2011年12月30日金曜日

師走三十日 師でなくとも走る

ながらくサボっていた。

11月末が論文の締め切り、12月は土日も休み抜きという修羅場だったため、書く気になれなかった。


今回の論文は実に手こずらせられた。
両広塩運司の管轄で行われた塩政について行った分析を、中国全土に広げて同じ手法を適用する。
面倒ではあろうが、基本的に頭をつかうことはあるまいと考えていたのだが、ここまで面倒になるとは思わなかった。
広大な中国において、社会や経済の状況が全く異なることから、各塩運司において行われた塩制は大きく異なる。わざわざ両広塩運司の塩政を明代から民国初期まで検討したのは、とりあえず流れをつかむためでもあったのだが、普通使われるような各時代の特徴的な地域を取り上げ、というスタイルでは、地域における差異が見えなくなるのではないかと考えたためだ。
とはいえ、塩引を用いた専売制という基本形は同じなので、塩引数と塩引1道あたりで販売可能な塩の量の積から各時期・各地域の官塩流通量を求め、人口数から求められる塩需要量とを比較して、私塩の状況を把握することはできるはずである。

まぁ、実際できたわけだが、かなり面倒だったし、また精度にもいささか難が出た。
まず、塩引数の変遷について、正確に史料に記載されているとは限らななかった。何年にどういう変更が行われたのか、概ねのところはわかるのだが、表計算ソフトに変化量を入力していくと、どうしても一致しなかったりする。つまり、記載漏れがあるわけである。また、恒久的な塩引数の変化なのか、一時的な措置なのか、曖昧な部分もあったりして、勘定に入れるべきかどうか悩むところなんかもあった。
とはいえ、おおよその動きはつかめた。問題は塩斤数の方で、こいつについては、塩引数についての項目に載せられている塩運司とそうでないところとがある。載っているヤツについてはいいのだが、載っていないのについてはどうするか。いや、載っていないわけではなく、別のところに断片的に載せられているというべきか。
そんなわけで、人文研を往復してコピーしまくり。金がかかって仕方ないし、いつでも行けるというほど優雅な身分でもないので、伸びに伸びることになった。

こうした情報を苦労してまとめ、表に起こし、分析してグラフにして、と作業を行った結果、なんとか形になった。数字ばかり扱っていたので、文字についてはあまり記憶が残っていない。人文科学の論文とは思えないものになったような気がする。

で、分量だけは多くなり、時間は足りなくなったため、塩税額についての検討は次の論文で扱うことにした。
いま、その準備を始めているところだが、難易度は更に高くなっている。うまくいくのかどうかも分からない。
ま、手持ちの材料を整理して、その上で料理法を考えればいいのだから、今焦る必要はない。1月は忙しいが、それ以降は暇ができるので、春までにはある程度見通せるようにしておきたい。