2010年7月21日水曜日

文月廿一日

連休も、黙々と史料の打ち込みを続けていた。
まぁ、EU3のオスマンプレイをやったり、らんだむダンジョンやったりしながらだが。

ざっと『明実録類纂』の塩政関係記事を眺めて、必要そうな記事のあるページには付箋を貼っておき、一通りチェックが終わってから入力するという段取りで、今はその入力の段階である。要するに、「史料を読む」段階を、僕の場合は「流し読み+付箋貼り」→「入力」→「日本語訳」という三段階に分けていることになる。

大学時代、当時の師匠が授業中に、「歴史学に才能は要らない」とか曰っておられた。この時には、単なる謙遜だろうと思っていたが、最近になって考えが変わってきた。
実際、作業の九割ほどは頭を使わない。ある程度漢文(もしくは外国語)に慣れれば、斜め読みが可能になる。特に日本人の場合、漢文の斜め読みはすぐに修得できる。
ちなみにここ数年ほどHOI2などで英文を読んできているが、いまだ斜め読みは難しい。こちらは単純に経験値不足なだけとも言えるが、斜め読みに必要な水準に達するまでの経験値は、どう考えても漢文に必要なそれよりも多いはずだ。

歴史学の研究を行うのに必要なのは、何よりも史料を読み込むという単純作業を行い続けられるだけの根気だろう。頭を使うのはその前後の僅かな部分でしかない。
まぁもちろん、根気とて才能(しかも僕には全く不足している)であろうし、史料の読み込みが行えても、何処かの部分で頭を使う必要はある。エジソンの言う、「天才は1%のひらめきと99%の汗」というヤツである。天才はある仕事の達成とでも読み替えておけばよい。
にしても、単調な作業をこつこつ続けることがどうしても必要になる。どこかの波紋使い同様、努力とか頑張るとかは僕が最も苦手とするジャンルではあるが、仕方のないところだ。
ちなみに、そうは言ってもやはり頭の良い人間というのはいるもので、1%のところを3%だか10%だかにしてしまったりすることもあるわけだが、ここでは措く。少なくとも僕のことではない。2%ぐらいにはしたいと思ってはいるのだが。

さて、そんな感じで史料を入力していると、だんだんと見えてくるものもある。
先日、僕なりの中国近世史塩政時代区分を行った。
簡単にまとめると、清代前期は不調、清代中期は順調、清代末期は破綻し、明代前期は不調、明代中期は途中まで順調、正徳年間頃から不調、短い回復期を挟んで、明代末期は破綻というものである。

明代と清代とでは、当然ながら事情が異なるので同一視は出来ない。しかし、不安定→安定→不安定→破綻という流れは、それほど変わらない。となると、ふたつの王朝の塩政について、ある程度一般化できるのではないだろうか。

両朝の大きな違いは、明代後期以降続いた多量の銀流入のため、経済の拡大は、明代は後期、清代は中期と異なる点にあろうからして、その点には留意しなければならない。

だが、王朝末期に財源に事欠き、同時に支出が増大して塩税需要が高まると、清代には塩税の増額、明代には、どうも餘塩引の乱発を行ったようだ。
明代についてはまだ調査不足なので、明末塩政について書かれた論文を当たらねばなるまい。あまり考えたくないが、それについて書いた論文がなければ、僕自身がやらねばならないかも知れないが。
いずれにせよ、明末のそれは需要を無視して塩引を乱発したものである。おかげで本来の塩引の消化が滞り、財政全体が更に困窮するという悪循環を迎えるわけだが、それはともかくとして、清末には塩税の税率増加、明末には塩引の発給数拡大という形で、それぞれの財政需要の拡大に応えようとしたわけである。

上で書いた明代塩政の時代区分についてだが、正徳年間あたりを境に前後期に分け、前期はさておき後期について、さらに正徳~嘉靖の混乱期、隆慶~万暦初期の安定期、万暦中期以降の混乱期と分ければ、清代のそれにかなり近づく。
まだ根拠に乏しいが、中国史全体において、正徳年間頃、つまり世界経済の枠内に中国が参入し、その一環として銀の流入が拡大した時期から、中国はヨーロッパ史で言うearly modern(近世と訳すべきだろうがいささか語弊も感じる)を迎えたのではないかという気がしている。
まずその概念自体が正しいのかという問題もあるが、それは措くとして、その内部にあっては近似した経済の流れがあり、その中ではやはり近似した塩政の流れが見られるのではなかろうか。
つまり、前期となる不安定な時期に、比較的需要に合致した塩の供給が行われ、塩制がひとまず完成して安定した中期を迎える。需要と供給が釣り合った時点で、塩制も安定、言い換えれば固定化・硬直化する。外的な要因により、王朝が不安定化して財政需要が再び高まっても、塩制の健全な改革は行われず、無理な形で塩税の増加が行われ、破綻する。ここで言う「無理な形」とは、需要を掘り起こして経済的に合理的な形で塩税を確保しないという意味。具体的には私塩を官塩に転換せず、官塩の税率増加(清末)、官塩の乱発(明末)ということである。

なお、塩制が硬直するのは、岩井茂樹のいう「原額主義」の考えを援用している。原額主義とは──あー、また岩井先生の本を読み直して整理し直すつもりだが、中国近世~近代財政において普遍的に見られる財政原則で、財政制度が硬直化しやすく、状況に即した柔軟な運用が困難になりがちな
傾向を見せるものであると理解しておく。

さてさて、こうして整理してきたわけだが、以上を踏まえて、今後やるべき方向を考える。
まず、これまで通りに各塩運司ごとの塩制の変遷を追い、官塩と私塩の需給について調べる。これは、これまで広東について行ってきた作業の拡大版に過ぎない。
次に、明代初期から中期、正徳以前の塩政について、問題はなかったか改めて検討する。史料が少ないが、多分問題は少なかったのではないかと思っている。これは、明代塩政史を通観する上で必要な作業であるし、特に上述した時代区分の問題を検討する上での基本作業となる。
みっつめに、万暦中期以降の塩政破綻について調べる。先行研究があればいいなぁと思う。

散漫な文章だが、まぁこうやって整理していかないと、いつまで経っても散漫なままなので。

0 件のコメント:

コメントを投稿