2010年9月9日木曜日

長月九日

つらつら考えるに、明代の塩政を研究するだけでは、上手く行かないかも知れない。
もちろん、明代のみで片付けるつもりはなく、明代の研究を終えた後に清代の研究に移るつもりだったが、それでは問題があるかも知れないと言うことである。

もとより、複雑怪奇な塩政について、一度に全ての研究を行えるわけがない。
少なくとも10年前の僕には、塩政全体の見通しなど立てられようもなかった。
そこでケーススタディとして、まず明代の広東について研究を行い、そして地域を広東に絞って定点研究を進めたわけである。

現在の僕は、明代から民国初期までのパースペクティヴを得られる状態にある。地域としては広東のみだが、中国全体の全般的な傾向も予想し得るだろうというのが、現状に対する判断である。

となると、次に行うべきはその実証、つまり中国全土におけるある程度長期にわたる塩政の変化について、検討すべきである。
そう考え、まずは明代から検討し、次に清代へと進めるつもりだった。もう少し具体的に述べると、明代と清代のそれぞれ中期及び後期を対象としたいと考えている。広東においては、清代中期になると官塩供給量の調整を放棄し、需要の拡大は私塩の放置によって賄うことになったが、これは明代においても、また中国全土においても共通しているのだろうか?

ところで、研究の進め方は、まず行塩地(官塩市場)の変遷を明らかにし、次いで販売される官塩の量を明らかとし、それと人口数から得られる需要量とを比較することで、差額として求められる私塩(密売塩)の規模を求め、それによって塩政の安定度を測るというものだった。

このうち行塩地と官塩販売量は、塩政関係史料から求められる。いわば研究の中核である。
で、明代と清代の人口については、人口史の専門家である曹樹基先生の研究成果から求めていた。人口史については今なお研究が続けられているが、中国各地の人口を推計している研究としては最新のものであり、その確度も比較的高いものと、僕は考えている。
ただし、中国人口史の一般論として、明代の統計史料の正確性はかなり宜しくないというのが通説である。正確には清代中期頃まで、人口統計は信用できないものとされている。これは人口統計を製作した理由が、人口数の把握それ自体にあるのではなく、徴税台帳として製作されたため、徴税を忌避する人民が統計から遁れようとしたことと、そしてそれに関連して明代中期以降に進んだ人口の流動化が起きたことなどが理由として挙げられる。
要するに、明代から清代中期の塩の需要規模を正確に把握することは難しいということである。

となると、比較的信頼性の高い清代中期以降について研究を行い、次いで清代初期・明代後期・明代中期(順番はどうでも良いが)と進めた方が、人口数の不透明な部分についても、より蓋然性の高い推測を行うのに適当ではないかと考えたわけである。

もともと二本の論文で行おうとしていた研究であるからして、まとめて一本でというわけにはいかない。相応の時間と労力とを投入し、おそらくはその1・その2という感じで二本立ての論文ということになるだろう。
労力はともかく、時間については頭の痛いところだが、考えてみれば先の論文はまだ発表したばかりであり、1年に二本書くつもりでやれば、なんとか収まるかも知れない。時間的には長期間だが、扱う史料はほぼ同一だからだ。少なくとも、別の論文を二本書くよりは早く済みそうな気がする。

明代については『明実録類纂』を使ったが、清代については、ジャンル別の類纂は出てないはずである。地域別ならあるのだが、さすがに全部チェックするのは辛い。
それほど精度の高い史料が必要なわけでもないので、地方志あたりから塩引数や行塩地について情報を引き出し、まとめる作業を行うことになるだろうか。

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