2010年9月27日月曜日

長月廿七日

さて、中国問題について、考えを整理しよう。

(1)歴史的に、中国は多様多彩な民衆を支配するため、強力な中央集権制度を構築・維持してきた。
(2)だが、それにもかかわらず広大な国土と多様な民衆を支配することは困難で、実質的には地方へ大きな権限を委譲せざるを得なかった。
(3)近代以降、植民地化されてきた中国は、その克服を通して近代化を進めてきた。
(4)近代化において必要な国民の形成は、最も大規模かつ先行していたヨーロッパ列強を追い出す形で侵略を進めていた日本を敵としながら進められてきた。
(5)改革開放により経済の自由化が進められたが、このために生じた政治的自由への希求は、天安門事件という形で噴出した。これは暴力と日本に対するナショナリズムを煽り立てることで抑え込んできた。
(6)市場経済の成長路線は、今後も放棄されることはない。このために政治的自由への希求がより強まるはずだが、現在の共産党独裁を放棄することは考えにくい。
(7)今後の経済発展を維持するためには、相応の資源が必要であり、また大量の輸出品を販売する海外市場へのアクセスが必要となるが、そのためには現在海洋の覇権を握るアメリカと、その東アジアにおける最も有力な同盟国である日本と対立する可能性を、潜在的に抱えている。

以上が歴史的経緯および現在の情勢から判断される中国の状況である。この状況判断は近未来においても有効なはずである。
以上から、さらに次の推測を導き出せる。

(A)経済的自由は、より合理的に経済活動を進めるため、政治的自由を希求する。よって現在の共産党独裁に対する圧力は高まり続ける。
(B)既得権を持たない多数の低所得層は、政治的にきわめて不安定な「大衆」である。彼らを抑えるには、充分な所得もしくは社会保障を提供するか、ナショナリズムを昂揚させて不満を抑圧させるか外部に向けさせるしかない。
(C)人口が多すぎ、地域格差の激しすぎる国内事情から、経済的に問題を解決することは難しい。ナショナリズムの昂揚、特に上述の経緯から日本に対するナショナリズムの昂揚が手段として用いられるだろう。
(D)ナショナリズムを煽ることは、ヨーロッパにおいては第一次大戦、日本においては第二次大戦に至る道程で経験しており、現在では有効ではないが、中国のような近代化の過程にある国では今なお有効である。教育水準の低さと政治的自由の制限による情報の偏りもそれを助長している。だが、その矛先は往々にして弱腰過ぎると受け止められた政府に向きかねない。
(E)教育水準、所得水準の高い中所得層以上および中央政府は、日本との全面的な対立が経済活動に悪影響を及ぼすことから望んでいないはずである。だが、低所得層及び地方官僚は、その恩恵に与りにくく、またその利益よりも近視眼的利益のほうをより重視する可能性が強く、また上述の理由により中央政府がそれを完全に統制することも困難である。

よって、中国は日本に対するナショナリズムを強調するし、それをコントロールすることは、思想信条の自由を制限しているにもかかわらず極めて難しい。
また、ナショナリズムを煽ることはあっても、日本との全面的な対立にまで持ち込まれる可能性は低い。仮に持ち込まれたとしても、現時点で中国が日本を屈服させることは困難であり、またその場合、経済発展には多大な支障が出る。

以上が中国の現状から推測される対日政策の基調である。
逆に日本からすると、中期的(数十年程度)には、日本と中国との総合的な経済力については、格差が広がっていくだろうし、高付加価値産業や研究開発能力も、じりじりと差を詰められていくだろう。またその間、政治的な圧力は高いままである。

日本という海洋国は、基本的に戦争に向かない。正確に言えば、長大な海岸線を抱えていることから防御的な戦争には弱いため、攻撃的な(侵略的な)戦争が向いているということになる。だが、これは現在の覇権国家であるアメリカと協力するか潰すかのどちらかを行う必要がある。かつては後者を望んで失敗したため、現在は前者の方針を採用しているのだが、当座の所、アメリカは中国と全面的に対立する必要を感じていない。というか覇権を維持している限り、現状維持で問題ない。覇権を握るというのはそういうことだ。
中国は、地政学的にはドイツやロシアと同様、大陸国家と見なし得る。つまりアメリカ(あるいは日本)相手に侵略的な戦争を起こしにくい。
かつてのソ連同様、中国もまた外洋海軍の建設に力を入れているが、これには時間と金がかかる。十年やそこらでどうにかなるようなものではない。

要するにどういう事かというと、日本からすれば中国は今後数十年にわたって最大の仮想敵国であり、政治的には最大の敵性国家であるが、向こうから全面的な対立もしくは戦争を仕掛けられる可能性は低いし、万一そうなっても負ける可能性はさらに低いと判断していいということである。

ちなみに、こう書き連ねてきたが、日本と中国とが経済関係で反目する可能性はあまり高くない。全面的な対立に陥ったら話は別だが、そうでない限りは、表向きは友好的な関係を維持する。中国も世界経済の一員であり、最低限のエクスキューズは守る義務がある。例えば今回の一件でレアアース問題を取り上げたが、本当に対日禁輸を行った場合、中国が被るダメージは政治的なものだけでなく、経済的なものとしても相当なものとなったはずである。
良く言われることだが、経済的な依存関係は戦争を阻止する決定的な要因とはならない。日本がアメリカに喧嘩売ったという事実は、軍事や歴史に関心のない人間からは、どういうわけか忘れ去られがちである。

さて、そうであるならば、日本が中国に対して必要以上に友好的に振る舞う必要はない。上辺は友好的な関係を標榜し、経済的関係もそれなりに深めつつ、政治的にはギスギスしていて良いわけである。
というか黙っていてもそうなる。少なくとも向こうにはそうする理由があるし、短期的な理由でそうしないことはあっても、何かのイヴェントが起こればすぐに覆る程度のものでしかない。小泉政権時代の政冷経熱を経て、政治的にも友好ぶりを演出してきたが、それが上辺だけだったことは今回の一件からでも明らかである。
となると、日本が上辺以上の友好を求めても無駄だし、囚人のジレンマを思い起こせば、必要以上の友好を求めることは、それが相手への一方的な譲歩を意味するわけだからして、不利益ですらある。
最低でも、相手と交渉できるカードを用意しておかねばならないし、可能であれば、対中関係のイニシアティブを握り得るだけの用意は調えておくべきだろう。
以前にも書いたが、僕は中国の政治的不安定を更に煽動する、もしくはそうなりやすいよう環境を整えておくことは有効だと考えている。
もちろん実際に煽動するのは愚策である。エクスキューズを守ることは大事である。可能な限り婉曲に、見えにくい形で。反体制組織への間接的な援助など、方法はいくらでもある。

実際に中国が政治的混乱状態に陥った場合、日本が被る政治的・経済的不利益は決して小さくはない。最悪、核ミサイルが飛んでくる可能性すらある。
このあたりのリスクマネージメントは当然進めておかねばならない。というより、それを踏まえて軍事面・経済面での対処法を用意しておく必要がある。

軍事面での対応は、現在進めている軍事力整備の方向性で正しい。小規模な弾道攻撃への防御、対潜水艦・対戦闘機能力の向上、島嶼戦闘能力の整備。いずれも合致している。戦闘機の導入だけはうまくいっていないみたいだが。
経済的には、チャイナリスクの認識ということになるが、政府から直接手を入れにくい分野ではある。が、代替資源の開発や備蓄整備などは進めているし、中国以外における新規生産拠点の開発も進めているわけだから、ある程度の成果は上がっているのだろう。


……とまぁ、こんな話をnoriともりりんにしたら、もりりんから「ゲーム的すぎる」と言われた。
まぁ、それは僕も自覚してはいるが、極端な話、最悪の場合は相手と戦争するぐらいのつもりでいなければ、最悪の場合は戦争する必要があると考えている相手との交渉なんぞ、勝てるわけがない。
極端な手段というのは、それを使うのは負けになるが、それを用意できないのであれば、それはゲームに参加できないもしくは自動的に敗北するという意味で、やはり負けであろう。
ポーカーの例を再び持ってくるのであれば、対等な条件を持つ者同士のゲームであれば、ブラフかどうかは最後まで分からないわけである。最初から降りるラインを示している相手なら、どこからがブラフであるか分かっているわけだから、必勝とまでは言わなくともきわめて有利であろう。
僕にしても、実際に中国に謀略の限りを尽くせとは思っていない。が、それを行うだけの能力を備えておけば、実施するかどうかの意思を交渉の材料として用いることが出来る。交渉の材料も持たずに交渉なんぞ出来るわけがない。
北方領土にせよ竹島にせよ、日本人は交渉材料を用意せずに交渉を行おうとする悪癖というか無邪気な癖があるように思える。バブル前とは異なり、圧倒的な経済力なんてものは失われたのだから、いい加減夢からは覚めるべきだと思うのだが。

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