2012年8月10日金曜日

葉月九日 生存報告と新しい足

随分というか、半年以上空いた。
書くことがなかったわけではないし、暇がなかったわけでもないので、これは書く気がなかったためと言うしかない。
気力の枯渇は当然ながら他の方面にも悪影響をおよぼすわけで、研究の方も長らく進まなかった。
こういう時にはじっと時が来るのを待つことと、何か新しいことをすることが良い、そう思っていたところ、僕の従姉に当たる親戚から声がかかってきた。

彼女は自営業の経理をやっているのだが、手が足りないとのこと。彼女の母親、つまり僕の伯母ががんの治療を受ける必要があり、そのため色々と手が必要になったこと、そして本業の経理に助手が欲しかったことなどから、僕に声がかかってきたのだ。
彼女の家は、体操教室を開いているのだが、個人情報などなかなか人には頼めない情報を扱う仕事もしなければならず、手軽に使えて、かつ信用が置ける人間が必要だとのことである。
経理関係の仕事などやったことがないので、果たして僕が使えるのかどうかは疑問だったが、まぁ親戚が困っているのを助けないわけにも行かず、承諾した。
内容は、PCの扱いに慣れている人間ならさほど難しいものではなかった。
このあたりは慣れている人間とそうでない人間の格差が大きいところなので、僕程度の人間でも重宝されるらしい。お世辞まじりなのかどうかは知らないが、大げさなほど感謝された。

図書館との今年の契約では、夏場は仕事が無い。
お陰で夏前は殺人的に忙しく、かつ他にも色々と仕事が舞い込んできたため、僕の気力が阻喪する一因にもなったわけだが、それはさておき夏は暇である。
ある程度金を稼ぐ必要もあったので、そういう意味でも好都合だった。
が、出先まで行くのに自転車で約一時間(後、最速で45分程度と判明)、夏場なのでかなりの労力である。
運動不足の解消になるだろうとも思ったが、結局バイクを買うことにした。
改めて調べてみたところ、日本のバイク産業は、いささか大げさに表現すればほぼ壊滅状態にあるらしく、僕の気に入るようなバイクは、なかなか手に入らないらしい。
僕はスクーターがあまり好きではなく、昔ながらのマニュアルタイプが欲しかった。ついでにイニシャルコストやランニングコストも低いものが良いというか、高いものは手が出せない。
というわけで、125ccまでの小型バイクである。
ついでに、僕の住んでいるところの駐輪場が狭く、大きなものは置けない。
というわけで、125ccは苦しい。70から90あたりとなろう。
そんなの、カブしかねぇ。
で、バイク屋に行ってみた。
聞いてみると、そのクラスのカブは、もう日本では生産していないらしい。
スズキがGN125などのバイクを出しているのだが、これはかつて自社で生産していたものを、中国で生産させたものだそうな。お値段はなかなか良いのだが、少し大きい。
尋ねてみると、中国や東南アジアでは、ある程度大きくて色々と積めるもののほうが好まれるそうな。小型高出力などを好むのは日本人ぐらいということか。まぁそうだわな。
改めて考えてみたが、そうなると50ccのカブで妥協するか、中古を探すかということになる。
そこで探してみたところ、幾つかの選択肢を見つけた。
カブだけでなく、似たようなもので、ベンリィの90などもあった。これはカブを開発したのと同じ技術を使って、もうちょっとそれっぽい仕立てにしたものである。
結局、そちらにした。ある程度スピードが出やすいほうが好いかなと思ったのだが、実際のところ、そういう意味での性能に差があるのかどうかは知らない。
で、その納車を終えて、走らせてみたところ、所要時間は45分ぐらいだった。変わらねぇ。
ま、自転車を漕ぐ手間が省けた分は良いんだけど。

ちなみに保険を含めた費用は約15万ほどである。バイト代の足しどころか、大幅な出費なのはどういうことか。もうちょっと詳しく述べると、バイク11万、自賠責1.5万、任意2.5万程度。自賠責は5年で、任意は1年なので、保険は毎年3万弱かかるということになる。
5年走ると、バイクよりも保険のほうが高くなるわけで……。
まぁ、今さら仕方のない事なので、買った分の元を取るべく、もう少し乗り回すつもりである。真夏という、街乗りには最悪のシーズンなのだが、少し遠出するぐらいが良いな。

2012年1月28日土曜日

睦月廿八日 一段落

嵐のような二ヶ月が終わった。あと三日ほど残っているが。
月月火水木金金な生活は身体にも精神にも悪い。大した金にもならんというあたりが更にすばらしい。
働いた分だけ収入はあるが、2月3月は仕事が減るので、トータルしたらむしろマイナス。すばらしい。


それはそれとして、ようやく初校が戻ってきた。心が磨耗しているのでしばらく放っておいたが、さすがにそろそろ手を入れなければなるまい。まぁ、一週間あれば問題あるまい。

今回の論文は苦労ばかりして、なんか達成感のないものになった。
そりゃまぁ、広東について得られた知見を中国全土に広げて、蓋然性が得られるかという、つまりは追試なので、新しい知見が得られたわけではない。センスオブワンダーのない研究というのは、必要ではあるが心振るわない。
次の研究も同じようなことになるので、今から気分が重い。というか、作業を進めなければならないのだが、なかなか手につかない。忙しいという事情を差し引いても戦意が高まらないのが困りものだ。
逆に言えば、コツコツやれば、頭使わなくても完成するわけであり、こういう気分が盛り上がらない時だからこそ、回転数を上げなくてもできる作業を進めておくべきなのではあろう。


姪っ子に『大きな森の小さな家』で始まる「インガルス一家の物語」シリーズを買った……のは、夏の古本市の時のことである。さっさと渡せばいいものを、僕が読んでから渡すことにした。まぁ、正直まだ読むには早い──上の子が小学校3年なので、そろそろ行けるんじゃないかと思ったのだが、妹に「お前を基準にするな」的なことを言われた──わけだからして、多少遅くなっても問題はない。
このシリーズ、19世紀開拓時代のアメリカを描いたものなのだが、第1巻『大きな森の小さな家』と第5巻『農場の少年』は、僕がやはり小学生の頃に学校に据え付けられており、繰り返し読みふけったものである。
読んでいて色々と楽しいのだが、何より素晴らしいのは食事についての描写である。実に美味そうに描くのだ。小学生の僕も、小学生の姪っ子を持つようになった僕も、同じ感想を抱いているのだから本物であろう。
開拓地のことである。凝った食材など薬にしたいほどもない。登場人物たちにとって、普通に手に入る食材を使って料理をして、それを食べるだけのことだが、実に美味そうである。残念なことに21世紀の日本で再現しようとするとえらく高く付きそうなものも多いが。
2~4巻は初見になるが、やはり面白い。今読むと大人の目で見てのことになるのだが、子供の時に読んでおけば、また違った感想を抱いただろう。主人公ローラの母がインディアンを嫌がるシーンは、その代表的な部分だろう。わざわざ巻末に解説を入れてあった。無批判に子供が読めば、偏見をいだきかねないというところだろう。実際、小さな女の子であるローラにとって、恐ろしいと思わせるシーンも多いし。
第5巻の『農場の少年』は、主人公がローラから少年のアルマンゾに替わっている。彼は後にローラと結婚するらしいので、まぁおかしくはない。が、小学生の僕にとっては思い至らないことで、この二冊は全く関係のない本だとばかり思っていた。今になって読みなおしてみて、初めて同じ一つのシリーズに含まれることを知ったのだが、驚きはしても違和感は感じなかった。具体的には食べ物の描写の素晴らしさに、共通するものを感じていたためだ。

姪っ子には、秋の古本市で「ドリトル先生」シリーズを買ってやったのだが、まぁこれも読むのはもう少し先になるだろう。こちらは手元に置かずに、車でいく用事があったときにそのまま渡した。
あと僕が小学生の頃に読みふけったというと、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズと、ウェルズの『神秘の島』あたりか。後者はちょっと女の子向けではない冒険物(ちょっと違うのだが)だし、前者を発見したら、買うのもいいだろう。もっとも妹からは、「男の子向けの本を持って来られても……」と言われている。確かに冒険シーンはそこそこあるのだが、基本少年少女のお話なので、素っ頓狂な事にはならない。女の子が読んでも面白い……のだろうか? 面白いと思うんだがなぁ。

2011年12月30日金曜日

師走三十日 師でなくとも走る

ながらくサボっていた。

11月末が論文の締め切り、12月は土日も休み抜きという修羅場だったため、書く気になれなかった。


今回の論文は実に手こずらせられた。
両広塩運司の管轄で行われた塩政について行った分析を、中国全土に広げて同じ手法を適用する。
面倒ではあろうが、基本的に頭をつかうことはあるまいと考えていたのだが、ここまで面倒になるとは思わなかった。
広大な中国において、社会や経済の状況が全く異なることから、各塩運司において行われた塩制は大きく異なる。わざわざ両広塩運司の塩政を明代から民国初期まで検討したのは、とりあえず流れをつかむためでもあったのだが、普通使われるような各時代の特徴的な地域を取り上げ、というスタイルでは、地域における差異が見えなくなるのではないかと考えたためだ。
とはいえ、塩引を用いた専売制という基本形は同じなので、塩引数と塩引1道あたりで販売可能な塩の量の積から各時期・各地域の官塩流通量を求め、人口数から求められる塩需要量とを比較して、私塩の状況を把握することはできるはずである。

まぁ、実際できたわけだが、かなり面倒だったし、また精度にもいささか難が出た。
まず、塩引数の変遷について、正確に史料に記載されているとは限らななかった。何年にどういう変更が行われたのか、概ねのところはわかるのだが、表計算ソフトに変化量を入力していくと、どうしても一致しなかったりする。つまり、記載漏れがあるわけである。また、恒久的な塩引数の変化なのか、一時的な措置なのか、曖昧な部分もあったりして、勘定に入れるべきかどうか悩むところなんかもあった。
とはいえ、おおよその動きはつかめた。問題は塩斤数の方で、こいつについては、塩引数についての項目に載せられている塩運司とそうでないところとがある。載っているヤツについてはいいのだが、載っていないのについてはどうするか。いや、載っていないわけではなく、別のところに断片的に載せられているというべきか。
そんなわけで、人文研を往復してコピーしまくり。金がかかって仕方ないし、いつでも行けるというほど優雅な身分でもないので、伸びに伸びることになった。

こうした情報を苦労してまとめ、表に起こし、分析してグラフにして、と作業を行った結果、なんとか形になった。数字ばかり扱っていたので、文字についてはあまり記憶が残っていない。人文科学の論文とは思えないものになったような気がする。

で、分量だけは多くなり、時間は足りなくなったため、塩税額についての検討は次の論文で扱うことにした。
いま、その準備を始めているところだが、難易度は更に高くなっている。うまくいくのかどうかも分からない。
ま、手持ちの材料を整理して、その上で料理法を考えればいいのだから、今焦る必要はない。1月は忙しいが、それ以降は暇ができるので、春までにはある程度見通せるようにしておきたい。

2011年10月14日金曜日

神無月十四日 ドリフターズ

ドリフターズの2巻が届いたので、読んでみた。

感想(三行で)

何やってんだチョビ髭

レ元帥が某アニメのおかげでアレな感じに。

早く3巻出ねぇかなぁ。

2011年10月1日土曜日

神無月朔日 Kindle Fire

Kindle Fireのリリースが発表された。

Kindleの後継が出るとしたら、カラーのE-inkを使ったものになるだろうと思っていた僕にとって、タブレットとは予想外の展開である。
約200ドルというから、日本円で1.5万円。昨年、僕が買ったKindle3(3G版)と似たような価格である。
ちなみにこちらはKindle Keyboardと名前を変え、140ドルに値下げされた。

もともと僕がKindleを買った理由は、部屋にある大量の本を処分するためだった。文庫本や新書を読むにはこちらぐらいがちょうどいい。ちなみにディスプレイサイズは6インチである。
A5サイズやB5サイズになると、iPadかKindle DX(9.7インチ)ぐらいはほしい。その意味で、7インチのKindle Fireは、こちらの求めるサイズではない。
が、何せ安いし。おもちゃとしてはほしいところである。
まぁ、よくよく考えてみると、持ち歩く場所がないか。そういう場所だと、素直にKindle使ってるし。

少し悩ましいが、しばらく様子見しておこう。

2011年9月24日土曜日

長月二十四日 ワインとトウモロコシ

今、ヒュー・ジョンソンというイギリス人の書いた『ワイン物語』(平凡社ライブラリー)という本を読んでいる。
タイトルのとおり、ワインの歴史を叙述的に述べた読みやすい本で、現在、ローマ時代にさしかかっている。
ところで、読んでいると気になる描写があった。

「同じ形のアンフォラが時として、ワインにも油にもトウモロコシにも使われた。」(上巻136頁)
「しかし、本当はトウモロコシの供給の方が心配だったという説も、同じくらい説得力を持っている。ブドウの木がトウモロコシ畑を侵蝕していたからである。」(同139-140頁)

はて、トウモロコシ? これは大航海時代にアメリカ大陸からヨーロッパに渡ってきた産物ではなかったっけ?
Wikipediaの記事によると、確かにコロンブスの時代にヨーロッパに持ち帰られたようである。
同じ記事を読んでいて思ったのだが、

コーン (corn) ともいう。英語圏ではこの語は本来穀物全般を指したが、現在の北米・オーストラリアなどの多くの国では、特に断らなければトウモロコシを指す。ただし、イギリスではトウモロコシを メイズ(maize) と呼び、穀物全般を指して コーン(corn) と呼ぶことがある。

とある。著者がイギリス人なので、原文が穀類一般(特に小麦)を示すつもりで"corn"としていたのを、訳者がトウモロコシの歴史について知らないために、「トウモロコシ」と訳したのではなかろうか。

つまるところは、よくある間違いということになるのだろうが、個人的にも心しておきたいところである。
「パンとサーカス」という言葉があるぐらいだから、ローマ時代にパンがあったことは間違いあるまい。そのパンと今のパンは違うだろということになるかもしれないが、キリスト教の聖餐だってパン(ただし酵母抜きのビスケットみたいなやつ)なのだから、トウモロコシパンではイメージがつきにくい。やはり小麦だろう。

2011年9月6日火曜日

長月九日 夏合宿

少し前のことになるが、日・月と古巣の大学の恒例となったゼミ合宿に行ってきた。
おりしも台風が直撃する感じだったのでどうなるかと思っていたが、ぎりぎり回避。それでも1日中雨だったが。

6人が発表したが、内容はいまふたつな感じだった。
1章2章と書いてくるのはいいのだが、すべて概説。どこかの研究書か論文の内容をそのまままとめてきたようなものであり、無論必要な作業ではあるが、これでは本論にならない。
西洋史の発表なのに、外国語文献がまったく登場しないのも大きく減点される。院生相手ではなしバリバリ使ってこいとまでは言わないが、一つ二つはほしいところである。
通常、先行研究の調査において日本語の研究内容を抑えてから外国語の文献に当たるものなので、言い方を変えると、ろくに日本語の研究すら抑え切れていないということである。
実際、参考文献として挙げられた論文数も、きわめて貧弱である。「このテーマでその数はないだろ」と言いたくなるのは、まぁ繰り返されてきた光景ではあるのだが。

後で先生と話していると、今年のメンツは、いわゆる「ゆとり世代」の絶頂期の産物らしく、どうにもならないらしい。
具体的には、向上心の類がまるでなく、先生が煽っても暖簾に腕押し状態になるそうである。例年だと、ひとりぐらいはそこそこ出来るのがいて、それをライバル視しながら進んでいくという展開になるし、また先生もそうなるように煽るわけだが、低いレヴェルで満足してしまうと、伸びないわけである。強く言っても、まるで堪えないときたものである。「ナンバーワンよりオンリーワン」なんて言っていたつけが、このモチベーションの低さにつながるわけである。
昨年に卒論を落とされて留年したのがいて、それが絶望的にひどいらしい。指導を聞かないどころか、Wikipediaまる写し(そのままコピペなので、語調から何からまるで統一がない)、参考文献は新書一冊というレジェンダリークラスのクズっぷりで、指導している先生が激怒しているそうな。まじめな人だからなぁ。
僕なら容赦なく落とすけど。学費はすでに4年分(今年を入れると5年分)もらっているので、退学されたところで痛くもないだろうし。まぁ、そのあたりは完全に他人事として考えられる僕と、指導する義務を負っている先生方との立場の違いだろう。

だいたい、ダメな世代の次はそこそこいける世代になるのが通例らしく、現在の3回生はまだしもマシらしい。こういう感想は、ほとんどの場合当を得ているものなんだけど、「ダメな世代」に繰りこまれる人間は、面白くないだろうなぁ。「団塊世代」とかのラベル貼りも同じだと思うけど、一定の事実を示しているだけに、「俺を一緒にするな」と思いたくなるものであろう。

まぁ、彼らの成果を聞くのは卒論提出の打ち上げの時になると思うが、先行研究の調査も不充分で、章建てすら出来ていない状態から、どの程度まで持ち直せるのか、聞いて……みたいようなみたくないような。