感を維持しようとしてきた。近世においては経済的・軍事的には不可能だったので、文化的な形ではあるが。

さて、冒頭で述べた「道徳的優越」というものは、こうした優越感を簡単に獲得できる。何せ韓国や中国が日本から植民地支配を受けたことは動かせない事実であり、それが「悪」であることは、認識の差はあれ三国共に共通しているのだから。
中国と異なり韓国は経済や軍事以外の方法で日本に対する優越感を回復しなければならない。文化面でいえば「韓流」なんかもその一つだろうが、実際問題として、文化的な影響力では日韓どちらが大きいのかなんて、考えるまでもない。
となると、「道徳的優越」ぐらいしか手軽な方法がない。
そこまでして日本に対する優越感を確保しなければならないのかというと、少なくとも韓国については然りといえるだろう。
つまるところ近代国家としてのナショナルアイデンティティの問題である。近代国家というものは、様々な方法でこれを獲得してきたわけである。

あまり自信を持って言える話でもないが、日本などの現在の先進国は、おおむね戦前から戦後の時期にかけてそれを進め、目下ゆるやかに国家の束縛を解き放し、ポストモダンの時代を迎えつつあると思う。
一応断っておくと、「現代」というのは「近代」に含まれるので。ポストモダンはその次の時代のこと。ナショナリズムや国家の優越なんてのは近代の特徴であろう。ポストモダンの特徴なんてものは分からないが、ナショナリズムや国家の力が弱くなっていくことは、多分間違いない。

何をもってモダンとポストモダンの違いとなるのかは、ポストモダンの定義すら不明瞭なので示しようがないが、少なくとも国家統合に務めなくてはならない国と、あまり意を注がなくても国家の分裂を心配しなくて良い国とでは、異なるものだと思う。

つまるところ日本は国家統合の必要性を強く感じていないし、経済・軍事・文化的に強い劣等意識を持つ必要もない。経済的衰退云々はあるが、実態としても強く劣ってはいないといえるだろう。
中国は国家統合の必要性を強く感じてはいるが、経済・軍事面で優越感を抱きつつある。実態としてはまだかなりの差があると思うが、「勢いがある」ことは確かだろうし、彼らもそう認識しているので、日本に対して強いナショナリズムを以て接する必要性を、今のところはあまり感じていない。
韓国は国家統合の必要性を感じてはいるが、経済・軍事・文化的に大きく優越しているという認識を持てないでいる。よって、日本に対して何らかの優越感を持つ必要があり、その材料として「道徳的優越」が持ち出される。

ゆえに、首相がどれだけ頭を下げようと、日本にある「略奪文化財」をどれだけ返却しようと、韓国人の日本に対しする意識は決して変わらない。変えてしまうと国が保たないからだ。

そう考えると、日本が韓国に対して謝罪したり文化財を返却することは、何の意味も持たない。謝罪や返却をしないと感情が一層悪化するのではないか、とも考えられるだろうが、よほど不味いことをしない限り、それは考えにくい。具体的にいえば、村山談話は踏襲し、文化財については言及を避ける。
本当は村山談話そのものにも問題があるのだが、今更なかったことには出来ないので、せめてあれ以上踏み込むことは止めるよう心がける。
もちろん韓国や中国からは批判・非難の声が挙がるが、実際的には大きな問題とはならないはずだ。問題に出来るような材料もないし。

こういう対応は、実に小悪党的ではあるが、政治、特に国際政治というものはそういうものだろう。村山にせよ鳩山にせよ、あるいは今回の一件を主導した仙石にせよ、善人ではあるのだろうが、善意が良い結果のみをもたらすような理想郷に住んでいるわけではないということを理解できない愚者であると言えるだろう。

2010年8月8日日曜日

葉月八日

久しぶりの連休(土曜と日曜が休み)なのに、一日部屋に閉じこもってゲームしていた。
昼頃まで寝てて、そと出るのが暑くて嫌なので、クーラー効かしてゲーム三昧。ダメな人ですね。

少しは建設的なことでもというわけで、史料の読み込みというか日本語訳を行っている。ちなみに僕は漢文を訓読(白文に句点と読点を付ける)するだけで書き下しはせず、そのまま日本語訳をする。どうせ読むときには漢文読みになるので、書き下すだけ無駄だと思っているためである。

論文に史料を引用する場合、訓読文か書き下し文か日本語訳文か、そのいずれか、もしくは二つを選んで掲載するのが普通である。僕の場合は、本文は日本語訳、註に訓読文を載せる。
となると、使う分だけ日本語訳した文章を用意しておかなければならない。また、議論を進めるにあたり、史料の大意を拾うにしても、やはり一度は読み込んでおいた方が、健全ではある。

というわけで、漢文を翻訳する。原文となる漢文は、すでに『実録類纂』からピックアップし、それをGoogle Documentのスプレッドシートに放り込んである。
ある史料について、「年次」「巻次」「本文」「訳文」を揃えるわけである。頭三つは終わっているので、翻訳だけが残る作業となる。
直接Google Documentに入力すれば良いのだが、これが非常に使いにくい。重いし、ソートなどの機能面でもExcelなどには大きく劣る。そりゃまぁタダなんだから文句は言えんが。
仕方ないので、一度シートをダウンロードしてOpen Officeで開き、ソートなどの作業を行い、史料だけテキストエディタにコピペして、そこで訳した文章を貼り付けなおすという段取りで進めている。

そこまでしてGoogle Document(正確にはそのスプレッドシート。言いにくいなぁ)を使う理由は、メディアを持ち歩かなくても、ネット環境さえあればどこでも作業が出来るというメリットがあるため。この意味ではクラウドコンピューティングの利便性は素晴らしいものがある。
まぁ、所詮はタダのソフトだし、また毛唐仕様(英語圏における運用が最初の想定となっているため、2バイト文字を扱う場合に、使い勝手が悪くなることを指す僕の造語。IME等が代表例)なので、文書なども非常に作りにくい。
実際には、僕が扱う端末は限られているので、基本的には使い慣れたソフトで作業を行い、データをGoogle Documentに放り投げるという感じで作業が行われている。Google Document附属のソフトを使うのは、どちらかというと緊急用である。そうと割り切れば充分な性能を持ってるし。

そんな感じで作業を進めてみても、まだ二割ほどしか進んでいない。ゲームやる暇が有れば、そっちを進めておけば──というのは、まぁ小学生のころからの基本的な後悔のパターンである。仕方ないね。

2010年8月6日金曜日

葉月六日

しばらく前からMount & Bladeをやっている。無印ではなく、War band版の方。
もとよりアクションゲームにそれほど関心がなく(ついでに得意でもなく)、FPSというものにも手を出していなかったのだが、中世ヨーロッパ風の割と真面目なゲームということで、買ってみた。
例によってパラドゲーなのだが、購入のつい二三日前まで半額セールをやっていたので、かなりおしい気分になった。それでも2k円――というか円高の恩恵でさらに安くなっている。これで何年も遊べるのだから、安いものだ。というか、よく商売が成立するなぁとは思う。

パラドのゲームは、HOIシリーズやEUシリーズなんかも、ほどほどのリアリティというあたりを目指していると思う。
日本では見かけないタイプのメーカーだ。というか、日本のSLGメーカーはGSを例外として初心者向けのゲームしかないが。そしてGSは上級者向けでかなりお子様お断り的なメーカーなので、パラドぐらいのそこそこ気楽にできるヘヴィゲームという(つまり中級者向け)ものは、国産では存在しない。少なくとも僕の知るメーカーからは、出ていない。

M&Bも、ありがちな魔法の武器とかモンスターとかそういうものは、デフォルトでは存在しない。まぁ、例によってそういうのを使えるMODもあるのだろうが。
少し見た限りでは、火縄銃を使ったり、逆に中世ヨーロッパそのものを舞台にしたMODなんてのもあるらしい。

数の暴力なんてのもリアルで、僕がヘタクソというのもあるが、多少強くなったぐらいでは、袋叩きにされると瞬殺される。2人で厳しい。3人ぐらいだともう駄目。
そういえば、高校の時の英語の教師が沖縄空手の使い手だったそうだが、本人の弁によると、やはり3人相手だと多少の腕の差なんぞ関係なく、素人相手でも負けてしまうらしい。
うまい人が強キャラを使えば無双もできるらしいが、まぁ今の僕ぐらいがリアリティのあるところといえばそうなのかも。

パラドゲーの例によって具体的な最終目標というものはないので、各人の気のままにすればいい。王を目指すもよし、騎士として生きるもよし、商人となるもよし。
たぶん、それなりのストーリーを加えたMODというのも作れるのだろう。日本産のゲームなら、まず間違いなくそこまで整備されているはずだが、そのあたりは淡白である。
そしてこのあたりが淡白なため、いろいろと遊べる。洋ゲーのいいところであろう。

そろそろお盆休みになるが、どうせしばらくは炎上するであろうVIC2よりも、こちらで遊んでいた方が賢明かもしれない。

2010年7月29日木曜日

文月廿九日

さて、少し前の話。

ルーピーこと鳩山由紀夫前総理については、もう少し粘るかと思っていた。
政治家として、致命的に能力に欠け、しかも理想を持っているという「頭の悪い働き者」そのものの激(迷)走ぶりを見せてくれたわけである。
僕はポッポのことを、政治家として評価するに足りない能力の持ち主ではあるが、ひとつ政治屋として大事な適性を持っていると思っていた。
諦めの悪さというヤツで、これは逆境時の粘り腰の源となる。安倍や福田があっさりと(前者と後者とを同一視できないと思ってはいるが)辞めた理由として、二世議員の諦めの良さというのが指摘されることがあった。が、別に二世議員だから皆往生際が良いという訳でもなし、適性というか性格的なものなので、鳩山がそれを身につけていたところで変なことはない。

そう思っていたのだが、あっさり辞められた。
唯一政治家(屋)向けだと思っていた性格の見立てだが、僕の誤りだったようだ。単純に、痛覚に乏しかっただけということらしい。

で、菅直人が舞い戻ってきた。
鳩山ほどではないが、正直、余り評価していない人物である。
ちなみに政治家に詳しいわけでもない僕の評価は、ごく普通にこれまでの業績から判断するというだけのものである。
で、その評価基準からすると、彼はキャリアの割に大した仕事をしていない。
厚労相時代の薬害エイズ問題を暴いた時が、唯一大きな業績だと思う。アレは確かに立派な業績ではあるが、何かを生み出した故の成果ではなく、ぶっ壊したことによって得られた成果であろう。
別にそれが悪いというわけではないのだが、今求められている能力ではないし、第一、トップに立つ者がそれだけではダメだろうと思う。
壊し屋というと小泉純一郎を思い出すが、アレとも違う気がする。あちらはもっとゴールや原則が分かりやすかった。自己のヴィジョンを発するのが上手いということになるだろうか。
菅が下手なのかどうかは分からないが、現状、上手く伝えられていないことは確かだろう。
というか、このあたり上手い人なら、お遍路を自己アピールの場に使うか、最低でも終わらせると思うぞ。

というわけで、あまり高くは評価していなかった。ダメだとも思っていないので、お手並み拝見というところ。
結果、参院選は大敗したが、まぁこちらは予想通りであろう。予想以上でもあったかも知れないが。

どのみち、参院選は決定的な戦場ではない。もちろんねじれ国会の中で国政を停滞させることにもなるだろうが、このあたりは時間をかけて自民党との間で合意を形成していくべきであろう。たしか合衆国も、国家の原則的な問題については争点としないという合意を作ったのは、第二次大戦後頃のはずだったような。
僕としては、対外的な問題や緊急問題なんかはそうした合意の対象とすべきだが、それ以外は多少の時間がかかることはやむを得ないと思っている。

開票作業時、ニコニコの生放送を観ていたのだが、堀江がみんなの党を強く推していた。
彼も主張していたが、みんなの党は小さい政治を(比較的)明確に指向する政党で、彼やひろゆきのような起業家タイプの人間には非常に親和性が高い。
ちなみに、貧乏生活をしている割には、僕のみんなの党に対する親和性も高い。経済を指向して、原則を重視するとなると、こうなるわけだ。

僕にしても上手い考えは浮かばないが、小さい政治による経済の活性化は、日本にとっても有効であろうと思う。アメリカ流の新自由主義にまで行く必要はない。金融不況で明らかなとおり、市場自由主義を推し進めすぎても、破綻の際のダメージが大きくなるだけだし、根本的に不健全だ。
不健全であること自体は悪いとは思わない。ヴェンチャーを次々と走らせるには、どこかゲーム感覚であることも必要だろうし、リスクを畏れないこういう心の有り様を「冒険心」というのであれば、必須のものとすら言える。
まぁ、程度問題というわけである。

これからの時代において、日本を経済的に発展させることは、おそらくかなり難しい。
19世紀から20世紀中盤にかけてまでの時代、製造業が富の源泉だった。
第二次大戦後、富の源泉は金融の方にシフトした。まぁ、ロンドンとニューヨークの話になると長くなるので措く。あまり詳しくもないし。
いずれにせよ、日本が金融を利用してさらなる経済的成功を収めることは、ほとんど不可能であると思う。ちなみにここで言う成功のレヴェルは、ロンドンとニューヨーク(あと上海も)を蹴り落とすという程度。金融の世界は、勝者のイスが非常に少ないためだ。

これまで日本の経済を支えてきた製造業は、今後も柱ではあり続けるだろうが、最先端の製造技術を維持するにはかなりの労力が必要であり、最先端以外の製造業は、日本よりも生産コストの低い地域へと移転していくわけだから、トータルとしての富の量は、良くて現状維持、普通に考えれば減ることになるだろう。
つまり、少数のエリートから成るR&Dセクションと、多数の非エリートから成る一般製造セクションとに分かれていたものが、後者が海外に移転してしまうということ。
もちろん、非エリート(大半が中小企業であろう)の持つ技術力云々は軽視できないが、軽視できない技術を持った企業ばかりではないし、そうした技術を持っていたとしても、それが必ずしも価値の高いものであるとは限らない。
単価の安い無地のタオルを生産するのに高い能力を持っていても、それによるアドヴァンテージは、中国やヴェトナムで製造されるタオルが持つ価格競争力を覆すものではあるまい、ということだ。

政治に話を戻すとして、政治の側から、こうした経済の発達を促すことは難しいと思う。
新技術や新しい形態のビジネスを生み出す能力は、官僚制度や政治主導の中からは難しい。というか、ほとんど無理だろう。リスクだらけの世界なのだから。
すると、市場で育んでもらうしかない。が、そのためには市場への関与を減らす小さい政治になってもらう必要がある。

自分の考えをまとめまとめ書いているので、どうしても散漫になるし、これで正しいのかどうかも分からないが、とりあえず僕の考えは以上の通りである。
以下はもう少し大きな流れから展望したもの。

仮に小さい政治路線を進めたとして、その場合の問題点は、市場全能主義へ陥らないように監視する必要性があることと、そもそも小さい政治によるメリットを、覇権国家でもない日本がどれだけ受け取れるだろうかという疑問である。
前者は当然として、後者は説明が難しい。
世界システム環境下において、中心と周辺という構造があるというのが近代という時代の特徴であると思う。ちなみにこの関係はかなりの多様性を持つので、単純な従属論だけでは説明不足となるのだが、このあたりについては僕も勉強中である。
さて、敢えて単純な従属論モデルを用いて説明すると、中心が周辺のリソースを一方的に吸収するというのがモデルの骨子になるが、この中で成功するには、中心グループに入り、周辺を持つ必要があるということになる。中心を帝国、周辺を植民地と考えれば分かりやすい。
このモデルが通用したのは、どれだけ頑張っても60年代まで。現代においては通用しない。

それでも、情報が集まり、革新が行われる「中央部」と、その成果が適用される「それ以外の地域」という構造は、今でも使えると思う。「中央部」を「新技術を産みだし、さらにそれにより新商品を生み出す地域」とし、「それ以外の地域」を「商品の市場」と考えればいい。
中央部に何がどこまで含まれるのか、いまいち不明瞭である。かつてなら、「アメリカ」とか「中国」とか国名を挙げて説明できたのだが、今、そしてこれからは国家の要素が弱くなっていく。「地域」とか「企業」なんかが挙がるようになると、議論の出発点である「日本の経済を発展させる」という部分が崩れ出す。

あるいはそれで正解なのかも知れない。小さい政治路線を徹底的に進めた形を想像すれば分かる。
例えばその解のひとつは、「勝ち組企業に所属する」。日本に住むのかロンドンに住むのかは問われない。イノヴェーションはその企業が行い、富が集中するのもその企業である。その企業の構成員以外は、消費者としての立場しか与えられない。
また別の解として、所属する組織(国家や企業など)も限定されないというものになる。主体となるのは個人だが、その個人はネットワークの中を頻繁に転身する。

どちらもアメリカで行われ、そして金融危機の時に信頼性を大きく損なった解である。
してみると、そうして企業や個人を国家の枠組みである程度管理することが必要になるわけだ。
しかし、これを行う必要があるのはアメリカのような、勝ち組企業・個人を集めている国であり、日本はまずその場に立つための努力をしなければならないわけで……。

循環してきた。まだ考えが煮詰まっていない証拠である。
だいたい、僕程度があっさりと論理的蓋然性の高い解を導き出せるとしたのなら、もっと前に外の誰かがやっているはずなのだ。
というわけで、グダグダのまま終わる。

2010年7月27日火曜日

文月廿七日

『実録類纂』の入力が終わった。
所要時間は二週間ほどだっただろうか? ずっとこの作業ばかりしていたような気がするが、案外短いと言えば短かった。

今度はこのデータをExcel(というか、その手の表計算ソフト)に移して、簡単な要約を作る。サマリーというほど立派なものではなく、どちらかというとインデックス的な、単語数個から成る簡単なもの。

これが完成すると、次にどこの地域のどのような史料を集めればいいか、だいたい分かるようになる。
実際には、史料の入力作業の段階でだいたい見えている。

つまり、集める必要があるのは、行塩地の争奪戦が行われた地域の地方志である。
明代の場合、概ね、両広(正確には広東・海北)の江西南部及び湖広南部と、河東の河南南部についてのものである。特に南陽府と汝寧府が焦点となるらしい。
以前書いた論文で前者については片が付いているので、後者について集めればいいということになる。
まぁ、関係する官僚の文集なんかも調べるべきだが、まだ先で良い。多分、『皇明経世文編』あたりからの作業になるだろう。

次いで、やはり史料ファイルから、今度は塩引数および正塩に附帯する餘塩の数、塩引1道あたりで行塩可能な塩斤数などを調べる。
基本的に塩引数×1道あたり塩斤数で、総行塩塩斤数、つまり官塩供給量が求められるわけだが、清代と異なり、明代においては正引(官塩塩引)と餘引の関係は1:1ではない。両淮なんかはどちらかというと1:1に近いが、広東なんかは1:6なんてこともある。よって、この割合を把握しておかないと、塩引数を正確に求めることが出来ないのだ。
面倒くさそうだが、以前にもやった作業だし、実録に加えて各行塩地の塩法志を確認すれば良いはずだ。以前だったら人文研まで行って調べなければならなかったものだが、基本古籍庫導入のおかげで、かなりの部分を居ながらにして調べられる。さすがは3000万円。

ちなみにこのデータベース、現在使えるのは、僕と師匠と図書館のIT担当の端末と閲覧端末一台だけである。後2台はほとんど使われていないので、実質占有状態である。大学のメディア部門がさぼっているためだが、何というか酷い話だ。一応夏休み中には解消されるらしいが、かなり不確定でもあるらしい。

話が逸れたが、以上の作業を進めることで、各行塩地の官塩供給量を把握することが出来る。
次に行うのは、各行塩地の実人口を調べること。これが分かれば、人一人あたりの塩消費量はだいたい一定と仮定できるので(実は若干問題のある仮定なのだが、措くことにしている)、塩の需要量が分かる。
需要量から官塩供給量を引いた数字が、私塩、つまり密売によって賄われる供給分ということになる。
これを、幾つかの時期ごとに割り出すことで、明代における塩政の出来不出来が分かるというわけである。

面倒ではあるが、これまでにも行ってきた作業なので、頭はあまり使わない。まぁ、明代の人口数はかなり不明瞭な部分があるので、このあたりについてはまた考えなければならないかも知れないが。

以上の作業を進めれば、論文一本分になる。
次に清代についても同様の作業を行う。これでもう一本。
清代広東においては、中期頃を境に官塩供給量が固定化されるのだが、そうした現象が明清代において、一般に見られるかどうかが分かれば、その次に進める。

仮に明代も清代も、中期頃、というか塩政の安定期に、官塩供給量が固定化されるとしたら、それはなぜか。
これは塩政の枠を離れて、財政の問題になる。
清代中期広東の場合、政治的安定のため、財政的需要が減少し、また財政制度上、塩務官僚には定額以上の収入を上げるインセンティブが乏しかったことが原因であるという仮説を提唱した。
これが一般論として言えるのなら、王朝の衰退について、一定の説明を行うことが出来る。つまり、内外の要因(もちろん複合するのだが、主となるのは大抵外的要因である)から政治的安定を欠き、それを立て直すのに財政需要が拡大する王朝後期において、王朝収入の半数近くを占める塩務財政は硬直しているため、政治的・財政的混乱を増大させることなく収入を増大させることが不可能であり、そのため明も清も滅亡したというわけである。

えらく先の長い話だが、そもそも財政の問題をしたかったので、ここからが本丸になる。本丸にたどり着くまで、現在の論文を入れて3本、もし明代初期から中期についての検討を行う必要があるなら4本。早くて3年と言うところか。長いなぁ。何とか半分程度の時間に縮めたいところなのだが。

2010年7月25日日曜日

文月廿五日

昨日、夕方頃に夕立が降った。
ドカドカと雷が落ち、「おーすげー」とか、「夕方にひと雨来たから涼しくなるかな」などと言っていた。
ちなみに涼しくなるどころか、蒸発した水分でプチサウナ状態だった。クーラーの効いた図書館を出ると、まるで風呂場の扉を開けたかのように、むわっとした空気に飲み込まれてげんなりしたものである。

さて、帰宅して最初にすることは、PCの電源を入れることである。
次にすることは、クーラーの電源を入れることで、それから晩飯というか酒の肴を作る。
さすがに10時間座り続けていると、予想以上に疲れる。ゲームし続けて10時間というのならともかく、実際に作業しているかどうかは別として、閲覧カウンターで座っている場合、やれる内職は限定されるし、やはり気疲れするわけだ。

というわけで、普段なら自炊するわけだが、こういう日には総菜を買って、それで済ませる。
ま、コストパフォーマンスが悪いので、簡単なのは自分で作る。この日の場合、レバーともやしを炒め合わせたものと、鰹のタタキは自炊に含まれる。タタキを切るのが調理に相当するのかどうかは措くとして。あとはコロッケのような、安くてそれなりに食べた感の出るヤツ。

こういうのを肴にして、ビール呷ったり酎ハイ呷ったりしながら、ニコニコのランキングなんかを流したりするのが、こういう日の流れになるのだが、この日は違った。
PCは起動するのだが、ネットに繋がらない。
しばらく調べてみたところ、どうもルータ周りがおかしくなっている模様。こうなると手が出ないし、ネットに繋がらないのでは調べることも出来ないので、諦めて寝た。

翌日、つまり今日の昼頃に目を覚まし、NTTのサポセンに電話。
繋がらないかと思ったが、問題なく繋がった。事情を説明すると、メンテナンスを向かわせるとのこと。どうも、昨日の雷が原因らしいのだが、京都のあちこちで似たようなトラブルが起きているらしい。
雷で色々と吹っ飛ぶというのは、個人として経験するのは初めてだ。大学のサーバーが飛ぶというのは良くあるのだが。


仕方なく、史料の打ち込みやらEU3のオスマンプレーの続きやらをする。
オスマンは西欧化は割と早い時点で出来たのだが、西欧化の悪影響の除去に時間がかかって仕方がない。コイツばかりは優秀な国王が長生きするか、連続して出るかという運に左右されるので仕方ないのだが。
おかげで、ヨーロッパに打って出るタイミングを失ってしまい、まだ16世紀半ばというのにオーストリアが中欧を席巻している。
ヨーロッパ諸国と戦う場合、たいていの国が複数の同盟国を持っており、カスティーリアやフランスのような超大国が保証をかけていたり信仰の守護者だったりするので、なかなか手を出せない。
今回もそれで手を出しづらかったわけである。もっとも根本的な理由は、西欧化のため革新主義に傾きまくり、安定度が下がった場合(というか西欧化をすると最低レヴェルにまで下がる)、回復に致命的なほどの時間がかかりかねないということがあったためだ。国土を広げるのも安定度コストに響くので、そのことも戦争を回避した理由である。
まぁ、そうはいってもじっくり国力を高めていったところ、収入はトップとなり、まがりなりにも西欧化は進めているので、技術水準もキリスト教諸国にひけは取らない。
たまたまイタリア半島の2/3ほどを支配していたナポリが、どういう理由か外交的に孤立していたので(教皇に破門されたのだろうか?)、これ幸いと海から上陸した。イタリアはどこも美味しい土地ばかりなのだが、今回はCoTのある北部の方を戴く。
これを橋頭堡にして、時間をかけてイタリアを征服すれば、フランスと殴り合いが出来るやもしれん。貧乏な土地が多い中欧や東欧は後回しにして、豊かな西欧を狙いたいところ。


『実録類纂』の打ち込みも、そろそろ終わりが見えてきた。今週で片付くだろう。
次は地方志かなぁ。

2010年7月22日木曜日

文月廿二日

『類纂』に貼った付箋の数が減らないような気がする今日この頃。
いつかは終わると分かっているが、作業量の多さに心が折れそうである。
考えてみれば、かつて同じ作業をやったときには広東方面だけだったのだが、今回は全部だからなぁ。

気分転換にCat Shit Oneとかを観たりする。

【ニコニコ動画】Cat Shit One -THE ANIMATED SERIES-




話作りの基本的な手法はシェークスピアが完成させている、と、かつて原作者の小林源文が別の所で書いたのを読んだことがある。
つまるところ、応用していくかが、話を作るに当たっての腕の見せ所というわけだ。
似たようなことを言っている人は多いし、僕も、シェークスピア云々はともかくとして異論はない。

この作品も、ストーリーとしては陳腐なくらいありふれたものだ。ジョン・フォードが作ったといわれても驚かないぐらい。
それでも魅せる内容である。細かい部分を、丁寧に作り込んでいく。

書いていて思ったが、僕がやっているような人文科学の研究にも似たようなことが言えるかも知れない。
よく、細を穿ちすぎていると批判されるが、大なたを振るうのは、中国史を例に挙げれば内藤湖南や宮崎市定の時代に終わっており、今の人間はそれを踏まえて、今の技術を駆使して魅せる論文を書くのが正しい──のではないか、と思う。「魅せる」という表現が不適切なら「内容のある」とかでも良いが。

2010年7月21日水曜日

文月廿一日

連休も、黙々と史料の打ち込みを続けていた。
まぁ、EU3のオスマンプレイをやったり、らんだむダンジョンやったりしながらだが。

ざっと『明実録類纂』の塩政関係記事を眺めて、必要そうな記事のあるページには付箋を貼っておき、一通りチェックが終わってから入力するという段取りで、今はその入力の段階である。要するに、「史料を読む」段階を、僕の場合は「流し読み+付箋貼り」→「入力」→「日本語訳」という三段階に分けていることになる。

大学時代、当時の師匠が授業中に、「歴史学に才能は要らない」とか曰っておられた。この時には、単なる謙遜だろうと思っていたが、最近になって考えが変わってきた。
実際、作業の九割ほどは頭を使わない。ある程度漢文(もしくは外国語)に慣れれば、斜め読みが可能になる。特に日本人の場合、漢文の斜め読みはすぐに修得できる。
ちなみにここ数年ほどHOI2などで英文を読んできているが、いまだ斜め読みは難しい。こちらは単純に経験値不足なだけとも言えるが、斜め読みに必要な水準に達するまでの経験値は、どう考えても漢文に必要なそれよりも多いはずだ。

歴史学の研究を行うのに必要なのは、何よりも史料を読み込むという単純作業を行い続けられるだけの根気だろう。頭を使うのはその前後の僅かな部分でしかない。
まぁもちろん、根気とて才能(しかも僕には全く不足している)であろうし、史料の読み込みが行えても、何処かの部分で頭を使う必要はある。エジソンの言う、「天才は1%のひらめきと99%の汗」というヤツである。天才はある仕事の達成とでも読み替えておけばよい。
にしても、単調な作業をこつこつ続けることがどうしても必要になる。どこかの波紋使い同様、努力とか頑張るとかは僕が最も苦手とするジャンルではあるが、仕方のないところだ。
ちなみに、そうは言ってもやはり頭の良い人間というのはいるもので、1%のところを3%だか10%だかにしてしまったりすることもあるわけだが、ここでは措く。少なくとも僕のことではない。2%ぐらいにはしたいと思ってはいるのだが。

さて、そんな感じで史料を入力していると、だんだんと見えてくるものもある。
先日、僕なりの中国近世史塩政時代区分を行った。
簡単にまとめると、清代前期は不調、清代中期は順調、清代末期は破綻し、明代前期は不調、明代中期は途中まで順調、正徳年間頃から不調、短い回復期を挟んで、明代末期は破綻というものである。

明代と清代とでは、当然ながら事情が異なるので同一視は出来ない。しかし、不安定→安定→不安定→破綻という流れは、それほど変わらない。となると、ふたつの王朝の塩政について、ある程度一般化できるのではないだろうか。

両朝の大きな違いは、明代後期以降続いた多量の銀流入のため、経済の拡大は、明代は後期、清代は中期と異なる点にあろうからして、その点には留意しなければならない。

だが、王朝末期に財源に事欠き、同時に支出が増大して塩税需要が高まると、清代には塩税の増額、明代には、どうも餘塩引の乱発を行ったようだ。
明代についてはまだ調査不足なので、明末塩政について書かれた論文を当たらねばなるまい。あまり考えたくないが、それについて書いた論文がなければ、僕自身がやらねばならないかも知れないが。
いずれにせよ、明末のそれは需要を無視して塩引を乱発したものである。おかげで本来の塩引の消化が滞り、財政全体が更に困窮するという悪循環を迎えるわけだが、それはともかくとして、清末には塩税の税率増加、明末には塩引の発給数拡大という形で、それぞれの財政需要の拡大に応えようとしたわけである。

上で書いた明代塩政の時代区分についてだが、正徳年間あたりを境に前後期に分け、前期はさておき後期について、さらに正徳~嘉靖の混乱期、隆慶~万暦初期の安定期、万暦中期以降の混乱期と分ければ、清代のそれにかなり近づく。
まだ根拠に乏しいが、中国史全体において、正徳年間頃、つまり世界経済の枠内に中国が参入し、その一環として銀の流入が拡大した時期から、中国はヨーロッパ史で言うearly modern(近世と訳すべきだろうがいささか語弊も感じる)を迎えたのではないかという気がしている。
まずその概念自体が正しいのかという問題もあるが、それは措くとして、その内部にあっては近似した経済の流れがあり、その中ではやはり近似した塩政の流れが見られるのではなかろうか。
つまり、前期となる不安定な時期に、比較的需要に合致した塩の供給が行われ、塩制がひとまず完成して安定した中期を迎える。需要と供給が釣り合った時点で、塩制も安定、言い換えれば固定化・硬直化する。外的な要因により、王朝が不安定化して財政需要が再び高まっても、塩制の健全な改革は行われず、無理な形で塩税の増加が行われ、破綻する。ここで言う「無理な形」とは、需要を掘り起こして経済的に合理的な形で塩税を確保しないという意味。具体的には私塩を官塩に転換せず、官塩の税率増加(清末)、官塩の乱発(明末)ということである。

なお、塩制が硬直するのは、岩井茂樹のいう「原額主義」の考えを援用している。原額主義とは──あー、また岩井先生の本を読み直して整理し直すつもりだが、中国近世~近代財政において普遍的に見られる財政原則で、財政制度が硬直化しやすく、状況に即した柔軟な運用が困難になりがちな
傾向を見せるものであると理解しておく。

さてさて、こうして整理してきたわけだが、以上を踏まえて、今後やるべき方向を考える。
まず、これまで通りに各塩運司ごとの塩制の変遷を追い、官塩と私塩の需給について調べる。これは、これまで広東について行ってきた作業の拡大版に過ぎない。
次に、明代初期から中期、正徳以前の塩政について、問題はなかったか改めて検討する。史料が少ないが、多分問題は少なかったのではないかと思っている。これは、明代塩政史を通観する上で必要な作業であるし、特に上述した時代区分の問題を検討する上での基本作業となる。
みっつめに、万暦中期以降の塩政破綻について調べる。先行研究があればいいなぁと思う。

散漫な文章だが、まぁこうやって整理していかないと、いつまで経っても散漫なままなので。

2010年7月17日土曜日

文月十七日

まぁ、いつものことだが五時を越えるとだるくなる。
勤務時間の合計よりも、休みなしで3時間以上を勤務すると、能率が悪くなる。いかにその内容が、座って本を読んでいるだけであるとしてもだ。

座って窓口業務を続けながら、『明実録類纂』から必要な記事をピックアップしていたものを、さらに必要な部位のみ打ち込み、史料集を作る。
以前、明代広東の塩政について研究していたときに行った作業を、今度は中国全体に対して行うわけである。難しくはないのだが、面倒臭い。量が多いので当然である。

が、作業前に思っていたほど困難な作業でもないようだ。拾い集めるべき史料は、塩引数の改定と、行塩地問題についてのそれである。
ちなみに塩引数については、この時期には塩引数そのものではなく、正塩に付帯して販売することが認められる余塩の数が中心となる。
これと塩引1道あたりで販売可能な塩斤数。
以上から販売される官塩の量が判明するというわけである。

行塩地については、市場圏の人口を割り出す時に用いる。
幸いにして、明代において行塩地の争奪戦を行った地域はあまり多くはない。広東についてはすでに検討済みなので、残るは河南あたりが中心となる(はずである)。
これについては、実録のチェック作業が終わったのちに、当該地域の地方志をチェックすることで、史料を増やす。その地域で任を務めたことのある地方官が全集を残すほど大物だった場合などは、そうした全集もチェックの対象となる。今のところそれほど大物は見えていないので、今後もそうであることを願いたいものである。

ちなみに広東をやった時には王守仁、一般的には王陽明で有名な人物が関係者だった。この人は陽明学の創始者として知られているが、この時期には地方官でもあった。ただし木端役人ではなく、巡撫である。それも後の総督などのような広域調整官のようなものではなく、頻発する叛乱を鎮圧するための特任将軍のような役割だった。
一般に、哲学にかぶれた将軍や政治家ってのにはロクなのがいないというのが僕の偏見だが、特に陽明学にかぶれるとひどいことになる。知行合一というわけだが、そういう理想(妄想)は頭の中だけにしてくれというのを実際にやってくれる。すごいのだが、迷惑でもある。大塩平八郎とか。
もちろん、能力と理想がかみ合えば、素晴らしいことになる(歴史上、ほとんどないことだが)。王守仁はその数少ない例である。というか、人物について知識に乏しい僕からすると、彼ぐらいのものではなかろうかとも思えたりもする。
明代中期の軍人としては、彼が随一ではないかな。政治家としてなら他にも色々いるけど。

閑話休題。上述のごとく集めた史料を基に、こうして塩の需要と供給を明らかにする。
統計資料に不備があるので問題は出るはずだが、こうして明代の各時期における需給関係を明らかにすることで、清代広東で見られたような私塩を黙認する現象が、明代にも見られるかどうか。
ただし、清代においてのそれは、清代中期になって財政的需要が強まらず、徴収コストを投じてまで塩税を確保する必要性を感じなくなったため、というのが僕の考えだ。北虜南倭で財政的需要が強かった明代中期というか、正徳・嘉靖年間について、同じロジックが通じるとは思えない。

明代と清代とがそれぞれたどった政治的環境の変遷は、当然異なる。
清代については、
  • 入関から鄭氏政権降伏までの、政治的に不安定だった前期(順治~康煕前)、
  • 政治的には安定し、経済的繁栄を遂げた中期(康煕後~乾隆)
  • 財政的にほころびが見え始め、ヨーロッパ勢からの圧力や国内叛乱が生じだす後期(嘉慶~光緒前)
  • 政治的も財政的にも破綻し、再建を目指してあがきながら滅亡する末期(光緒後~宣統)

と時代区分できる。あくまで僕の考えている区分だが、一般的にもそれほど反論はないだろう。

で、明代については、

  • 建国から永楽帝による簒奪までの、政治的に不安定だった前期(洪武~永楽前)
  • 永楽帝が政権を安定させてから、しばらく安定していた中期(永楽後~弘治)
  • 北虜南倭の混乱期(正徳~嘉靖)
  • 隆慶和議から張居正が権勢をふるっていた万暦初期(隆慶~万暦前)
  • 万暦帝がやる気をなくし、滅亡へと向かう末期(万暦後~崇禎)

となる。

実際には、安定していたとされる中期も土木の変があるし、正徳から万暦にかけては細かく分けすぎという気もしないでもないが、まぁ当座の役には立つだろう。

塩政の観点からあらためて眺めてみると、明代と清代は、それなりに似てなくもない。が、清代中期には政治的安定のみならず経済的発展も遂げたのだが、明代中期についてはそれほどでもないように思える。

が、この点については定量的な分析は行っていない(明代経済史においても、あまり行われてはいない)ため、よくわからないところもある。が、通常、明代において経済的に発展を遂げたのは、後半にさしかかる万暦年間あたりのことであるとされている。

いろいろ理由はあると思うが、明代後期と清代中期には海外からの銀が大量に流れ込み、良性インフレを起こして好景気だったとされている。逆に清代後期は銀が流出し、不景気だったとされている(デフレだったのかどうかはわからない)。明代中期については、良くも悪くもないというイメージが強い。

では、そうした一般的な経済概況が塩政とどう関係したのか。このあたりを明らかにすることが、次の論文の主題になる……のではないかなぁ。

2010年7月16日金曜日

文月十六日

仕事中に何となくブラウザを眺めていたら、何となく作成してしまった。

職場からアップロードするのは、どうかと思う。



出先ではgoogle documentを使用することが多いので、リンクさせた方が便利かもしれない。

これまでhtmlで日誌というか月報というかをつけていたわけだが、こっちに一本化すべきだろうか。

ブログ自体にあまり関心がなかったので――というか、情報の発信という点にほとんど関心がなかったので、何となくhtmlで書いてきたが、別にどちらでも構わないと言えばその通り。

まぁ、html版は、いろいろと手を入れるべき部分が多かったので、これを機に乗り換えてしまうのも一案であろう。





現在読んでいるのは、



周達夫『中国の食文化』、創元社、1989.8

山本有道編『帝国の研究』、名古屋大学出版会、2003.11

杉本圭三郎訳注『平家物語』(二)、講談社学術文庫、1979.10