随分というか、半年以上空いた。
書くことがなかったわけではないし、暇がなかったわけでもないので、これは書く気がなかったためと言うしかない。
気力の枯渇は当然ながら他の方面にも悪影響をおよぼすわけで、研究の方も長らく進まなかった。
こういう時にはじっと時が来るのを待つことと、何か新しいことをすることが良い、そう思っていたところ、僕の従姉に当たる親戚から声がかかってきた。
彼女は自営業の経理をやっているのだが、手が足りないとのこと。彼女の母親、つまり僕の伯母ががんの治療を受ける必要があり、そのため色々と手が必要になったこと、そして本業の経理に助手が欲しかったことなどから、僕に声がかかってきたのだ。
彼女の家は、体操教室を開いているのだが、個人情報などなかなか人には頼めない情報を扱う仕事もしなければならず、手軽に使えて、かつ信用が置ける人間が必要だとのことである。
経理関係の仕事などやったことがないので、果たして僕が使えるのかどうかは疑問だったが、まぁ親戚が困っているのを助けないわけにも行かず、承諾した。
内容は、PCの扱いに慣れている人間ならさほど難しいものではなかった。
このあたりは慣れている人間とそうでない人間の格差が大きいところなので、僕程度の人間でも重宝されるらしい。お世辞まじりなのかどうかは知らないが、大げさなほど感謝された。
図書館との今年の契約では、夏場は仕事が無い。
お陰で夏前は殺人的に忙しく、かつ他にも色々と仕事が舞い込んできたため、僕の気力が阻喪する一因にもなったわけだが、それはさておき夏は暇である。
ある程度金を稼ぐ必要もあったので、そういう意味でも好都合だった。
が、出先まで行くのに自転車で約一時間(後、最速で45分程度と判明)、夏場なのでかなりの労力である。
運動不足の解消になるだろうとも思ったが、結局バイクを買うことにした。
改めて調べてみたところ、日本のバイク産業は、いささか大げさに表現すればほぼ壊滅状態にあるらしく、僕の気に入るようなバイクは、なかなか手に入らないらしい。
僕はスクーターがあまり好きではなく、昔ながらのマニュアルタイプが欲しかった。ついでにイニシャルコストやランニングコストも低いものが良いというか、高いものは手が出せない。
というわけで、125ccまでの小型バイクである。
ついでに、僕の住んでいるところの駐輪場が狭く、大きなものは置けない。
というわけで、125ccは苦しい。70から90あたりとなろう。
そんなの、カブしかねぇ。
で、バイク屋に行ってみた。
聞いてみると、そのクラスのカブは、もう日本では生産していないらしい。
スズキがGN125などのバイクを出しているのだが、これはかつて自社で生産していたものを、中国で生産させたものだそうな。お値段はなかなか良いのだが、少し大きい。
尋ねてみると、中国や東南アジアでは、ある程度大きくて色々と積めるもののほうが好まれるそうな。小型高出力などを好むのは日本人ぐらいということか。まぁそうだわな。
改めて考えてみたが、そうなると50ccのカブで妥協するか、中古を探すかということになる。
そこで探してみたところ、幾つかの選択肢を見つけた。
カブだけでなく、似たようなもので、ベンリィの90などもあった。これはカブを開発したのと同じ技術を使って、もうちょっとそれっぽい仕立てにしたものである。
結局、そちらにした。ある程度スピードが出やすいほうが好いかなと思ったのだが、実際のところ、そういう意味での性能に差があるのかどうかは知らない。
で、その納車を終えて、走らせてみたところ、所要時間は45分ぐらいだった。変わらねぇ。
ま、自転車を漕ぐ手間が省けた分は良いんだけど。
ちなみに保険を含めた費用は約15万ほどである。バイト代の足しどころか、大幅な出費なのはどういうことか。もうちょっと詳しく述べると、バイク11万、自賠責1.5万、任意2.5万程度。自賠責は5年で、任意は1年なので、保険は毎年3万弱かかるということになる。
5年走ると、バイクよりも保険のほうが高くなるわけで……。
まぁ、今さら仕方のない事なので、買った分の元を取るべく、もう少し乗り回すつもりである。真夏という、街乗りには最悪のシーズンなのだが、少し遠出するぐらいが良いな。
2012年8月10日金曜日
2012年1月28日土曜日
睦月廿八日 一段落
嵐のような二ヶ月が終わった。あと三日ほど残っているが。
月月火水木金金な生活は身体にも精神にも悪い。大した金にもならんというあたりが更にすばらしい。
働いた分だけ収入はあるが、2月3月は仕事が減るので、トータルしたらむしろマイナス。すばらしい。
それはそれとして、ようやく初校が戻ってきた。心が磨耗しているのでしばらく放っておいたが、さすがにそろそろ手を入れなければなるまい。まぁ、一週間あれば問題あるまい。
今回の論文は苦労ばかりして、なんか達成感のないものになった。
そりゃまぁ、広東について得られた知見を中国全土に広げて、蓋然性が得られるかという、つまりは追試なので、新しい知見が得られたわけではない。センスオブワンダーのない研究というのは、必要ではあるが心振るわない。
次の研究も同じようなことになるので、今から気分が重い。というか、作業を進めなければならないのだが、なかなか手につかない。忙しいという事情を差し引いても戦意が高まらないのが困りものだ。
逆に言えば、コツコツやれば、頭使わなくても完成するわけであり、こういう気分が盛り上がらない時だからこそ、回転数を上げなくてもできる作業を進めておくべきなのではあろう。
姪っ子に『大きな森の小さな家』で始まる「インガルス一家の物語」シリーズを買った……のは、夏の古本市の時のことである。さっさと渡せばいいものを、僕が読んでから渡すことにした。まぁ、正直まだ読むには早い──上の子が小学校3年なので、そろそろ行けるんじゃないかと思ったのだが、妹に「お前を基準にするな」的なことを言われた──わけだからして、多少遅くなっても問題はない。
このシリーズ、19世紀開拓時代のアメリカを描いたものなのだが、第1巻『大きな森の小さな家』と第5巻『農場の少年』は、僕がやはり小学生の頃に学校に据え付けられており、繰り返し読みふけったものである。
読んでいて色々と楽しいのだが、何より素晴らしいのは食事についての描写である。実に美味そうに描くのだ。小学生の僕も、小学生の姪っ子を持つようになった僕も、同じ感想を抱いているのだから本物であろう。
開拓地のことである。凝った食材など薬にしたいほどもない。登場人物たちにとって、普通に手に入る食材を使って料理をして、それを食べるだけのことだが、実に美味そうである。残念なことに21世紀の日本で再現しようとするとえらく高く付きそうなものも多いが。
2~4巻は初見になるが、やはり面白い。今読むと大人の目で見てのことになるのだが、子供の時に読んでおけば、また違った感想を抱いただろう。主人公ローラの母がインディアンを嫌がるシーンは、その代表的な部分だろう。わざわざ巻末に解説を入れてあった。無批判に子供が読めば、偏見をいだきかねないというところだろう。実際、小さな女の子であるローラにとって、恐ろしいと思わせるシーンも多いし。
第5巻の『農場の少年』は、主人公がローラから少年のアルマンゾに替わっている。彼は後にローラと結婚するらしいので、まぁおかしくはない。が、小学生の僕にとっては思い至らないことで、この二冊は全く関係のない本だとばかり思っていた。今になって読みなおしてみて、初めて同じ一つのシリーズに含まれることを知ったのだが、驚きはしても違和感は感じなかった。具体的には食べ物の描写の素晴らしさに、共通するものを感じていたためだ。
姪っ子には、秋の古本市で「ドリトル先生」シリーズを買ってやったのだが、まぁこれも読むのはもう少し先になるだろう。こちらは手元に置かずに、車でいく用事があったときにそのまま渡した。
あと僕が小学生の頃に読みふけったというと、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズと、ウェルズの『神秘の島』あたりか。後者はちょっと女の子向けではない冒険物(ちょっと違うのだが)だし、前者を発見したら、買うのもいいだろう。もっとも妹からは、「男の子向けの本を持って来られても……」と言われている。確かに冒険シーンはそこそこあるのだが、基本少年少女のお話なので、素っ頓狂な事にはならない。女の子が読んでも面白い……のだろうか? 面白いと思うんだがなぁ。
月月火水木金金な生活は身体にも精神にも悪い。大した金にもならんというあたりが更にすばらしい。
働いた分だけ収入はあるが、2月3月は仕事が減るので、トータルしたらむしろマイナス。すばらしい。
それはそれとして、ようやく初校が戻ってきた。心が磨耗しているのでしばらく放っておいたが、さすがにそろそろ手を入れなければなるまい。まぁ、一週間あれば問題あるまい。
今回の論文は苦労ばかりして、なんか達成感のないものになった。
そりゃまぁ、広東について得られた知見を中国全土に広げて、蓋然性が得られるかという、つまりは追試なので、新しい知見が得られたわけではない。センスオブワンダーのない研究というのは、必要ではあるが心振るわない。
次の研究も同じようなことになるので、今から気分が重い。というか、作業を進めなければならないのだが、なかなか手につかない。忙しいという事情を差し引いても戦意が高まらないのが困りものだ。
逆に言えば、コツコツやれば、頭使わなくても完成するわけであり、こういう気分が盛り上がらない時だからこそ、回転数を上げなくてもできる作業を進めておくべきなのではあろう。
姪っ子に『大きな森の小さな家』で始まる「インガルス一家の物語」シリーズを買った……のは、夏の古本市の時のことである。さっさと渡せばいいものを、僕が読んでから渡すことにした。まぁ、正直まだ読むには早い──上の子が小学校3年なので、そろそろ行けるんじゃないかと思ったのだが、妹に「お前を基準にするな」的なことを言われた──わけだからして、多少遅くなっても問題はない。
このシリーズ、19世紀開拓時代のアメリカを描いたものなのだが、第1巻『大きな森の小さな家』と第5巻『農場の少年』は、僕がやはり小学生の頃に学校に据え付けられており、繰り返し読みふけったものである。
読んでいて色々と楽しいのだが、何より素晴らしいのは食事についての描写である。実に美味そうに描くのだ。小学生の僕も、小学生の姪っ子を持つようになった僕も、同じ感想を抱いているのだから本物であろう。
開拓地のことである。凝った食材など薬にしたいほどもない。登場人物たちにとって、普通に手に入る食材を使って料理をして、それを食べるだけのことだが、実に美味そうである。残念なことに21世紀の日本で再現しようとするとえらく高く付きそうなものも多いが。
2~4巻は初見になるが、やはり面白い。今読むと大人の目で見てのことになるのだが、子供の時に読んでおけば、また違った感想を抱いただろう。主人公ローラの母がインディアンを嫌がるシーンは、その代表的な部分だろう。わざわざ巻末に解説を入れてあった。無批判に子供が読めば、偏見をいだきかねないというところだろう。実際、小さな女の子であるローラにとって、恐ろしいと思わせるシーンも多いし。
第5巻の『農場の少年』は、主人公がローラから少年のアルマンゾに替わっている。彼は後にローラと結婚するらしいので、まぁおかしくはない。が、小学生の僕にとっては思い至らないことで、この二冊は全く関係のない本だとばかり思っていた。今になって読みなおしてみて、初めて同じ一つのシリーズに含まれることを知ったのだが、驚きはしても違和感は感じなかった。具体的には食べ物の描写の素晴らしさに、共通するものを感じていたためだ。
姪っ子には、秋の古本市で「ドリトル先生」シリーズを買ってやったのだが、まぁこれも読むのはもう少し先になるだろう。こちらは手元に置かずに、車でいく用事があったときにそのまま渡した。
あと僕が小学生の頃に読みふけったというと、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズと、ウェルズの『神秘の島』あたりか。後者はちょっと女の子向けではない冒険物(ちょっと違うのだが)だし、前者を発見したら、買うのもいいだろう。もっとも妹からは、「男の子向けの本を持って来られても……」と言われている。確かに冒険シーンはそこそこあるのだが、基本少年少女のお話なので、素っ頓狂な事にはならない。女の子が読んでも面白い……のだろうか? 面白いと思うんだがなぁ。
2011年12月30日金曜日
師走三十日 師でなくとも走る
ながらくサボっていた。
11月末が論文の締め切り、12月は土日も休み抜きという修羅場だったため、書く気になれなかった。
今回の論文は実に手こずらせられた。
両広塩運司の管轄で行われた塩政について行った分析を、中国全土に広げて同じ手法を適用する。
面倒ではあろうが、基本的に頭をつかうことはあるまいと考えていたのだが、ここまで面倒になるとは思わなかった。
広大な中国において、社会や経済の状況が全く異なることから、各塩運司において行われた塩制は大きく異なる。わざわざ両広塩運司の塩政を明代から民国初期まで検討したのは、とりあえず流れをつかむためでもあったのだが、普通使われるような各時代の特徴的な地域を取り上げ、というスタイルでは、地域における差異が見えなくなるのではないかと考えたためだ。
とはいえ、塩引を用いた専売制という基本形は同じなので、塩引数と塩引1道あたりで販売可能な塩の量の積から各時期・各地域の官塩流通量を求め、人口数から求められる塩需要量とを比較して、私塩の状況を把握することはできるはずである。
まぁ、実際できたわけだが、かなり面倒だったし、また精度にもいささか難が出た。
まず、塩引数の変遷について、正確に史料に記載されているとは限らななかった。何年にどういう変更が行われたのか、概ねのところはわかるのだが、表計算ソフトに変化量を入力していくと、どうしても一致しなかったりする。つまり、記載漏れがあるわけである。また、恒久的な塩引数の変化なのか、一時的な措置なのか、曖昧な部分もあったりして、勘定に入れるべきかどうか悩むところなんかもあった。
とはいえ、おおよその動きはつかめた。問題は塩斤数の方で、こいつについては、塩引数についての項目に載せられている塩運司とそうでないところとがある。載っているヤツについてはいいのだが、載っていないのについてはどうするか。いや、載っていないわけではなく、別のところに断片的に載せられているというべきか。
そんなわけで、人文研を往復してコピーしまくり。金がかかって仕方ないし、いつでも行けるというほど優雅な身分でもないので、伸びに伸びることになった。
こうした情報を苦労してまとめ、表に起こし、分析してグラフにして、と作業を行った結果、なんとか形になった。数字ばかり扱っていたので、文字についてはあまり記憶が残っていない。人文科学の論文とは思えないものになったような気がする。
で、分量だけは多くなり、時間は足りなくなったため、塩税額についての検討は次の論文で扱うことにした。
いま、その準備を始めているところだが、難易度は更に高くなっている。うまくいくのかどうかも分からない。
ま、手持ちの材料を整理して、その上で料理法を考えればいいのだから、今焦る必要はない。1月は忙しいが、それ以降は暇ができるので、春までにはある程度見通せるようにしておきたい。
11月末が論文の締め切り、12月は土日も休み抜きという修羅場だったため、書く気になれなかった。
今回の論文は実に手こずらせられた。
両広塩運司の管轄で行われた塩政について行った分析を、中国全土に広げて同じ手法を適用する。
面倒ではあろうが、基本的に頭をつかうことはあるまいと考えていたのだが、ここまで面倒になるとは思わなかった。
広大な中国において、社会や経済の状況が全く異なることから、各塩運司において行われた塩制は大きく異なる。わざわざ両広塩運司の塩政を明代から民国初期まで検討したのは、とりあえず流れをつかむためでもあったのだが、普通使われるような各時代の特徴的な地域を取り上げ、というスタイルでは、地域における差異が見えなくなるのではないかと考えたためだ。
とはいえ、塩引を用いた専売制という基本形は同じなので、塩引数と塩引1道あたりで販売可能な塩の量の積から各時期・各地域の官塩流通量を求め、人口数から求められる塩需要量とを比較して、私塩の状況を把握することはできるはずである。
まぁ、実際できたわけだが、かなり面倒だったし、また精度にもいささか難が出た。
まず、塩引数の変遷について、正確に史料に記載されているとは限らななかった。何年にどういう変更が行われたのか、概ねのところはわかるのだが、表計算ソフトに変化量を入力していくと、どうしても一致しなかったりする。つまり、記載漏れがあるわけである。また、恒久的な塩引数の変化なのか、一時的な措置なのか、曖昧な部分もあったりして、勘定に入れるべきかどうか悩むところなんかもあった。
とはいえ、おおよその動きはつかめた。問題は塩斤数の方で、こいつについては、塩引数についての項目に載せられている塩運司とそうでないところとがある。載っているヤツについてはいいのだが、載っていないのについてはどうするか。いや、載っていないわけではなく、別のところに断片的に載せられているというべきか。
そんなわけで、人文研を往復してコピーしまくり。金がかかって仕方ないし、いつでも行けるというほど優雅な身分でもないので、伸びに伸びることになった。
こうした情報を苦労してまとめ、表に起こし、分析してグラフにして、と作業を行った結果、なんとか形になった。数字ばかり扱っていたので、文字についてはあまり記憶が残っていない。人文科学の論文とは思えないものになったような気がする。
で、分量だけは多くなり、時間は足りなくなったため、塩税額についての検討は次の論文で扱うことにした。
いま、その準備を始めているところだが、難易度は更に高くなっている。うまくいくのかどうかも分からない。
ま、手持ちの材料を整理して、その上で料理法を考えればいいのだから、今焦る必要はない。1月は忙しいが、それ以降は暇ができるので、春までにはある程度見通せるようにしておきたい。
2011年10月14日金曜日
2011年10月1日土曜日
神無月朔日 Kindle Fire
Kindle Fireのリリースが発表された。
Kindleの後継が出るとしたら、カラーのE-inkを使ったものになるだろうと思っていた僕にとって、タブレットとは予想外の展開である。
約200ドルというから、日本円で1.5万円。昨年、僕が買ったKindle3(3G版)と似たような価格である。
ちなみにこちらはKindle Keyboardと名前を変え、140ドルに値下げされた。
もともと僕がKindleを買った理由は、部屋にある大量の本を処分するためだった。文庫本や新書を読むにはこちらぐらいがちょうどいい。ちなみにディスプレイサイズは6インチである。
A5サイズやB5サイズになると、iPadかKindle DX(9.7インチ)ぐらいはほしい。その意味で、7インチのKindle Fireは、こちらの求めるサイズではない。
が、何せ安いし。おもちゃとしてはほしいところである。
まぁ、よくよく考えてみると、持ち歩く場所がないか。そういう場所だと、素直にKindle使ってるし。
少し悩ましいが、しばらく様子見しておこう。
Kindleの後継が出るとしたら、カラーのE-inkを使ったものになるだろうと思っていた僕にとって、タブレットとは予想外の展開である。
約200ドルというから、日本円で1.5万円。昨年、僕が買ったKindle3(3G版)と似たような価格である。
ちなみにこちらはKindle Keyboardと名前を変え、140ドルに値下げされた。
もともと僕がKindleを買った理由は、部屋にある大量の本を処分するためだった。文庫本や新書を読むにはこちらぐらいがちょうどいい。ちなみにディスプレイサイズは6インチである。
A5サイズやB5サイズになると、iPadかKindle DX(9.7インチ)ぐらいはほしい。その意味で、7インチのKindle Fireは、こちらの求めるサイズではない。
が、何せ安いし。おもちゃとしてはほしいところである。
まぁ、よくよく考えてみると、持ち歩く場所がないか。そういう場所だと、素直にKindle使ってるし。
少し悩ましいが、しばらく様子見しておこう。
2011年9月24日土曜日
長月二十四日 ワインとトウモロコシ
今、ヒュー・ジョンソンというイギリス人の書いた『ワイン物語』(平凡社ライブラリー)という本を読んでいる。
タイトルのとおり、ワインの歴史を叙述的に述べた読みやすい本で、現在、ローマ時代にさしかかっている。
ところで、読んでいると気になる描写があった。
「同じ形のアンフォラが時として、ワインにも油にもトウモロコシにも使われた。」(上巻136頁)
「しかし、本当はトウモロコシの供給の方が心配だったという説も、同じくらい説得力を持っている。ブドウの木がトウモロコシ畑を侵蝕していたからである。」(同139-140頁)
はて、トウモロコシ? これは大航海時代にアメリカ大陸からヨーロッパに渡ってきた産物ではなかったっけ?
Wikipediaの記事によると、確かにコロンブスの時代にヨーロッパに持ち帰られたようである。
同じ記事を読んでいて思ったのだが、
コーン (corn) ともいう。英語圏ではこの語は本来穀物全般を指したが、現在の北米・オーストラリアなどの多くの国では、特に断らなければトウモロコシを指す。ただし、イギリスではトウモロコシを メイズ(maize) と呼び、穀物全般を指して コーン(corn) と呼ぶことがある。
とある。著者がイギリス人なので、原文が穀類一般(特に小麦)を示すつもりで"corn"としていたのを、訳者がトウモロコシの歴史について知らないために、「トウモロコシ」と訳したのではなかろうか。
つまるところは、よくある間違いということになるのだろうが、個人的にも心しておきたいところである。
「パンとサーカス」という言葉があるぐらいだから、ローマ時代にパンがあったことは間違いあるまい。そのパンと今のパンは違うだろということになるかもしれないが、キリスト教の聖餐だってパン(ただし酵母抜きのビスケットみたいなやつ)なのだから、トウモロコシパンではイメージがつきにくい。やはり小麦だろう。
タイトルのとおり、ワインの歴史を叙述的に述べた読みやすい本で、現在、ローマ時代にさしかかっている。
ところで、読んでいると気になる描写があった。
「同じ形のアンフォラが時として、ワインにも油にもトウモロコシにも使われた。」(上巻136頁)
「しかし、本当はトウモロコシの供給の方が心配だったという説も、同じくらい説得力を持っている。ブドウの木がトウモロコシ畑を侵蝕していたからである。」(同139-140頁)
はて、トウモロコシ? これは大航海時代にアメリカ大陸からヨーロッパに渡ってきた産物ではなかったっけ?
Wikipediaの記事によると、確かにコロンブスの時代にヨーロッパに持ち帰られたようである。
同じ記事を読んでいて思ったのだが、
コーン (corn) ともいう。英語圏ではこの語は本来穀物全般を指したが、現在の北米・オーストラリアなどの多くの国では、特に断らなければトウモロコシを指す。ただし、イギリスではトウモロコシを メイズ(maize) と呼び、穀物全般を指して コーン(corn) と呼ぶことがある。
とある。著者がイギリス人なので、原文が穀類一般(特に小麦)を示すつもりで"corn"としていたのを、訳者がトウモロコシの歴史について知らないために、「トウモロコシ」と訳したのではなかろうか。
つまるところは、よくある間違いということになるのだろうが、個人的にも心しておきたいところである。
「パンとサーカス」という言葉があるぐらいだから、ローマ時代にパンがあったことは間違いあるまい。そのパンと今のパンは違うだろということになるかもしれないが、キリスト教の聖餐だってパン(ただし酵母抜きのビスケットみたいなやつ)なのだから、トウモロコシパンではイメージがつきにくい。やはり小麦だろう。
2011年9月6日火曜日
長月九日 夏合宿
少し前のことになるが、日・月と古巣の大学の恒例となったゼミ合宿に行ってきた。
おりしも台風が直撃する感じだったのでどうなるかと思っていたが、ぎりぎり回避。それでも1日中雨だったが。
6人が発表したが、内容はいまふたつな感じだった。
1章2章と書いてくるのはいいのだが、すべて概説。どこかの研究書か論文の内容をそのまままとめてきたようなものであり、無論必要な作業ではあるが、これでは本論にならない。
西洋史の発表なのに、外国語文献がまったく登場しないのも大きく減点される。院生相手ではなしバリバリ使ってこいとまでは言わないが、一つ二つはほしいところである。
通常、先行研究の調査において日本語の研究内容を抑えてから外国語の文献に当たるものなので、言い方を変えると、ろくに日本語の研究すら抑え切れていないということである。
実際、参考文献として挙げられた論文数も、きわめて貧弱である。「このテーマでその数はないだろ」と言いたくなるのは、まぁ繰り返されてきた光景ではあるのだが。
後で先生と話していると、今年のメンツは、いわゆる「ゆとり世代」の絶頂期の産物らしく、どうにもならないらしい。
具体的には、向上心の類がまるでなく、先生が煽っても暖簾に腕押し状態になるそうである。例年だと、ひとりぐらいはそこそこ出来るのがいて、それをライバル視しながら進んでいくという展開になるし、また先生もそうなるように煽るわけだが、低いレヴェルで満足してしまうと、伸びないわけである。強く言っても、まるで堪えないときたものである。「ナンバーワンよりオンリーワン」なんて言っていたつけが、このモチベーションの低さにつながるわけである。
昨年に卒論を落とされて留年したのがいて、それが絶望的にひどいらしい。指導を聞かないどころか、Wikipediaまる写し(そのままコピペなので、語調から何からまるで統一がない)、参考文献は新書一冊というレジェンダリークラスのクズっぷりで、指導している先生が激怒しているそうな。まじめな人だからなぁ。
僕なら容赦なく落とすけど。学費はすでに4年分(今年を入れると5年分)もらっているので、退学されたところで痛くもないだろうし。まぁ、そのあたりは完全に他人事として考えられる僕と、指導する義務を負っている先生方との立場の違いだろう。
だいたい、ダメな世代の次はそこそこいける世代になるのが通例らしく、現在の3回生はまだしもマシらしい。こういう感想は、ほとんどの場合当を得ているものなんだけど、「ダメな世代」に繰りこまれる人間は、面白くないだろうなぁ。「団塊世代」とかのラベル貼りも同じだと思うけど、一定の事実を示しているだけに、「俺を一緒にするな」と思いたくなるものであろう。
まぁ、彼らの成果を聞くのは卒論提出の打ち上げの時になると思うが、先行研究の調査も不充分で、章建てすら出来ていない状態から、どの程度まで持ち直せるのか、聞いて……みたいようなみたくないような。
おりしも台風が直撃する感じだったのでどうなるかと思っていたが、ぎりぎり回避。それでも1日中雨だったが。
6人が発表したが、内容はいまふたつな感じだった。
1章2章と書いてくるのはいいのだが、すべて概説。どこかの研究書か論文の内容をそのまままとめてきたようなものであり、無論必要な作業ではあるが、これでは本論にならない。
西洋史の発表なのに、外国語文献がまったく登場しないのも大きく減点される。院生相手ではなしバリバリ使ってこいとまでは言わないが、一つ二つはほしいところである。
通常、先行研究の調査において日本語の研究内容を抑えてから外国語の文献に当たるものなので、言い方を変えると、ろくに日本語の研究すら抑え切れていないということである。
実際、参考文献として挙げられた論文数も、きわめて貧弱である。「このテーマでその数はないだろ」と言いたくなるのは、まぁ繰り返されてきた光景ではあるのだが。
後で先生と話していると、今年のメンツは、いわゆる「ゆとり世代」の絶頂期の産物らしく、どうにもならないらしい。
具体的には、向上心の類がまるでなく、先生が煽っても暖簾に腕押し状態になるそうである。例年だと、ひとりぐらいはそこそこ出来るのがいて、それをライバル視しながら進んでいくという展開になるし、また先生もそうなるように煽るわけだが、低いレヴェルで満足してしまうと、伸びないわけである。強く言っても、まるで堪えないときたものである。「ナンバーワンよりオンリーワン」なんて言っていたつけが、このモチベーションの低さにつながるわけである。
昨年に卒論を落とされて留年したのがいて、それが絶望的にひどいらしい。指導を聞かないどころか、Wikipediaまる写し(そのままコピペなので、語調から何からまるで統一がない)、参考文献は新書一冊というレジェンダリークラスのクズっぷりで、指導している先生が激怒しているそうな。まじめな人だからなぁ。
僕なら容赦なく落とすけど。学費はすでに4年分(今年を入れると5年分)もらっているので、退学されたところで痛くもないだろうし。まぁ、そのあたりは完全に他人事として考えられる僕と、指導する義務を負っている先生方との立場の違いだろう。
だいたい、ダメな世代の次はそこそこいける世代になるのが通例らしく、現在の3回生はまだしもマシらしい。こういう感想は、ほとんどの場合当を得ているものなんだけど、「ダメな世代」に繰りこまれる人間は、面白くないだろうなぁ。「団塊世代」とかのラベル貼りも同じだと思うけど、一定の事実を示しているだけに、「俺を一緒にするな」と思いたくなるものであろう。
まぁ、彼らの成果を聞くのは卒論提出の打ち上げの時になると思うが、先行研究の調査も不充分で、章建てすら出来ていない状態から、どの程度まで持ち直せるのか、聞いて……みたいようなみたくないような。
長月六日 PC新調
先月はすっかりサボっていた。
何も起こらなかったというわけでは無論ないのだが、書こうとする気にならなかった。
それでさして困らないという気もするので、つまりはやはり、さしたる出来事はなかったのだろう。
で、懸案となっていたPCを新調した。古いほうのPCはよく働いてくれたのだが、丸四年を経て、さすがにくたびれてきた。特に排熱関係は宜しくなく、ファンなどの駆動系がヘタれてくるのは仕方のないことである。
冷却が悪くなると、急速に寿命が縮む。壊れてから交換するのは良くないので、壊れそうなぐらいで交換するべきであろう。
ついでに、最近のゲーム(Vic2とかM&BのF&Aとか)も動かすのがしんどくなってきた。その意味でも頃合いであろう。
i7に8Gのメモリを搭載し、手頃なグラフィックカードと安物のサウンドカードを突っ込み、いい機会なので地デジカードも差しこんでおいた。OSは7の64モード。自分で組むのは面倒なので、BTOで任せたところ、約12万円也。安くはないが、まぁ仕方のないところである。
で、面倒なのがデータの引っ越しである。最初はクロスケーブルを使って直接渡そうかと思ったが、意外に面倒なのでLANケーブルをもう一本買ってきてルータにつなげ、一時的に家庭内LANを構築することにした。
これも、XPと7とでは意外に面倒だった。7同士は簡単らしいが、XP相手になると、IPを固定するだけでなく、グループ名も統一しなければならない。わかっていればどうということはないが、僕みたいな素人にはなかなか面倒だった。
で、当り前ではあるが、転送速度はHD内の移動に比べて大幅に落ちる。最低限必要なデータだけとか思っていたが、やはりゲーム類は、可能なものならまとめてコピーした方が楽である。
僕の場合、大半が洋ゲーのDL販売なので、CDとかの問題はほとんどない。というか、まったくないのでCDプレイヤーを使わず、おかげでプレイヤーがいつの間にか死んでいた。
まぁ、これについては暇な時にぼちぼちやるしかない。これがすむまでデュアルディスプレイ環境に戻れないのがつらいし、仮ケーブルを接続しているので不安定な置き方になり、先日などはそのためにPC本体が前のめりに倒れてしまい、フロント部分に差し込んでいた買ったばかりのUSBメモリがお釈迦になるなどという悲劇も起きているので、なるべく早く片付けたいところである。
何も起こらなかったというわけでは無論ないのだが、書こうとする気にならなかった。
それでさして困らないという気もするので、つまりはやはり、さしたる出来事はなかったのだろう。
で、懸案となっていたPCを新調した。古いほうのPCはよく働いてくれたのだが、丸四年を経て、さすがにくたびれてきた。特に排熱関係は宜しくなく、ファンなどの駆動系がヘタれてくるのは仕方のないことである。
冷却が悪くなると、急速に寿命が縮む。壊れてから交換するのは良くないので、壊れそうなぐらいで交換するべきであろう。
ついでに、最近のゲーム(Vic2とかM&BのF&Aとか)も動かすのがしんどくなってきた。その意味でも頃合いであろう。
i7に8Gのメモリを搭載し、手頃なグラフィックカードと安物のサウンドカードを突っ込み、いい機会なので地デジカードも差しこんでおいた。OSは7の64モード。自分で組むのは面倒なので、BTOで任せたところ、約12万円也。安くはないが、まぁ仕方のないところである。
で、面倒なのがデータの引っ越しである。最初はクロスケーブルを使って直接渡そうかと思ったが、意外に面倒なのでLANケーブルをもう一本買ってきてルータにつなげ、一時的に家庭内LANを構築することにした。
これも、XPと7とでは意外に面倒だった。7同士は簡単らしいが、XP相手になると、IPを固定するだけでなく、グループ名も統一しなければならない。わかっていればどうということはないが、僕みたいな素人にはなかなか面倒だった。
で、当り前ではあるが、転送速度はHD内の移動に比べて大幅に落ちる。最低限必要なデータだけとか思っていたが、やはりゲーム類は、可能なものならまとめてコピーした方が楽である。
僕の場合、大半が洋ゲーのDL販売なので、CDとかの問題はほとんどない。というか、まったくないのでCDプレイヤーを使わず、おかげでプレイヤーがいつの間にか死んでいた。
まぁ、これについては暇な時にぼちぼちやるしかない。これがすむまでデュアルディスプレイ環境に戻れないのがつらいし、仮ケーブルを接続しているので不安定な置き方になり、先日などはそのためにPC本体が前のめりに倒れてしまい、フロント部分に差し込んでいた買ったばかりのUSBメモリがお釈迦になるなどという悲劇も起きているので、なるべく早く片付けたいところである。
2011年7月18日月曜日
文月十八日 SH3:北海に死す
論文が進まない進まないと言いながら、この連休はゲームばかりしていた。
ひとつはDHのTRPや日本語化版テストプレーなので、まだしも(僕基準)なのだが、もうひとつは、先日GGで安売りされていたSilent Hunter3だったという次第である。ついでにSH4とSH5も買ったのだが、まだインストもしていない。
このゲーム、6年も前のものなのだが、今やっても楽しい、らしい。ニコニコのリプレイ動画が面白かったので、やりたいとは思っていたのだ。
洋ゲーらしく、リアリティ炸裂なゲームであるが、おかげで難しい。中でも一番の難関といえる魚雷発射時の諸元入力は、AIに任せることにした。まぁ、本来、水雷長か先任あたりの仕事だし。
チュートリアルをクリアし、II型で小手調べをしたところで、本命のVIIB型に乗り換えて北海へ。
しばらくやれば、色々と身体で分かってくるというあたりも洋ゲーである。
接触信管の不発角度とか、頭では分かっていたことを、身体で覚えるまでには、やはり数回雷撃を行ってみるのが良い。
というわけで、良い感じにコツが掴めてきたあたりでCTD。
MODも入れていないのにこの所行。やはり洋ゲーである。
セーブしておけば良かったのだが、つい夢中になる。しかも、あらかた魚雷を撃ち尽くして、そろそろ帰るか、というところで落ちるので始末が悪い。
2度同じ落ち方をして、イライラしたところで3度目。今度はちゃんとセーブして、と。
すると、独航船ではなく、船団を発見した。39年なので、まだ護衛はない。蹂躙しまくりである。
魚雷はおろか艦砲まで撃ち尽くし、中立国船を除けば(1隻沈めてしまったのだが)1隻を残して全滅させ、さてヴィルヘルムハーフェンに帰るかと、プロットして時間を進めると、最後に沈めた船に衝突してゲームオーバー。
上手いこと落とされた感じである。
誰に怒るわけにも行かないあたりが泣けてくる話であった。
ひとつはDHのTRPや日本語化版テストプレーなので、まだしも(僕基準)なのだが、もうひとつは、先日GGで安売りされていたSilent Hunter3だったという次第である。ついでにSH4とSH5も買ったのだが、まだインストもしていない。
このゲーム、6年も前のものなのだが、今やっても楽しい、らしい。ニコニコのリプレイ動画が面白かったので、やりたいとは思っていたのだ。
洋ゲーらしく、リアリティ炸裂なゲームであるが、おかげで難しい。中でも一番の難関といえる魚雷発射時の諸元入力は、AIに任せることにした。まぁ、本来、水雷長か先任あたりの仕事だし。
チュートリアルをクリアし、II型で小手調べをしたところで、本命のVIIB型に乗り換えて北海へ。
しばらくやれば、色々と身体で分かってくるというあたりも洋ゲーである。
接触信管の不発角度とか、頭では分かっていたことを、身体で覚えるまでには、やはり数回雷撃を行ってみるのが良い。
というわけで、良い感じにコツが掴めてきたあたりでCTD。
MODも入れていないのにこの所行。やはり洋ゲーである。
セーブしておけば良かったのだが、つい夢中になる。しかも、あらかた魚雷を撃ち尽くして、そろそろ帰るか、というところで落ちるので始末が悪い。
2度同じ落ち方をして、イライラしたところで3度目。今度はちゃんとセーブして、と。
すると、独航船ではなく、船団を発見した。39年なので、まだ護衛はない。蹂躙しまくりである。
魚雷はおろか艦砲まで撃ち尽くし、中立国船を除けば(1隻沈めてしまったのだが)1隻を残して全滅させ、さてヴィルヘルムハーフェンに帰るかと、プロットして時間を進めると、最後に沈めた船に衝突してゲームオーバー。
上手いこと落とされた感じである。
誰に怒るわけにも行かないあたりが泣けてくる話であった。
2011年7月16日土曜日
文月十六日 档案問題
なかなか研究が進まず、少し焦りだしてきている。
なぜ進まないのかは、ひとつには単純で、コツコツとした作業を行っていないためである。
全く何もしていないわけではないのだが、もう少し努力してもいいところである。
また、ある程度作業を進めてきて気がついたが、史料不足の部分があり、また人文研に行かなければならない。このくそ熱い中をあそこまでチャリ漕いで行かなければならないのかと思うとげんなりするが、少なくともお盆休みまでには行っておく必要がある。
もうひとつは、まだ先の話だが、一部の史料については、第一档案館にしかないようで、そこまで行くか、なんとかして史料を手に入れなければならないかもしれない。
研究の骨子は、清代中期以降、官塩の供給量を需要に対応させることを放棄したという事実、そして清代後期に財政的必要性が増した時には、塩の供給量を増やすのではなく、塩税税率を高めることでそれに対応しようとしたという事実を指摘し、その原因として、前者については当時の清朝にはその動機がなかったこと、後者については財政構造上の必然であったと主張するというものである。
基本的な枠組みとしてはそれで充分であると考えているのだが、動機がなかったという否定証明、また財政構造を説くにせよ、いささか説得力に欠ける憾みがあるという気もしている。
そこで、塩政の意思決定の過程を改めて検討しておく必要性を感じているのだが、そのためには一次史料である塩務関係の档案類を見なければならないという気がしつつあるのである。
日本で見られたらいいのだが、あいにくと完全な形での発表は行われておらず、また塩政関係に限るとはいえ、かなりの量に上ることから、直接現地に赴くにせよ、あるいは史料のコピーの郵送が可能であるにせよ、相応のカネがかかりそうな感じである。
目指す史料が「当たり」であるとの目処が、ある程度であれ立つのであれば、そして充分な時間がとれるのであれば、何らかの助成金を求めるなどの方策を取ろうとも思えるのだろうが、そこまでの確証も得られない。
この問題については、さしあたり宮中档を使うしかないだろう。どの程度当たりがあるかどうかは不明だし、一番のかなめである乾隆年間のそれが、大学にはないという無様な状態なので、それこそ京大の文学部あたりに足しげく通わなくてはならないかもしれない。
いずれにせよ、今回の論文の締め切りまでにこの問題を解決することは、時間的に不可能である。
本来ならば、一度ここで研究を中止し、こちらを片づけてから改めて現在のテーマに戻るべきであろう。
が、それも時間的に不可能なので、とりあえず不充分なかたちであるにせよ、今回の論文を片づけ、その上でこの問題に取り掛かるべきということになるだろう。
なかなかに気分が重い。
なぜ進まないのかは、ひとつには単純で、コツコツとした作業を行っていないためである。
全く何もしていないわけではないのだが、もう少し努力してもいいところである。
また、ある程度作業を進めてきて気がついたが、史料不足の部分があり、また人文研に行かなければならない。このくそ熱い中をあそこまでチャリ漕いで行かなければならないのかと思うとげんなりするが、少なくともお盆休みまでには行っておく必要がある。
もうひとつは、まだ先の話だが、一部の史料については、第一档案館にしかないようで、そこまで行くか、なんとかして史料を手に入れなければならないかもしれない。
研究の骨子は、清代中期以降、官塩の供給量を需要に対応させることを放棄したという事実、そして清代後期に財政的必要性が増した時には、塩の供給量を増やすのではなく、塩税税率を高めることでそれに対応しようとしたという事実を指摘し、その原因として、前者については当時の清朝にはその動機がなかったこと、後者については財政構造上の必然であったと主張するというものである。
基本的な枠組みとしてはそれで充分であると考えているのだが、動機がなかったという否定証明、また財政構造を説くにせよ、いささか説得力に欠ける憾みがあるという気もしている。
そこで、塩政の意思決定の過程を改めて検討しておく必要性を感じているのだが、そのためには一次史料である塩務関係の档案類を見なければならないという気がしつつあるのである。
日本で見られたらいいのだが、あいにくと完全な形での発表は行われておらず、また塩政関係に限るとはいえ、かなりの量に上ることから、直接現地に赴くにせよ、あるいは史料のコピーの郵送が可能であるにせよ、相応のカネがかかりそうな感じである。
目指す史料が「当たり」であるとの目処が、ある程度であれ立つのであれば、そして充分な時間がとれるのであれば、何らかの助成金を求めるなどの方策を取ろうとも思えるのだろうが、そこまでの確証も得られない。
この問題については、さしあたり宮中档を使うしかないだろう。どの程度当たりがあるかどうかは不明だし、一番のかなめである乾隆年間のそれが、大学にはないという無様な状態なので、それこそ京大の文学部あたりに足しげく通わなくてはならないかもしれない。
いずれにせよ、今回の論文の締め切りまでにこの問題を解決することは、時間的に不可能である。
本来ならば、一度ここで研究を中止し、こちらを片づけてから改めて現在のテーマに戻るべきであろう。
が、それも時間的に不可能なので、とりあえず不充分なかたちであるにせよ、今回の論文を片づけ、その上でこの問題に取り掛かるべきということになるだろう。
なかなかに気分が重い。
2011年7月9日土曜日
文月九日 『グローバル化と銀』
久しぶりに読書感想文。
デニス・フリン『グローバル化と銀』山川出版社, 2010.5
世界史理論というと難しげな感じであり、実際難しいことも多いのだが、その最先端の一派というか主張についての本である。
難しげな話とは書いたが、この本は3つの講演を文字に起こしたものが基本であり、その意味では非常に読みやすい。難しげな部分についても、編者による解説が最初についているので、まぁ大体の予備知識は仕入れられるはず。
「グローバル化は1571年に始まった―新大陸銀とマニラ・ガレオン」
ここでは、グローバル化という、皆が好んで使う割に正体不明な概念について、論者なりの定義を行い、解説している。簡単にいえば、グローバル化とは世界中の主要な経済圏が強く連結した状態を指し、それが始まったのは、1571年にスペインがマニラに拠点を設け、銀という商品(通貨に非ず)をアメリカや日本から中国へもたらすようになった時である、ということになる。
日本の学界では、それほど違和感のない考え方だと思うのだが、環大西洋経済圏などヨーロッパ優位の考え方が主流だったヨーロッパでは、議論のあるところなのだろう。
これまで対中貿易の通貨として扱われてきた銀を、単純な通貨ではなく商品として考えるべきだと強調したことは、言われてみればもっともな考え方である。金銀比価が高く、また銀の需要も大きかった中国は、金を輸出して銀を輸入する動機があったわけであり、金銀比価が世界市場と同程度にまで落ち着いた17世紀半ばになると、この動きはひと段落するわけである(18世紀に始まる次の銀輸入シーズンについては、また別の話となる)。
「徳川幕府とスペイン・ハプスブルク帝国―グローバルな舞台での二つの銀帝国」
ここでは、中国に対する銀の輸出国だった日本と、アメリカ銀を握っていたスペインについて述べている。
双方とも対中貿易で莫大な利益を挙げたわけだが、スペインがヨーロッパにおいて盛んに行うようになった軍事活動の財源としたのに対し、日本は統一後、対外拡張政策を放棄し、軍事費ではなく国内の経済・社会基盤の整備に投資するようになった。
中国の銀需要が低下し銀が売れなくなると、スペインは破産したのに対し、日本はその後の経済発展の準備を進めることになる。
面白いのは、従来スペインはアメリカ銀の流入により資本主義的な意味での近代化を進めていったとされてきたのに対し、ここでは、スペインはその銀を経済的発展どころか、イギリスやオランダが進めようとしていた近代化を阻害するために用いたとしていることであろう。
「貨幣と発展なき成長―明朝中国の場合」
ここでは、莫大な量の銀を飲み込んでいった中国について述べられている。
紙幣制度の維持に失敗した明朝は、民間側の需要が先導する形で銀遣いが一般化しつつあったのだが、銀が事実上の通貨となることで、その需要が一気に拡大した。
政府による銀の消費は、主に政府機能が置かれ、軍事行動が展開されていた北方においてであったため、銀が流入してくる東南部においては、常に銀の需要が高かった。
このような需要の拡大に対し、銀の大量供給が可能だったことから、さらに需要が拡大するといった形で中国の銀遣いは拡大することになり、明代後期以降の経済成長がもたらされたということになる。
さて、この経済成長は、経済発展ではないというのが論者の主張である。つまり、経済規模は拡大したのだが、銀というそれ自体価値のある商品に対し、価値ある対価を支払い続けたことにより、相応の富が流出したのだという。ヨーロッパにおける重金主義と重商主義の対立などを引き合いに出しながら、中国の経済規模の拡大が、見た目ほどには質的な発展をもたらさなかったと説くのである。
この量的成長と質的発展の違いについては、近年よく引き合いに出されるアンガス・マディソンの研究などで強調されているが、近世において世界最大の経済大国だった中国が、近代になって大きく凋落した原因を表すキーワードとして注目されている。
この論点の説得性は、数量面からの詳細なリサーチが可能かどうかにかかっているのだが、清代以降はともかく明代については難しいことも多い。統計史料そのものはいろいろと残っているのだが、信頼性に欠けるのだ。
それでも、慎重な吟味を行うのであれば、様々な史料を利用することは可能だろうし、今後も研究が進められていくのではなかろうか。
その上で、本書で提示されたモデルが妥当なのかどうかといった議論が、今後も一層深められていくことであろう。
残念なのは、日本においてこの手の議論はあまり活発ではないように思われる点だ。重箱の隅をつつくような研究手法について、その限界性を説く人は昔から多数いるのだが、相変わらず大きくは変わっていないような気もする。阪大などを中心に、少しずつ変わっていっているというところだろうか。
この分野で発表される研究も欧文のものが多く、日本語で読めるものはあまりない。そういえば、ポメランツの"The Great Divergence"も、相変わらず未翻訳のままみたいだ。英語版を読むしかないのかな。買ってはいるんだけど。
デニス・フリン『グローバル化と銀』山川出版社, 2010.5
世界史理論というと難しげな感じであり、実際難しいことも多いのだが、その最先端の一派というか主張についての本である。
難しげな話とは書いたが、この本は3つの講演を文字に起こしたものが基本であり、その意味では非常に読みやすい。難しげな部分についても、編者による解説が最初についているので、まぁ大体の予備知識は仕入れられるはず。
「グローバル化は1571年に始まった―新大陸銀とマニラ・ガレオン」
ここでは、グローバル化という、皆が好んで使う割に正体不明な概念について、論者なりの定義を行い、解説している。簡単にいえば、グローバル化とは世界中の主要な経済圏が強く連結した状態を指し、それが始まったのは、1571年にスペインがマニラに拠点を設け、銀という商品(通貨に非ず)をアメリカや日本から中国へもたらすようになった時である、ということになる。
日本の学界では、それほど違和感のない考え方だと思うのだが、環大西洋経済圏などヨーロッパ優位の考え方が主流だったヨーロッパでは、議論のあるところなのだろう。
これまで対中貿易の通貨として扱われてきた銀を、単純な通貨ではなく商品として考えるべきだと強調したことは、言われてみればもっともな考え方である。金銀比価が高く、また銀の需要も大きかった中国は、金を輸出して銀を輸入する動機があったわけであり、金銀比価が世界市場と同程度にまで落ち着いた17世紀半ばになると、この動きはひと段落するわけである(18世紀に始まる次の銀輸入シーズンについては、また別の話となる)。
「徳川幕府とスペイン・ハプスブルク帝国―グローバルな舞台での二つの銀帝国」
ここでは、中国に対する銀の輸出国だった日本と、アメリカ銀を握っていたスペインについて述べている。
双方とも対中貿易で莫大な利益を挙げたわけだが、スペインがヨーロッパにおいて盛んに行うようになった軍事活動の財源としたのに対し、日本は統一後、対外拡張政策を放棄し、軍事費ではなく国内の経済・社会基盤の整備に投資するようになった。
中国の銀需要が低下し銀が売れなくなると、スペインは破産したのに対し、日本はその後の経済発展の準備を進めることになる。
面白いのは、従来スペインはアメリカ銀の流入により資本主義的な意味での近代化を進めていったとされてきたのに対し、ここでは、スペインはその銀を経済的発展どころか、イギリスやオランダが進めようとしていた近代化を阻害するために用いたとしていることであろう。
「貨幣と発展なき成長―明朝中国の場合」
ここでは、莫大な量の銀を飲み込んでいった中国について述べられている。
紙幣制度の維持に失敗した明朝は、民間側の需要が先導する形で銀遣いが一般化しつつあったのだが、銀が事実上の通貨となることで、その需要が一気に拡大した。
政府による銀の消費は、主に政府機能が置かれ、軍事行動が展開されていた北方においてであったため、銀が流入してくる東南部においては、常に銀の需要が高かった。
このような需要の拡大に対し、銀の大量供給が可能だったことから、さらに需要が拡大するといった形で中国の銀遣いは拡大することになり、明代後期以降の経済成長がもたらされたということになる。
さて、この経済成長は、経済発展ではないというのが論者の主張である。つまり、経済規模は拡大したのだが、銀というそれ自体価値のある商品に対し、価値ある対価を支払い続けたことにより、相応の富が流出したのだという。ヨーロッパにおける重金主義と重商主義の対立などを引き合いに出しながら、中国の経済規模の拡大が、見た目ほどには質的な発展をもたらさなかったと説くのである。
この量的成長と質的発展の違いについては、近年よく引き合いに出されるアンガス・マディソンの研究などで強調されているが、近世において世界最大の経済大国だった中国が、近代になって大きく凋落した原因を表すキーワードとして注目されている。
この論点の説得性は、数量面からの詳細なリサーチが可能かどうかにかかっているのだが、清代以降はともかく明代については難しいことも多い。統計史料そのものはいろいろと残っているのだが、信頼性に欠けるのだ。
それでも、慎重な吟味を行うのであれば、様々な史料を利用することは可能だろうし、今後も研究が進められていくのではなかろうか。
その上で、本書で提示されたモデルが妥当なのかどうかといった議論が、今後も一層深められていくことであろう。
残念なのは、日本においてこの手の議論はあまり活発ではないように思われる点だ。重箱の隅をつつくような研究手法について、その限界性を説く人は昔から多数いるのだが、相変わらず大きくは変わっていないような気もする。阪大などを中心に、少しずつ変わっていっているというところだろうか。
この分野で発表される研究も欧文のものが多く、日本語で読めるものはあまりない。そういえば、ポメランツの"The Great Divergence"も、相変わらず未翻訳のままみたいだ。英語版を読むしかないのかな。買ってはいるんだけど。
2011年6月11日土曜日
塩引数変遷についての研究見通し
相も変わらず「遅々として進む」感じで作業を続けている。各行塩地の塩引数の変遷を辿るという「1-1」ステージは、もうじき終わりそうである。ラストが、両淮という大物なわけだが。
塩斤数をチェックする「1-2」については、半分程度ははっきりしているのだが、残り半分は今一つよくわからない。税収と直結する塩引数については、比較的分かりやすく(それでもかなり複雑な表現を使っていたりするが)、把握もしやすいのだが、塩斤数については、そこまで分かりやすくまとめられていないこともあるのが面倒臭い。
最悪、もう一度人文研へ出張らないといけないかもしれない。
人口数を把握する「1-3」ステージは、作業が住んでいる。というか、先行研究のをそのまま引用するので、問題とならない。
問題は、税収云々が絡んでくる第2ステージなのだが、今から悩んでいても仕方がない。とりあえず第1ステージの今月中の完成を目指す。
にしても、かなりのページ数になりそうで、今から怖い。前後篇に分けるとか、やりたくないんだが。
細かい塩制の変遷を文字で追うのを回避するには、表を多用するしかない。
これがちょっとした項目だけなら、あまり嵩張らないのだが、そうもいくまい。行塩地内の塩引数改訂を1行にまとめたとしても、各行塩地ごとに半ページ~1ページ程度は消費しそうである。
今回チェックする行塩地は7箇所で、平均して3/4ページ使うとするなら、約6ページ程度を使うことになる。雑誌での1ページを簡単に原稿用紙単位に換算すると、だいたい4枚に相当するので、原稿用紙24枚程度ということになる。ちなみに論文1本あたりの制限枚数は、原稿用紙換算で40枚である。無理を言えば、60枚程度ぐらいは我慢してもらえるが。
……どう考えても詰んでいるわけだが、今の時点では考えないことにする。畜生めが。
塩斤数をチェックする「1-2」については、半分程度ははっきりしているのだが、残り半分は今一つよくわからない。税収と直結する塩引数については、比較的分かりやすく(それでもかなり複雑な表現を使っていたりするが)、把握もしやすいのだが、塩斤数については、そこまで分かりやすくまとめられていないこともあるのが面倒臭い。
最悪、もう一度人文研へ出張らないといけないかもしれない。
人口数を把握する「1-3」ステージは、作業が住んでいる。というか、先行研究のをそのまま引用するので、問題とならない。
問題は、税収云々が絡んでくる第2ステージなのだが、今から悩んでいても仕方がない。とりあえず第1ステージの今月中の完成を目指す。
にしても、かなりのページ数になりそうで、今から怖い。前後篇に分けるとか、やりたくないんだが。
細かい塩制の変遷を文字で追うのを回避するには、表を多用するしかない。
これがちょっとした項目だけなら、あまり嵩張らないのだが、そうもいくまい。行塩地内の塩引数改訂を1行にまとめたとしても、各行塩地ごとに半ページ~1ページ程度は消費しそうである。
今回チェックする行塩地は7箇所で、平均して3/4ページ使うとするなら、約6ページ程度を使うことになる。雑誌での1ページを簡単に原稿用紙単位に換算すると、だいたい4枚に相当するので、原稿用紙24枚程度ということになる。ちなみに論文1本あたりの制限枚数は、原稿用紙換算で40枚である。無理を言えば、60枚程度ぐらいは我慢してもらえるが。
……どう考えても詰んでいるわけだが、今の時点では考えないことにする。畜生めが。
2011年6月1日水曜日
水無月朔日 東北震災の歴史的評価
フェルナン・ブローデルは、『地中海』を書くに際して、それまで伝統的に歴史学が守備範囲とするものとされていた政治的事件などの「短い歴史」、そしてある世界を構成する基礎的な情報を与えてくれる地理や気候などの「長い歴史」と、その中間である社会や経済の変容といった「中ぐらいの歴史」の三点を挙げ、それぞれの観点から地中海を描きあげた。
僕は、主に経済の歴史に関心を寄せているわけだからして、この「中ぐらいの歴史」の観点から歴史を見ることが多い。
逆に言えば、あまり「出来事」に対しては興味を持たない。無いわけじゃないけど。
極端な例だが、2001年のWTC同時爆破テロが起きた時、もちろん僕も大いに興奮したわけだが、しばらくすると、違和感を感じるようになった。
周囲では、「これで歴史が変わる」とか言っていたが、それを胡散臭く感じるようになったのだ。別に、何も変わらないというわけではないが、この一件一つが転機となるというのは、単純すぎるだろうと思ったのである。
今回の地震でも、やはり「歴史が変わる」と主張する人は多いわけだが、同じく胡散臭く感じる。そりゃまぁ、原子力政策とかはかなり影響を受けるかもしれないが、人類の経済成長を維持するためには一定量のエネルギーが必要であり、化石燃料ではそれを長期にわたって賄うことは出来ず、新エネルギーも当分の間はコストパフォーマンスの点で主力とは成り得ないという現状を鑑みるに、原子力を完全に封殺することは難しいはずである。
もちろん、短期的には原子炉の建設は不可能だし、日本に限ればかなりの長期間に渡り、建設できない可能性は低くはない。以前から胡散臭げに見られてきたが、今回の一件で、原子力村への信頼はほとんど完全に失墜したし。
しかし、これで「歴史が変わる」のか?
まぁ、こうなってくると何を以て歴史が変わったのかという定義からの問題となるだろう。実際、被災した人にとっては、その人もしくはその周囲の人の「歴史」は確実に変わったのだろうし。
ただし、こうした個人的な経験は、僕は取り扱わない。こうしたものも歴史が取り扱うべき分野の一つには違いないのだが、それだと、今この瞬間に車にはねられた人と、根本的に何が違うのかということになるので。
もっとも、こうしたことも、車の増加による事故の発生率と、それによる経済的損失を話すというのなら別である。同じく、地震の発生による社会構造や経済構造の変化という話をするなら、考察の対象となり得よう。まさに「中ぐらいの歴史」の範疇といえる。
さて、この観点からすれば、東北や日本や世界の歴史は変わったのか?
東北についてと限定すれば、大きく変わり得るかもしれない。避難の長期化や経済的基盤の長期的な崩壊、震災復興への負担などにより、これまでの生活は一変しており、そしてその変化は元に戻らない可能性が高い。
日本についてはどうか。経済的には極端な打撃ではない。混乱した生産機能も数年以内に代替可能となる。阪神大震災により神戸の経済組織は大きな打撃を受け、そしてそれは完全な復興を遂げてはいないし、今後もそれはないだろうが、その分の機能は他所が補っているということからの推測である。
ただし、エネルギー政策に対してはかなりの期間影響が及ぶ可能性が高い。また、震災復興のための財政的負担は、財政状態が阪神当時よりも悪化していることから、かなりの問題となるだろう。ただし、どちらの問題にせよ、昨日今日に始まった問題ではないということも留意しておくべきだろう。
総合的には、現時点ではよくわからない。東北の震災を被ったことによる影響は、日本の経済や社会を質的には変化させないだろうが、量的には大きな変化をもたらす可能性がある。経済・社会的負担があまりにも大きくなれば、その構造そのものを変えてしまう可能性もあるだろう。
世界についてはどうか。ほとんど変わらないのではないかと思う。原子力エネルギーへの依存度の高まりは、かつてより弱まるかもしれないが、現在の経済発展の主力である中国・ロシアその他の国々は、何よりもエネルギーを必要としており、そのためなら多少のリスクの高まりなど目にもかけないだろうし、実際、原子炉の安全性をPRするのに躍起になっている。
経済の発達のみがすべてではないが、経済の発達なしに国力を大きく伸ばすことは難しい。そして、経済を大きく伸ばすチャンスというのは、歴史においてそう何度も訪れるものではない。特にロシアほどの化石エネルギーを持たず、生産業が国力の大きな要素となっている中国や韓国の場合、エネルギーは必須である。また、高齢化が急速に進みつつある中、今のうちに稼いでおかないと、日本のような安定した状態(停滞ともいうが)を狙うことすら不可能になりかねないわけであり、その意味では日本よりもよほど切実だろう。
とまぁ、こんなわけで、世界史の観点からすると、この一件は大した影響力を及ぼさないのではないか、と現時点では思っている。日本史の観点からしても、多分そうだろう。細かい部分ではそれなりの影響力を及ぼしはするだろうが、全体的な観点からとなると、こう判断される。
まぁ、来年の今頃は全く違ったことを言っているかもしれないが。歴史家は過去からしか判断できないし、本来、未来のことは守備範囲外だからと、逃げを打っておくことにする。
僕は、主に経済の歴史に関心を寄せているわけだからして、この「中ぐらいの歴史」の観点から歴史を見ることが多い。
逆に言えば、あまり「出来事」に対しては興味を持たない。無いわけじゃないけど。
極端な例だが、2001年のWTC同時爆破テロが起きた時、もちろん僕も大いに興奮したわけだが、しばらくすると、違和感を感じるようになった。
周囲では、「これで歴史が変わる」とか言っていたが、それを胡散臭く感じるようになったのだ。別に、何も変わらないというわけではないが、この一件一つが転機となるというのは、単純すぎるだろうと思ったのである。
今回の地震でも、やはり「歴史が変わる」と主張する人は多いわけだが、同じく胡散臭く感じる。そりゃまぁ、原子力政策とかはかなり影響を受けるかもしれないが、人類の経済成長を維持するためには一定量のエネルギーが必要であり、化石燃料ではそれを長期にわたって賄うことは出来ず、新エネルギーも当分の間はコストパフォーマンスの点で主力とは成り得ないという現状を鑑みるに、原子力を完全に封殺することは難しいはずである。
もちろん、短期的には原子炉の建設は不可能だし、日本に限ればかなりの長期間に渡り、建設できない可能性は低くはない。以前から胡散臭げに見られてきたが、今回の一件で、原子力村への信頼はほとんど完全に失墜したし。
しかし、これで「歴史が変わる」のか?
まぁ、こうなってくると何を以て歴史が変わったのかという定義からの問題となるだろう。実際、被災した人にとっては、その人もしくはその周囲の人の「歴史」は確実に変わったのだろうし。
ただし、こうした個人的な経験は、僕は取り扱わない。こうしたものも歴史が取り扱うべき分野の一つには違いないのだが、それだと、今この瞬間に車にはねられた人と、根本的に何が違うのかということになるので。
もっとも、こうしたことも、車の増加による事故の発生率と、それによる経済的損失を話すというのなら別である。同じく、地震の発生による社会構造や経済構造の変化という話をするなら、考察の対象となり得よう。まさに「中ぐらいの歴史」の範疇といえる。
さて、この観点からすれば、東北や日本や世界の歴史は変わったのか?
東北についてと限定すれば、大きく変わり得るかもしれない。避難の長期化や経済的基盤の長期的な崩壊、震災復興への負担などにより、これまでの生活は一変しており、そしてその変化は元に戻らない可能性が高い。
日本についてはどうか。経済的には極端な打撃ではない。混乱した生産機能も数年以内に代替可能となる。阪神大震災により神戸の経済組織は大きな打撃を受け、そしてそれは完全な復興を遂げてはいないし、今後もそれはないだろうが、その分の機能は他所が補っているということからの推測である。
ただし、エネルギー政策に対してはかなりの期間影響が及ぶ可能性が高い。また、震災復興のための財政的負担は、財政状態が阪神当時よりも悪化していることから、かなりの問題となるだろう。ただし、どちらの問題にせよ、昨日今日に始まった問題ではないということも留意しておくべきだろう。
総合的には、現時点ではよくわからない。東北の震災を被ったことによる影響は、日本の経済や社会を質的には変化させないだろうが、量的には大きな変化をもたらす可能性がある。経済・社会的負担があまりにも大きくなれば、その構造そのものを変えてしまう可能性もあるだろう。
世界についてはどうか。ほとんど変わらないのではないかと思う。原子力エネルギーへの依存度の高まりは、かつてより弱まるかもしれないが、現在の経済発展の主力である中国・ロシアその他の国々は、何よりもエネルギーを必要としており、そのためなら多少のリスクの高まりなど目にもかけないだろうし、実際、原子炉の安全性をPRするのに躍起になっている。
経済の発達のみがすべてではないが、経済の発達なしに国力を大きく伸ばすことは難しい。そして、経済を大きく伸ばすチャンスというのは、歴史においてそう何度も訪れるものではない。特にロシアほどの化石エネルギーを持たず、生産業が国力の大きな要素となっている中国や韓国の場合、エネルギーは必須である。また、高齢化が急速に進みつつある中、今のうちに稼いでおかないと、日本のような安定した状態(停滞ともいうが)を狙うことすら不可能になりかねないわけであり、その意味では日本よりもよほど切実だろう。
とまぁ、こんなわけで、世界史の観点からすると、この一件は大した影響力を及ぼさないのではないか、と現時点では思っている。日本史の観点からしても、多分そうだろう。細かい部分ではそれなりの影響力を及ぼしはするだろうが、全体的な観点からとなると、こう判断される。
まぁ、来年の今頃は全く違ったことを言っているかもしれないが。歴史家は過去からしか判断できないし、本来、未来のことは守備範囲外だからと、逃げを打っておくことにする。
2011年5月28日土曜日
皐月三十日 福島原発の海水注入
東電福島第1原発1号機で、政府と東電が海水注入を55分間停止していたと説明していたことに対し、発電所所長の吉田昌郎が、自身の判断で注入を続けていたことを明らかにし、問題となっている。
問題のポイントは、まず、政府と東電が説明(というか注入停止についての責任のなすりつけ合い)していたことに対し、そもそも注入停止が行われていなかったとして、議論の根底を崩したという点にある。
次いで、こうした重要な問題が、現場の判断で行われ、指揮系統上部に対して長期間伏せられていたという点である。
前者については、まぁどうでもいい。既にボロボロになっている両者の面子がさらに潰されただけのことであり、対策そのものは正解だったと考えられている。
問題は後者だ。これでは、他にも隠した情報があると考えられても仕方がない。そもそも政府や東電の措置について批判されるのは、情報の公開が不充分であり、意思決定の過程や責任の所在が不明瞭であるというためである。今回の一件で、これがさらに深刻であることが明らかとなった。
僕が感じるのは、現場の後方に対する不信感である。そして、その結果生じる独善というものである。
ちょうど、昨年起きた尖閣ビデオと同じ構図であろう。上層部の判断に対し、異なる判断を下している現場が反発し、独断専行を行う。そして、全体としては現場の判断の方が正しいのだが、独断専行のため指揮系統は混乱する。
言うまでもなく、組織としては完全に落第である。政治というものは徹底的に結果だけが評価されるので、今回の一件も、結果オーライではある。が、これが常態化するようになると、関東軍の暴走がまた始まることになり、更に大きな失敗を生むことになる。
責められるべきは、もちろん独断専行した現場だが、一番の問題となっているのは上層部の無能であろう。現場の責任は上層部が問えるが、上層部の無能は誰が糺すのか?
戦前の場合、誰もそれを行おうとはしなかった。組織としての日本帝国は、意思決定や責任の所在が不明瞭なまま、戦争へと突入する。この当時、プレイヤーだった政府、議会、海軍、陸軍、天皇、重臣のいずれも、この問題を解決しようとはしなかったわけだ。
今は、プレイヤーは政府、議会、企業ということになろうが、戦前とは異なり、天皇と重臣に代わって、国民というものが入っているのではなかろうか。となると、国民には何ができるのだろう。
問題のポイントは、まず、政府と東電が説明(というか注入停止についての責任のなすりつけ合い)していたことに対し、そもそも注入停止が行われていなかったとして、議論の根底を崩したという点にある。
次いで、こうした重要な問題が、現場の判断で行われ、指揮系統上部に対して長期間伏せられていたという点である。
前者については、まぁどうでもいい。既にボロボロになっている両者の面子がさらに潰されただけのことであり、対策そのものは正解だったと考えられている。
問題は後者だ。これでは、他にも隠した情報があると考えられても仕方がない。そもそも政府や東電の措置について批判されるのは、情報の公開が不充分であり、意思決定の過程や責任の所在が不明瞭であるというためである。今回の一件で、これがさらに深刻であることが明らかとなった。
僕が感じるのは、現場の後方に対する不信感である。そして、その結果生じる独善というものである。
ちょうど、昨年起きた尖閣ビデオと同じ構図であろう。上層部の判断に対し、異なる判断を下している現場が反発し、独断専行を行う。そして、全体としては現場の判断の方が正しいのだが、独断専行のため指揮系統は混乱する。
言うまでもなく、組織としては完全に落第である。政治というものは徹底的に結果だけが評価されるので、今回の一件も、結果オーライではある。が、これが常態化するようになると、関東軍の暴走がまた始まることになり、更に大きな失敗を生むことになる。
責められるべきは、もちろん独断専行した現場だが、一番の問題となっているのは上層部の無能であろう。現場の責任は上層部が問えるが、上層部の無能は誰が糺すのか?
戦前の場合、誰もそれを行おうとはしなかった。組織としての日本帝国は、意思決定や責任の所在が不明瞭なまま、戦争へと突入する。この当時、プレイヤーだった政府、議会、海軍、陸軍、天皇、重臣のいずれも、この問題を解決しようとはしなかったわけだ。
今は、プレイヤーは政府、議会、企業ということになろうが、戦前とは異なり、天皇と重臣に代わって、国民というものが入っているのではなかろうか。となると、国民には何ができるのだろう。
皐月二十八日 研究進まず
研究が進まない……わけではないが、予定していたペースには遅れている。
原因は明らかで、仕事をしていないからだ。
どうも精神的活力が落ちているらしく、やる気が出ない……わけでもないが、出にくくて長続きしない。
仕事が終わって帰ってくると、酒飲んで寝る→3時間ぐらいして目が覚める→なんかゲームとかしているうちに夜が更ける→寝る→起床・仕事というサイクルになる日が結構ある。
このサイクル自体は、昨年ぐらいから起きるようになったのだが、これはこれで、一度寝てリフレッシュしてからもう一仕事、という感じもあって、それほど悪くなかったのだからして、まずいのは総合的な士気が低下しているという部分だろう。「なんかゲームとかしているうちに夜が更ける」の部分を変えればいいわけである。簡単に変わるなら苦労しないが、まぁ、この部分が努力の対象ということで。
で、進まないながらも、多少は進捗している。
あらためて、論文のゴールと章立てを確認してみよう。
論文の目的は、清代における財政構造の特徴を明らかにすることで、目標としては、官塩の供給と塩税の関係について検討を行うことである。
具体的には、清代中期ごろに官塩の供給量が人口の増減に対応しなくなり、また清代後期になって塩税の需要が高まると、塩の供給量の増加ではなく税率を高めることでそれに対応させようとするのだが、それはなぜかを明らかにする。
実際問題として、それは上手くいったのか? 上手くいかなかったとして、なぜ官塩供給量を増やすという、僕にはより合理的に思える手段を取らなかったのか? 清朝の財政構造は非常に硬直的に見えるのだが、塩政というカテゴリーにおいてもそれは見られるのか、見られるとして、それはなぜか? さらに、その硬直的に思える財政構造が、実際に存在していたとして、それは清滅亡後にどう変わったのか。あるいは変わらなかったのか。変わったとして、それはなぜか?
仮定と設問がやたら多そうだが、そのあたりは各節においてつぶしていくわけである。広東だけなら楽だったのだが、今回は中国全土というわけであり、中国の塩政は地域差が大きいことから、主要なものだけでも8つある行塩地それぞれについてチェックする必要があるので、かなりの作業量が予想される。というか、ものすごい作業量である。折れる心を継ぎなおしつつ、作業を進めるしかあるまい。
1.1. 各行塩地の塩引数の増減をチェック。
1.2. 各行塩地の塩引1道あたりの塩斤数を確認し、各行塩地の官塩供給量を把握。
1.3. 各行塩地の人口の増減を調査。
これにより、官塩供給量の調整が清代中期に停止したという知見が得られるはず。以下はその原因の検討。
2.1. 清代前期から後期にかけての塩税の推移を確認。税率が高まるはず。
2.2. 陶ジュや張謇ら、清代後期の改革を確認。
清代後期に入り塩税需要が増すと、塩税税率を高めて対応したこと、そしてそれを担保するべく官塩の競争力を強めようとしたが、非常に困難であり、特に張謇の改革は成果を出せなかったことを述べる。両者の違いは、改革時期もあるが、加えて各人の持つ強制力と改革対象の力の大きさである。
3.1. 民国初期の官塩供給量と人口、塩税税収の推移を調査。
3.2. 張謇やデーンが進めようとした改革を述べる。両者の違いは、背景に持つ強制力の違いであり、改革の方向性は大きくは異ならないはずである。
以上から、清代、そして清代の塩政を引き継いだ民国最初期の塩政は、非常に硬直的なものであり、それを崩すには外国列強による強制力が必要だったのではないか、ということが、今のところの結論となる。
壮大な話であるが、現在は1.1.の、それもいくつかの行塩地についての検討を進めているところである。
詳細な検討を終えているのは両広のみなのだが、やはり各行塩地の検証が行われていくと、各地独特の事情が見えてくる。
たとえば両浙では、太平天国の乱のため、清代後期になると塩引数などが一度リセットされる。清代を通して有力な開拓地だった四川は、比較的遅くまで小刻みな塩引数の増減が行われる。特に他の地域が海水から塩を生産するのに対し、この地では塩井からの生産になるので、新しい井戸が開かれたり、逆に結構井戸が枯れたりする。
他のいくつかの行塩地では、正塩の供給は乾隆年間ごろには固定化されるが、代わりに余塩の供給が増える。これは地域ごとの発給数などが厳密に定められた正塩とは異なり、比較的柔軟性が高くて、塩務官僚にとっては考課の対象となりにくいものである。
かつて塩務官僚が官塩供給量の増加を望まなかった理由として、財政的にその必要性が乏しかったことと、考課のハードルが高くなることを嫌ったことを挙げたのだが、その意味ではこういう余塩は扱いやすいはずである。
ま、こんな感じで行塩地ごとにじっくりとまとめていく必要があるわけである。次いで塩斤数のチェックなんかも必要だし、塩税とかは今の時点では考えたくもない。
多分、士気が高まらない理由の一つとして、どれだけの作業量があるのか掴めないということがあるのだろう。少しずつでも仕事が進めば、だんだん気分が乗ってくる……ことを望み、作業を進めることにする。
11月がデッドエンドらしいので、夏ごろまでには目処を立てておかなければならないのだが、なかなか大変そうな気がする。
原因は明らかで、仕事をしていないからだ。
どうも精神的活力が落ちているらしく、やる気が出ない……わけでもないが、出にくくて長続きしない。
仕事が終わって帰ってくると、酒飲んで寝る→3時間ぐらいして目が覚める→なんかゲームとかしているうちに夜が更ける→寝る→起床・仕事というサイクルになる日が結構ある。
このサイクル自体は、昨年ぐらいから起きるようになったのだが、これはこれで、一度寝てリフレッシュしてからもう一仕事、という感じもあって、それほど悪くなかったのだからして、まずいのは総合的な士気が低下しているという部分だろう。「なんかゲームとかしているうちに夜が更ける」の部分を変えればいいわけである。簡単に変わるなら苦労しないが、まぁ、この部分が努力の対象ということで。
で、進まないながらも、多少は進捗している。
あらためて、論文のゴールと章立てを確認してみよう。
論文の目的は、清代における財政構造の特徴を明らかにすることで、目標としては、官塩の供給と塩税の関係について検討を行うことである。
具体的には、清代中期ごろに官塩の供給量が人口の増減に対応しなくなり、また清代後期になって塩税の需要が高まると、塩の供給量の増加ではなく税率を高めることでそれに対応させようとするのだが、それはなぜかを明らかにする。
実際問題として、それは上手くいったのか? 上手くいかなかったとして、なぜ官塩供給量を増やすという、僕にはより合理的に思える手段を取らなかったのか? 清朝の財政構造は非常に硬直的に見えるのだが、塩政というカテゴリーにおいてもそれは見られるのか、見られるとして、それはなぜか? さらに、その硬直的に思える財政構造が、実際に存在していたとして、それは清滅亡後にどう変わったのか。あるいは変わらなかったのか。変わったとして、それはなぜか?
仮定と設問がやたら多そうだが、そのあたりは各節においてつぶしていくわけである。広東だけなら楽だったのだが、今回は中国全土というわけであり、中国の塩政は地域差が大きいことから、主要なものだけでも8つある行塩地それぞれについてチェックする必要があるので、かなりの作業量が予想される。というか、ものすごい作業量である。折れる心を継ぎなおしつつ、作業を進めるしかあるまい。
1.1. 各行塩地の塩引数の増減をチェック。
1.2. 各行塩地の塩引1道あたりの塩斤数を確認し、各行塩地の官塩供給量を把握。
1.3. 各行塩地の人口の増減を調査。
これにより、官塩供給量の調整が清代中期に停止したという知見が得られるはず。以下はその原因の検討。
2.1. 清代前期から後期にかけての塩税の推移を確認。税率が高まるはず。
2.2. 陶ジュや張謇ら、清代後期の改革を確認。
清代後期に入り塩税需要が増すと、塩税税率を高めて対応したこと、そしてそれを担保するべく官塩の競争力を強めようとしたが、非常に困難であり、特に張謇の改革は成果を出せなかったことを述べる。両者の違いは、改革時期もあるが、加えて各人の持つ強制力と改革対象の力の大きさである。
3.1. 民国初期の官塩供給量と人口、塩税税収の推移を調査。
3.2. 張謇やデーンが進めようとした改革を述べる。両者の違いは、背景に持つ強制力の違いであり、改革の方向性は大きくは異ならないはずである。
以上から、清代、そして清代の塩政を引き継いだ民国最初期の塩政は、非常に硬直的なものであり、それを崩すには外国列強による強制力が必要だったのではないか、ということが、今のところの結論となる。
壮大な話であるが、現在は1.1.の、それもいくつかの行塩地についての検討を進めているところである。
詳細な検討を終えているのは両広のみなのだが、やはり各行塩地の検証が行われていくと、各地独特の事情が見えてくる。
たとえば両浙では、太平天国の乱のため、清代後期になると塩引数などが一度リセットされる。清代を通して有力な開拓地だった四川は、比較的遅くまで小刻みな塩引数の増減が行われる。特に他の地域が海水から塩を生産するのに対し、この地では塩井からの生産になるので、新しい井戸が開かれたり、逆に結構井戸が枯れたりする。
他のいくつかの行塩地では、正塩の供給は乾隆年間ごろには固定化されるが、代わりに余塩の供給が増える。これは地域ごとの発給数などが厳密に定められた正塩とは異なり、比較的柔軟性が高くて、塩務官僚にとっては考課の対象となりにくいものである。
かつて塩務官僚が官塩供給量の増加を望まなかった理由として、財政的にその必要性が乏しかったことと、考課のハードルが高くなることを嫌ったことを挙げたのだが、その意味ではこういう余塩は扱いやすいはずである。
ま、こんな感じで行塩地ごとにじっくりとまとめていく必要があるわけである。次いで塩斤数のチェックなんかも必要だし、塩税とかは今の時点では考えたくもない。
多分、士気が高まらない理由の一つとして、どれだけの作業量があるのか掴めないということがあるのだろう。少しずつでも仕事が進めば、だんだん気分が乗ってくる……ことを望み、作業を進めることにする。
11月がデッドエンドらしいので、夏ごろまでには目処を立てておかなければならないのだが、なかなか大変そうな気がする。
2011年5月7日土曜日
皐月七日 『帝国の興亡』
GWは、正月に引き続き昔の大型ボードゲームをやった。今回は『帝国の興亡』。
7人集まったので、正規のシナリオでは動かないことから、千年紀のシナリオを無理やり実施することになった。
HRE@まさやん(ハンデ±0)
フランス@かずや(ハンデ+5)
ビザンツ@ヤス(ハンデ+10)
キエフ公国@僕(ハンデ+20)
デンマーク@もりりん(ハンデ+30)
ポーランド@電気屋(ハンデ+30)
ブルゴーニュ@nori(ハンデ+30)
というメンツである。
このシナリオは776年開始の1025年終了(だったと思う)。実際には、時間の都合で9ラウンド目、つまり1020年に終わった。
このゲームをやったのはずいぶん前のことになるのだが、その時には「不作」が連発して、ヤスが担当していたHREがひどいことになってたりした。
基本的にこのゲームは、運の要素がかなり強い。人為が運命の前に翻弄される中世という時代をよく表していると思うが、やっていてフラストレーションがたまることもまた事実である。
プレイヤーとしては一番危険性の高いヤスが、正月のシヴィライゼーションに続いて隣国となったわけだが、正月の時のような不毛な全面戦争は、今回は避けられた。
やはり危険性の高い電気屋は、国力が小さいことと、序盤のダッシュで失敗を繰り返したことから、僕にとっての脅威にはならなかった。
こうなると後背の危険のない(別シナリオだとモンゴルが迫ってくる最前線となるのだが)ロシアは、非常に気が楽である。とりあえずカトリックに改宗したり、マジャール人の出撃拠点であるハンガリーを抑えたりして、地味に過ごす。
HREは、史実通りシナリオ開始時点で、ドイツが本領なのにイタリアに手を伸ばしていることから、国内統治で大変なことになっている。
フランスはイベリア半島に向かい、レコンキスタを開始。正直な話、史実より簡単すぎる気がする。
両者に挟まれたブルゴーニュは、イタリアに向かうかイベリアに向かうか、二つの選択肢が与えられている。フランスが良い調子で勢力を伸ばし始めていたことから、noriはイベリアへの進出を決定。
デンマークは、スカンディナヴィアを固める一方、さっさとイギリスへと向かう。
このシナリオでは、北海のバイキングと西部地中海のサラセン海賊とがお邪魔虫となる。具体的には、ターン(25年単位)の初めに略奪を連発するわけである。
目標は、一番豊かな地域になるので、下手に内政を行って地味を肥やしたりすると、そこから狙われる。比較的攻撃力の弱いバイキングの場合、要塞化すると止まってくれるのだが、サラセン海賊の場合はほとんど不可能である。
結果、この地域をプレイするデンマーク、フランス、ブルゴーニュなどは、結構面倒臭いことになる(HREはイタリアを持っているのだが、基本放置するのであまり痛くない)。
西欧や南欧は豊かな地域が多いのだが、災害も多いのでなかなかに難しい。
途中、ブルゴーニュに外交9の化け物リーダーが登場し、フランスに折伏攻勢を浴びせることになった。
領内の随所に外交的介入を行う。たまたまこの時期のフランス王は外交2だったので、ほとんど抵抗できない。下手をすると、国土の半分ぐらいが離反しなけない危機的状況である。
何度か諸侯会談が持たれたのだが、正直なところフランスの方が地力が強いことはみんな承知しているので、外交9のブルゴーニュ公を疎ましく思っていても、フランス王へ肩入れする人間もあまり出ない。
さすがに外交的征服は却下するが、それ以外はおおむねブルゴーニュにとって満足すべき展開となる。
しばらくすると、フランス王も代替わりして外交9になり、不毛な外交戦争は終わることになった。
ゲームそのものは地味~に進み、最後の方で東欧を一気に抑え、ついでに上手いこと改宗と軍事のイベントカードを引き当てた僕が、あっさりと勝利した。もう1ターンぐらいあると、ヤスあたりが猛烈な勢いでラッシュをかけてきたはずだから、完勝という程のものでもない。
というか、長らくやっていないことから皆ルールを忘れてしまっており、ルールを把握している僕の方が有利なのは当然のことなので、自慢にできるようなものでもない。
正月にやったシヴィライゼーションと比べると、このクラスの戦略級ボードゲームとして考えると、こちらの方が運の要素が多い分、やや安易だなと感じる。もちろん、計算抜きでは勝てないことは間違いないので、運の要素を強調しすぎるのも片手落ちなのだが、どうも運の要素が目立って仕方ないというあたりが弱いところだ。
あと、古いゲームだから仕方がないのだが、不必要に煩雑で、徴税や反乱のチェックなどはもっと手軽にした方がプレイアビリティが高まることであろう。
7人集まったので、正規のシナリオでは動かないことから、千年紀のシナリオを無理やり実施することになった。
HRE@まさやん(ハンデ±0)
フランス@かずや(ハンデ+5)
ビザンツ@ヤス(ハンデ+10)
キエフ公国@僕(ハンデ+20)
デンマーク@もりりん(ハンデ+30)
ポーランド@電気屋(ハンデ+30)
ブルゴーニュ@nori(ハンデ+30)
というメンツである。
このシナリオは776年開始の1025年終了(だったと思う)。実際には、時間の都合で9ラウンド目、つまり1020年に終わった。
このゲームをやったのはずいぶん前のことになるのだが、その時には「不作」が連発して、ヤスが担当していたHREがひどいことになってたりした。
基本的にこのゲームは、運の要素がかなり強い。人為が運命の前に翻弄される中世という時代をよく表していると思うが、やっていてフラストレーションがたまることもまた事実である。
プレイヤーとしては一番危険性の高いヤスが、正月のシヴィライゼーションに続いて隣国となったわけだが、正月の時のような不毛な全面戦争は、今回は避けられた。
やはり危険性の高い電気屋は、国力が小さいことと、序盤のダッシュで失敗を繰り返したことから、僕にとっての脅威にはならなかった。
こうなると後背の危険のない(別シナリオだとモンゴルが迫ってくる最前線となるのだが)ロシアは、非常に気が楽である。とりあえずカトリックに改宗したり、マジャール人の出撃拠点であるハンガリーを抑えたりして、地味に過ごす。
HREは、史実通りシナリオ開始時点で、ドイツが本領なのにイタリアに手を伸ばしていることから、国内統治で大変なことになっている。
フランスはイベリア半島に向かい、レコンキスタを開始。正直な話、史実より簡単すぎる気がする。
両者に挟まれたブルゴーニュは、イタリアに向かうかイベリアに向かうか、二つの選択肢が与えられている。フランスが良い調子で勢力を伸ばし始めていたことから、noriはイベリアへの進出を決定。
デンマークは、スカンディナヴィアを固める一方、さっさとイギリスへと向かう。
このシナリオでは、北海のバイキングと西部地中海のサラセン海賊とがお邪魔虫となる。具体的には、ターン(25年単位)の初めに略奪を連発するわけである。
目標は、一番豊かな地域になるので、下手に内政を行って地味を肥やしたりすると、そこから狙われる。比較的攻撃力の弱いバイキングの場合、要塞化すると止まってくれるのだが、サラセン海賊の場合はほとんど不可能である。
結果、この地域をプレイするデンマーク、フランス、ブルゴーニュなどは、結構面倒臭いことになる(HREはイタリアを持っているのだが、基本放置するのであまり痛くない)。
西欧や南欧は豊かな地域が多いのだが、災害も多いのでなかなかに難しい。
途中、ブルゴーニュに外交9の化け物リーダーが登場し、フランスに折伏攻勢を浴びせることになった。
領内の随所に外交的介入を行う。たまたまこの時期のフランス王は外交2だったので、ほとんど抵抗できない。下手をすると、国土の半分ぐらいが離反しなけない危機的状況である。
何度か諸侯会談が持たれたのだが、正直なところフランスの方が地力が強いことはみんな承知しているので、外交9のブルゴーニュ公を疎ましく思っていても、フランス王へ肩入れする人間もあまり出ない。
さすがに外交的征服は却下するが、それ以外はおおむねブルゴーニュにとって満足すべき展開となる。
しばらくすると、フランス王も代替わりして外交9になり、不毛な外交戦争は終わることになった。
ゲームそのものは地味~に進み、最後の方で東欧を一気に抑え、ついでに上手いこと改宗と軍事のイベントカードを引き当てた僕が、あっさりと勝利した。もう1ターンぐらいあると、ヤスあたりが猛烈な勢いでラッシュをかけてきたはずだから、完勝という程のものでもない。
というか、長らくやっていないことから皆ルールを忘れてしまっており、ルールを把握している僕の方が有利なのは当然のことなので、自慢にできるようなものでもない。
正月にやったシヴィライゼーションと比べると、このクラスの戦略級ボードゲームとして考えると、こちらの方が運の要素が多い分、やや安易だなと感じる。もちろん、計算抜きでは勝てないことは間違いないので、運の要素を強調しすぎるのも片手落ちなのだが、どうも運の要素が目立って仕方ないというあたりが弱いところだ。
あと、古いゲームだから仕方がないのだが、不必要に煩雑で、徴税や反乱のチェックなどはもっと手軽にした方がプレイアビリティが高まることであろう。
2011年4月24日日曜日
卯月廿四日 とりあえずの筋道
研究についてだが、小説とかでよくある「良い知らせと悪い知らせがひとつずつある」という状況。
良い知らせは、とりあえず終わりまでの筋道がついた。あるいは、ついたような気がするということ。
悪い知らせは、結論がありきたりすぎて面白くないということ。
とりあえず整理してみよう。
この研究の目的は、塩政の観点から、財政構造上の柔軟性(硬直性)を明らかにすることにある。
第1節として、各行塩地における塩引数の増減と塩の需給量を明らかにする。
これは、広東について行った研究手法を、他の地域にも適用し、清代中国全域について、同じ見通しが立てられるかどうかというもの。まだ細かい部分までは詰めていないが、同じことが言えるであろうことは、先ず間違いない。
ここから導き出される結論は、清代中期には、清朝は塩の供給の調整を放棄し、人口増加分は私塩に任せていたということである。その原因は、政治的・経済的安定期にあったことから、塩税の需要が弱かったことにあると考えられる。
第2節は、清代後期になって財政需要が高まる中、いかにして塩税の増収を図ったかということを明らかにする。
増収を図るには、官塩の販売量の増加と、塩税の税率を高めることの二通りがある。実際に採られたのは後者の対応で、このために放っておいても競争力の低い官塩が、さらに値上がりして競争力を落とし、私塩が蔓延することになるわけである。
こうした状況にあって、採れる対応は二つある。ひとつは私塩の取り締まり。もうひとつは官塩の流通コストの削減を通した官塩の競争力強化。
後者については、道光年間に陶ジュが行った淮北塩制改革が有名である。これは、最大の行塩地を持つ両淮塩運司行塩地の内、比較的小規模の淮北行塩地について、流通コストを下げたものである。
かなりの抵抗があったのだが、まず成功したといっていい成果を挙げた。これは、陶ジュが地方官としては最大の権力を持つ両江総督であり、かつ塩政における実務権限も全て総督に集中させ、さらに道光帝からの強い信任を得ていたことが大きい。もうひとつの理由として、淮南行塩地に対して相対的に規模が小さい淮北での改革だったことが挙げられる。つまり、既得権益者の力が相対的に弱いということである。
これに対置すべきなのが、清末光緒年間に張謇が行おうとした改革である。こちらは見事に失敗した。理由としては、張謇の塩務や地方行政における権限がきわめて弱かったことと、淮南行塩地での改革だったため、巨大な塩商や官僚その他の利害を正面から崩しかねないものだったためである。ちなみに彼は民国に入ってからも同じく両淮塩政改革に取り組み、既得権益者と熾烈な闘争を繰り広げることになる。
さて、つまり何を言いたいかというと、流通コストの削減は、既得権益者による抵抗が非常に強いため、よほど条件が整わないと成功しないということである。
では、どうするか。結局、私塩の取り締まりに終始することになる。が、塩需要の半分を私塩が占める状況にあっては、どれだけ頑張ろうと効率の低さはどうしようもない。
じゃぁ、どうして塩税の税率に拘ったのか。官塩供給量を増やせば良いんじゃ。
第3節は、それに応える部分である。
張謇など、清末の塩制改革論者たちの主張に、自由販運制の導入というものがある。
これは、早い話が好きに塩を売って良いよ、という制度である。
これまでの塩政の基本は、許可証である塩引の発給を受け、場所や期日、販売する塩の量など事細かに規定され、さらにその取引権も保護されるというものだった。
こうした規制を、程度の差こそあれ緩和するというものである。
当たり前の話だが、こんな改革案を持ち出そうものなら、既得権益者が猛烈に抵抗することになる。
上の話の続きみたいになるが、張謇はこれを行おうとして、結局行い得なかった。大した権力を持ち得なかった清代には言うに及ばず、袁世凱から強い信任を受けていた民国期においても、充分な成果を挙げるには至らなかった。どちらかというと、塩税を借款の担保に入れていたことから、列強から派遣されていた外国人監督官の方が、強い影響力を持っていたのではなかろうかと思われる。このあたりについてはもう少し調べた方が良いのだろうが、基本的には、張謇が進めようとして挫折した改革案を、外国人監督官が実施したという感じになるようである。
さて、結論である。清代の財政構造は、きわめて硬直したものだった。清代中期に行塩数の増減を停止すると、あとはそのままで需要の増加分は私塩に任せていた。これは、この時期に財政的需要が少なかったためだが、財政的需要が高まった後期になっても、塩税の増税という、塩政を混乱させるような対応しか取れず、それへの有効な対応は無かった。
これは、官塩の販売が強く保護されていたため、その改革にあたっては既得権益者からの抵抗が強く、よほど大きな政治的影響力を持てない限り、それを覆せなかったためである。
改革への抵抗は、改革の対象となる権益の大きさに比例するため、淮北塩政の改革であっても、有能な官僚が、地方行政と塩政の権限を集中し、さらに皇帝からの信任を得ていて、ようやく一定の成果を出すというものだった。これとても既存の塩制を大きく逸脱するものではなく、自由販運制の導入などは行い得なかっただろう。
まして陶ジュ程の好条件に恵まれなかった張謇が、最大の権益地である淮南の塩政改革を成功させるのは、不可能事であるとしか言いようがない。既得権益者の抵抗を打ち破るということは、列強の力を背景にした外国人塩務官僚にして、初めて為しえたのである。
以上でストーリーは完成するのだが、どうにも面白くない。
一昔前の資本主義萌芽論とか発展段階論とかで出てくるような古くさい感じがする。
「中国において改革を行おうとすると、官僚・商人・地方有力者から成る既得権益者集団の抵抗が強いため、自力での発展は出来ない」
「よって、外部からの、『西方からの衝撃』が、中国の発展には不可欠だったのである」
古典的なウェスタン・インパクト論の焼き直しみたいである。
だが、一方でウェスタン・インパクト論の見直しも必要ではないかとも思っている。
これは、発展段階論、つまり西欧(さらに言えばイギリス)という「最先端」の姿があり、他の国・世界も、時間が経つにつれて「正しく発展し」西欧化するというものである。唯物史観やそれを改良した大塚史学の歴史観がこれだ。時期的に言えば、日本の場合だと戦後まもなくから1960年代頃まで流行った理論である。
これは、現実の方が「正しい発達」を遂げてくれないことが明らかとなったため、下火になった。
具体的には、アジアやアフリカ諸国に対して、どれだけ援助をぶっ込んでも「正しい発展」をしてくれないことが分かったころの話である。いわゆる近代化論というヤツで、日本やドイツならうまく行ったんだよ! どうしてこの土人どもは……!!!!!と、かんしゃく起こった結果、どうも理論の方が間違っているらしいということになった。この結果生まれたのが従属論なのだが、それは措く。
発展段階論そのものは、やはり間違っていると思う。というか、世の中そんなにシンプルじゃないし。歴史などという人間の営みの生成物に、ただひとつの正しい答なんてもんがあるなら、人文科学は存在の必要性すらなくなってしまうだろう。「正しい歴史認識」なんてのは、北京とソウルにあればそれで充分である。
が、近代中国が西洋からのごり押しの結果、自力では行い得なかった改革を進めたということは、充分あり得る話である。
これとて無条件・無制限に西洋側が力を振るったわけではない。例えば民国期の塩政においても、ヨーロッパ側の代理人だったデーンは、張謇らが進めた塩政改革案を実行しただけと言うことも出来る。また、彼はその後の塩政の運用においても、中国側の利益には相応の配慮を払って執行している。ウェスタン・インパクト論がインチキ臭いのは、これで何でもかんでも説明を付けようとしたことにある。実際には、双方共に影響を受け合うし、「インパクト」が起きる以前からの歴史的文脈というものが必ず関わってくるので、安易な一般化など許されるわけもない。
その上で、ウェスタン・インパクトが影響を及ぼしたというのであれば、これはアリだろうと思う。ウェスタン・インパクトと言うも良し、「世界システム」に組み込まれたというも良し、いずれせによ清末になって中国は、これまでとは異なる力の影響を強く受けるようになったということである。
多分、このあたりの考え方を上手く取り込めば、もう少し面白く読めるものになると思う。とりあえずは細部を詰めていって、ある程度進んだら、もう一度この問題に取り組むことにしよう。
良い知らせは、とりあえず終わりまでの筋道がついた。あるいは、ついたような気がするということ。
悪い知らせは、結論がありきたりすぎて面白くないということ。
とりあえず整理してみよう。
この研究の目的は、塩政の観点から、財政構造上の柔軟性(硬直性)を明らかにすることにある。
第1節として、各行塩地における塩引数の増減と塩の需給量を明らかにする。
これは、広東について行った研究手法を、他の地域にも適用し、清代中国全域について、同じ見通しが立てられるかどうかというもの。まだ細かい部分までは詰めていないが、同じことが言えるであろうことは、先ず間違いない。
ここから導き出される結論は、清代中期には、清朝は塩の供給の調整を放棄し、人口増加分は私塩に任せていたということである。その原因は、政治的・経済的安定期にあったことから、塩税の需要が弱かったことにあると考えられる。
第2節は、清代後期になって財政需要が高まる中、いかにして塩税の増収を図ったかということを明らかにする。
増収を図るには、官塩の販売量の増加と、塩税の税率を高めることの二通りがある。実際に採られたのは後者の対応で、このために放っておいても競争力の低い官塩が、さらに値上がりして競争力を落とし、私塩が蔓延することになるわけである。
こうした状況にあって、採れる対応は二つある。ひとつは私塩の取り締まり。もうひとつは官塩の流通コストの削減を通した官塩の競争力強化。
後者については、道光年間に陶ジュが行った淮北塩制改革が有名である。これは、最大の行塩地を持つ両淮塩運司行塩地の内、比較的小規模の淮北行塩地について、流通コストを下げたものである。
かなりの抵抗があったのだが、まず成功したといっていい成果を挙げた。これは、陶ジュが地方官としては最大の権力を持つ両江総督であり、かつ塩政における実務権限も全て総督に集中させ、さらに道光帝からの強い信任を得ていたことが大きい。もうひとつの理由として、淮南行塩地に対して相対的に規模が小さい淮北での改革だったことが挙げられる。つまり、既得権益者の力が相対的に弱いということである。
これに対置すべきなのが、清末光緒年間に張謇が行おうとした改革である。こちらは見事に失敗した。理由としては、張謇の塩務や地方行政における権限がきわめて弱かったことと、淮南行塩地での改革だったため、巨大な塩商や官僚その他の利害を正面から崩しかねないものだったためである。ちなみに彼は民国に入ってからも同じく両淮塩政改革に取り組み、既得権益者と熾烈な闘争を繰り広げることになる。
さて、つまり何を言いたいかというと、流通コストの削減は、既得権益者による抵抗が非常に強いため、よほど条件が整わないと成功しないということである。
では、どうするか。結局、私塩の取り締まりに終始することになる。が、塩需要の半分を私塩が占める状況にあっては、どれだけ頑張ろうと効率の低さはどうしようもない。
じゃぁ、どうして塩税の税率に拘ったのか。官塩供給量を増やせば良いんじゃ。
第3節は、それに応える部分である。
張謇など、清末の塩制改革論者たちの主張に、自由販運制の導入というものがある。
これは、早い話が好きに塩を売って良いよ、という制度である。
これまでの塩政の基本は、許可証である塩引の発給を受け、場所や期日、販売する塩の量など事細かに規定され、さらにその取引権も保護されるというものだった。
こうした規制を、程度の差こそあれ緩和するというものである。
当たり前の話だが、こんな改革案を持ち出そうものなら、既得権益者が猛烈に抵抗することになる。
上の話の続きみたいになるが、張謇はこれを行おうとして、結局行い得なかった。大した権力を持ち得なかった清代には言うに及ばず、袁世凱から強い信任を受けていた民国期においても、充分な成果を挙げるには至らなかった。どちらかというと、塩税を借款の担保に入れていたことから、列強から派遣されていた外国人監督官の方が、強い影響力を持っていたのではなかろうかと思われる。このあたりについてはもう少し調べた方が良いのだろうが、基本的には、張謇が進めようとして挫折した改革案を、外国人監督官が実施したという感じになるようである。
さて、結論である。清代の財政構造は、きわめて硬直したものだった。清代中期に行塩数の増減を停止すると、あとはそのままで需要の増加分は私塩に任せていた。これは、この時期に財政的需要が少なかったためだが、財政的需要が高まった後期になっても、塩税の増税という、塩政を混乱させるような対応しか取れず、それへの有効な対応は無かった。
これは、官塩の販売が強く保護されていたため、その改革にあたっては既得権益者からの抵抗が強く、よほど大きな政治的影響力を持てない限り、それを覆せなかったためである。
改革への抵抗は、改革の対象となる権益の大きさに比例するため、淮北塩政の改革であっても、有能な官僚が、地方行政と塩政の権限を集中し、さらに皇帝からの信任を得ていて、ようやく一定の成果を出すというものだった。これとても既存の塩制を大きく逸脱するものではなく、自由販運制の導入などは行い得なかっただろう。
まして陶ジュ程の好条件に恵まれなかった張謇が、最大の権益地である淮南の塩政改革を成功させるのは、不可能事であるとしか言いようがない。既得権益者の抵抗を打ち破るということは、列強の力を背景にした外国人塩務官僚にして、初めて為しえたのである。
以上でストーリーは完成するのだが、どうにも面白くない。
一昔前の資本主義萌芽論とか発展段階論とかで出てくるような古くさい感じがする。
「中国において改革を行おうとすると、官僚・商人・地方有力者から成る既得権益者集団の抵抗が強いため、自力での発展は出来ない」
「よって、外部からの、『西方からの衝撃』が、中国の発展には不可欠だったのである」
古典的なウェスタン・インパクト論の焼き直しみたいである。
だが、一方でウェスタン・インパクト論の見直しも必要ではないかとも思っている。
これは、発展段階論、つまり西欧(さらに言えばイギリス)という「最先端」の姿があり、他の国・世界も、時間が経つにつれて「正しく発展し」西欧化するというものである。唯物史観やそれを改良した大塚史学の歴史観がこれだ。時期的に言えば、日本の場合だと戦後まもなくから1960年代頃まで流行った理論である。
これは、現実の方が「正しい発達」を遂げてくれないことが明らかとなったため、下火になった。
具体的には、アジアやアフリカ諸国に対して、どれだけ援助をぶっ込んでも「正しい発展」をしてくれないことが分かったころの話である。いわゆる近代化論というヤツで、日本やドイツならうまく行ったんだよ! どうしてこの土人どもは……!!!!!と、かんしゃく起こった結果、どうも理論の方が間違っているらしいということになった。この結果生まれたのが従属論なのだが、それは措く。
発展段階論そのものは、やはり間違っていると思う。というか、世の中そんなにシンプルじゃないし。歴史などという人間の営みの生成物に、ただひとつの正しい答なんてもんがあるなら、人文科学は存在の必要性すらなくなってしまうだろう。「正しい歴史認識」なんてのは、北京とソウルにあればそれで充分である。
が、近代中国が西洋からのごり押しの結果、自力では行い得なかった改革を進めたということは、充分あり得る話である。
これとて無条件・無制限に西洋側が力を振るったわけではない。例えば民国期の塩政においても、ヨーロッパ側の代理人だったデーンは、張謇らが進めた塩政改革案を実行しただけと言うことも出来る。また、彼はその後の塩政の運用においても、中国側の利益には相応の配慮を払って執行している。ウェスタン・インパクト論がインチキ臭いのは、これで何でもかんでも説明を付けようとしたことにある。実際には、双方共に影響を受け合うし、「インパクト」が起きる以前からの歴史的文脈というものが必ず関わってくるので、安易な一般化など許されるわけもない。
その上で、ウェスタン・インパクトが影響を及ぼしたというのであれば、これはアリだろうと思う。ウェスタン・インパクトと言うも良し、「世界システム」に組み込まれたというも良し、いずれせによ清末になって中国は、これまでとは異なる力の影響を強く受けるようになったということである。
多分、このあたりの考え方を上手く取り込めば、もう少し面白く読めるものになると思う。とりあえずは細部を詰めていって、ある程度進んだら、もう一度この問題に取り組むことにしよう。
2011年4月16日土曜日
卯月十六日 ハード&ソフトディフェンス
東日本の震災が起こるずっと前、首都移転論が活発に議論されていたころから思っていたことだが、東京への一極集中は、危機管理の観点からはかなりまずいのではないかと考えている。
僕が想定する「危機」の一番極端な例は、「核攻撃をくらっても国家機能を存続させられる」というもの。
首都がクレーターに変わっても、日本全体としては機能し、活動し続けられなければならない。
まぁ、ここまで極端な話でなくても、第二次関東大震災とか、もっと穏当な想定はいくらでもできるが、あまり意味はないと思う。自分にとって都合のいい想定でシミュレーションを行うことなど、まったく無意味であるからだ。
この意味で僕が批判されるべき例として考えているのは、ミッドウェー海戦前に行った図演で、史実で被るのと同程度の損害が出るとの結果が出ると、統裁役を務めた宇垣纏が損害を不当に低く裁定してそれを無視し、それがミッドウェーでの敗北につながったという話がある(ただし、Wikipediaの記事によれば、これは宇垣ひとりの判断ではないらしいし、またミッドウェーの敗北はこのことひとつに原因があるわけではない。まぁ、そうだとしてもシミュレーションの結果を捻じ曲げたという事実は動かないが)。
もちろん、不当に損害を大きくしても仕方がない。宇宙人が侵略してくるとかマグニチュード10の地震が起こるとかのあり得ない想定に対して心配するのは、労力の無駄というものである。
概して、後者は素人が、前者は玄人が、それぞれこうした罠にはまりやすいように思える。
今回の地震の場合、大地震と大津波との複合型の打撃だった。それぞれ、想定されていた(少なくともその可能性を示す専門家はいた)のだから、こうした災害は、想定されるべきものだったはずである。
想定されていたにもかかわらず、対処されていなかったのは、コスト的に割に合わないと判断されていたからだろう。こうした保険の類は、災害が起こらなければ無駄になるので、どうしても二の足を踏みたくなってくる。
民主党が仕分けで切った「スーパー堤防」も、コストエフェクティブネスではないから切られたわけである。実際、高さ10mの防波堤で日本を取り巻いたところで、高さ20mの津波が来たら意味がないとあっては、二の足を踏むのは当然であろうし、高さ40mの堤防となると、津波が来る前に日本が滅んでしまいかねない。
東京の石原都知事が主張する防災都市東京という概念も、基本的にはこのスーパー堤防と同じようなものではないかと思う。基本的な発想が、「想定の範囲内の災害」が起きるので、それに耐えられる街づくりを行えば大丈夫というものである。軍艦でいえば、ハードディフェンスというやつだ。
僕なんかは、同じく軍艦の防御思想でいえばソフトディフェンスを取り入れるべきではないかと考えている。
つまり、ある程度までの防御は整えておく(たとえば50年に一回起こる程度の災害には耐えられる)が、それ以上の災害が起きた場合、災害が起きた場所は一時的に機能を停止することを覚悟し、間接的な手段により防御する。基幹機能の分散と指揮統制システムの柔軟化が中心になるのだろう。
具体的には、首都機能を代替できるシステムを、日本の随所(最悪でも一か所)に設けておく。首都機能が停止した場合、「自動的」に指揮権は代替システムから発せられることとなる。また、上位からのトップダウンによらず、道府県レヴェルで一定の権限を振るえるようにしておく。おそらくは、道州制を採用してそこにこうした権限をゆだねる必要が出てくるだろう。
重要なのは、指揮系統にある程度の損害が生じた場合、こうした対応を「自動的」に行えるようにしておかねばならないという点である。中央の指揮能力が維持できている場合は必要ないが、そもそも中央に指揮権が集中しすぎていること自体がよろしくない。一定の権限は、現地の指揮権者(たとえば知事)などが、あらかじめ持っておくべきだろう。
結論は、地方分権を進め、非常事態用の法体系の整備を行っておくことである。相応のコストはかかるが、国中をハードディフェンスで鎧ってしまうよりは安上がりのはずである。
が、政治的なコストは非常に高い。中央集権の緩和や東京一極集中の見直しなどは、猛烈な抵抗を浴びることになるだろう。
民主と自民の大連立政権は、これを成し遂げるだけの能力を与える可能性を秘めていると思うが、まず、民主党の側に、小沢一郎を除いてここまでのグランドデザインを行える人物がいないこと、小沢と自民党の側は、ハードディフェンス志向があると予想されること(要するに土建屋万歳政策である)から、ソフトディフェンスへの移行は難しいのではないかと思う。
要するに、ここまでの文章は「チラシの裏」というわけである。2chでよく使われるもう一つの表現は、「ブログでやれ」なので、ブログで書いた。もちろん、もとよりよそで書いたりしゃべったりするつもりもないが。
僕が想定する「危機」の一番極端な例は、「核攻撃をくらっても国家機能を存続させられる」というもの。
首都がクレーターに変わっても、日本全体としては機能し、活動し続けられなければならない。
まぁ、ここまで極端な話でなくても、第二次関東大震災とか、もっと穏当な想定はいくらでもできるが、あまり意味はないと思う。自分にとって都合のいい想定でシミュレーションを行うことなど、まったく無意味であるからだ。
この意味で僕が批判されるべき例として考えているのは、ミッドウェー海戦前に行った図演で、史実で被るのと同程度の損害が出るとの結果が出ると、統裁役を務めた宇垣纏が損害を不当に低く裁定してそれを無視し、それがミッドウェーでの敗北につながったという話がある(ただし、Wikipediaの記事によれば、これは宇垣ひとりの判断ではないらしいし、またミッドウェーの敗北はこのことひとつに原因があるわけではない。まぁ、そうだとしてもシミュレーションの結果を捻じ曲げたという事実は動かないが)。
もちろん、不当に損害を大きくしても仕方がない。宇宙人が侵略してくるとかマグニチュード10の地震が起こるとかのあり得ない想定に対して心配するのは、労力の無駄というものである。
概して、後者は素人が、前者は玄人が、それぞれこうした罠にはまりやすいように思える。
今回の地震の場合、大地震と大津波との複合型の打撃だった。それぞれ、想定されていた(少なくともその可能性を示す専門家はいた)のだから、こうした災害は、想定されるべきものだったはずである。
想定されていたにもかかわらず、対処されていなかったのは、コスト的に割に合わないと判断されていたからだろう。こうした保険の類は、災害が起こらなければ無駄になるので、どうしても二の足を踏みたくなってくる。
民主党が仕分けで切った「スーパー堤防」も、コストエフェクティブネスではないから切られたわけである。実際、高さ10mの防波堤で日本を取り巻いたところで、高さ20mの津波が来たら意味がないとあっては、二の足を踏むのは当然であろうし、高さ40mの堤防となると、津波が来る前に日本が滅んでしまいかねない。
東京の石原都知事が主張する防災都市東京という概念も、基本的にはこのスーパー堤防と同じようなものではないかと思う。基本的な発想が、「想定の範囲内の災害」が起きるので、それに耐えられる街づくりを行えば大丈夫というものである。軍艦でいえば、ハードディフェンスというやつだ。
僕なんかは、同じく軍艦の防御思想でいえばソフトディフェンスを取り入れるべきではないかと考えている。
つまり、ある程度までの防御は整えておく(たとえば50年に一回起こる程度の災害には耐えられる)が、それ以上の災害が起きた場合、災害が起きた場所は一時的に機能を停止することを覚悟し、間接的な手段により防御する。基幹機能の分散と指揮統制システムの柔軟化が中心になるのだろう。
具体的には、首都機能を代替できるシステムを、日本の随所(最悪でも一か所)に設けておく。首都機能が停止した場合、「自動的」に指揮権は代替システムから発せられることとなる。また、上位からのトップダウンによらず、道府県レヴェルで一定の権限を振るえるようにしておく。おそらくは、道州制を採用してそこにこうした権限をゆだねる必要が出てくるだろう。
重要なのは、指揮系統にある程度の損害が生じた場合、こうした対応を「自動的」に行えるようにしておかねばならないという点である。中央の指揮能力が維持できている場合は必要ないが、そもそも中央に指揮権が集中しすぎていること自体がよろしくない。一定の権限は、現地の指揮権者(たとえば知事)などが、あらかじめ持っておくべきだろう。
結論は、地方分権を進め、非常事態用の法体系の整備を行っておくことである。相応のコストはかかるが、国中をハードディフェンスで鎧ってしまうよりは安上がりのはずである。
が、政治的なコストは非常に高い。中央集権の緩和や東京一極集中の見直しなどは、猛烈な抵抗を浴びることになるだろう。
民主と自民の大連立政権は、これを成し遂げるだけの能力を与える可能性を秘めていると思うが、まず、民主党の側に、小沢一郎を除いてここまでのグランドデザインを行える人物がいないこと、小沢と自民党の側は、ハードディフェンス志向があると予想されること(要するに土建屋万歳政策である)から、ソフトディフェンスへの移行は難しいのではないかと思う。
要するに、ここまでの文章は「チラシの裏」というわけである。2chでよく使われるもう一つの表現は、「ブログでやれ」なので、ブログで書いた。もちろん、もとよりよそで書いたりしゃべったりするつもりもないが。
2011年4月9日土曜日
卯月九日 大連立の可否
さて、地震そのものへの対策はそろそろひと段落し、復興への道筋をつけるべき時がきた。
これにともない、政治休戦も終了し、イニシアティブ争いが始まっている。
民主・自民の双方とも、そしてその他の少数政党とも、復興そのものの必要性では一致しているわけだが、それをどのように、そして誰のイニシアティブにおいて実施するべきか。
民主というか、管内閣は、自民との大連立を行い、新設の震災対策などを自民の閣僚に任せ、内閣の大枠は変えないという方針を狙っているようである。
自民はそれを蹴った。連立するにせよ、管内閣のもとでは行えないと主張し、首相を自民党から出せと主張している。
もとより民主党よりは自民党の方がましだと考えている僕だが、それにしても管内閣の方針は虫がよすぎるように思う。
震災復興だけ丸投げされても、それをバックアップすべき財務・国交・経産などが民主の手元に残されたのでは、はしごを外されるリスクが高すぎる。というか、これまでにもろくに調整能力を果たせていない管首相に、そのあたりを期待できるわけがない。
というわけで、この提案が出た時、僕は民主(というか管直人)にやる気がないか、もしくは真性のお花畑状態になっているかのどちらかだと思った。彼については、前任者ほど知的能力に欠けているわけではなかろうと評価しているので、実態としてはこの間ぐらい、つまり「上手くいけばいいなぁ。行かなくても、それは提案を蹴った自民の責任だし」ぐらいじゃないかと思っている。
前にも書いたが、彼は悪い意味での現実主義者であり、明確な選択肢を設定し、どちらかを選択した上でそれを追求するという方針を決して持てない人間だと評価している。
よって、自分の側から思い切った譲歩を行い、大きな成果を上げるという政治的術策を実施するには向いていない人間であろうと考えている。
自民の側についてはどうだろう。首相をはじめとする重要閣僚をよこせとなると、相手に飲めるはずもないことは承知しているだろう。特に首相職を与えると、好きな時に内閣解散を行える。今総選挙を実施すれば、民主はひどいことになるだろう。
ゆえに、民主はそれを飲めない。その上で首相なり重要閣僚なりのポストを与えて自民を取り込むというような大技を企画し、実施できるだけの力量を持つ人物となると小沢一郎ぐらいのものだろうが、彼は党内の対立の余波で動ける状態にない。あるいは水面下で画策しているのかもしれないが。
結局のところ、統一選が終わって現時点の各党の支持率を確認したうえでないと、次の手は打ちづらいのだろう。民主と自民は大連立を組むか否か。大連立を組まれるとなると影響力をほとんど喪失する少数政党は、いかにしてそれに反対するか。
明日以降、それが加速するのではないかと思っている。
これにともない、政治休戦も終了し、イニシアティブ争いが始まっている。
民主・自民の双方とも、そしてその他の少数政党とも、復興そのものの必要性では一致しているわけだが、それをどのように、そして誰のイニシアティブにおいて実施するべきか。
民主というか、管内閣は、自民との大連立を行い、新設の震災対策などを自民の閣僚に任せ、内閣の大枠は変えないという方針を狙っているようである。
自民はそれを蹴った。連立するにせよ、管内閣のもとでは行えないと主張し、首相を自民党から出せと主張している。
もとより民主党よりは自民党の方がましだと考えている僕だが、それにしても管内閣の方針は虫がよすぎるように思う。
震災復興だけ丸投げされても、それをバックアップすべき財務・国交・経産などが民主の手元に残されたのでは、はしごを外されるリスクが高すぎる。というか、これまでにもろくに調整能力を果たせていない管首相に、そのあたりを期待できるわけがない。
というわけで、この提案が出た時、僕は民主(というか管直人)にやる気がないか、もしくは真性のお花畑状態になっているかのどちらかだと思った。彼については、前任者ほど知的能力に欠けているわけではなかろうと評価しているので、実態としてはこの間ぐらい、つまり「上手くいけばいいなぁ。行かなくても、それは提案を蹴った自民の責任だし」ぐらいじゃないかと思っている。
前にも書いたが、彼は悪い意味での現実主義者であり、明確な選択肢を設定し、どちらかを選択した上でそれを追求するという方針を決して持てない人間だと評価している。
よって、自分の側から思い切った譲歩を行い、大きな成果を上げるという政治的術策を実施するには向いていない人間であろうと考えている。
自民の側についてはどうだろう。首相をはじめとする重要閣僚をよこせとなると、相手に飲めるはずもないことは承知しているだろう。特に首相職を与えると、好きな時に内閣解散を行える。今総選挙を実施すれば、民主はひどいことになるだろう。
ゆえに、民主はそれを飲めない。その上で首相なり重要閣僚なりのポストを与えて自民を取り込むというような大技を企画し、実施できるだけの力量を持つ人物となると小沢一郎ぐらいのものだろうが、彼は党内の対立の余波で動ける状態にない。あるいは水面下で画策しているのかもしれないが。
結局のところ、統一選が終わって現時点の各党の支持率を確認したうえでないと、次の手は打ちづらいのだろう。民主と自民は大連立を組むか否か。大連立を組まれるとなると影響力をほとんど喪失する少数政党は、いかにしてそれに反対するか。
明日以降、それが加速するのではないかと思っている。
2011年4月2日土曜日
卯月二日 史料のコピー
先月末、久しぶりに人文研に行ってきた。
学生証が年度末で一時的に切れるので、再発行までのタイムロスが惜しくての駆け込みである。
で、『清塩法志』から大量にコピーしてきた。180枚強で6300円ほど。専門書が一冊買える値段である。くそう。
年に数度行くのだが、行くたびに5k円ぐらい貢いでいる気がする。
もともとは、ここまで大量のコピーを行うつもりはなかった。前回コピーしていなかった部分をコピーするだけ……と思っていたのだが、いざ実物を見てみると、前回訪れたときより研究を進めていた分、必要となる史料が格段に増えていたことに気がついた。
つまり、前回は塩引数を記載する部分のみをコピーしていたのだが、研究方針が変わり、塩引の増減にかかわる部分と、塩の価格に関する部分をチェックする必要が生じたのである。
あるいは、塩税に関する部分もすべてチェックしたほうがいいのかもしれないが、その辺りについては今回は外しておいた。コピー数も、コピーにかかる時間もシャレにならなくなるので。
実のところ、こうした史料の大半は基本古籍庫にある各塩運司の塩法志を見ても、ほぼ同様の情報を手に入れることが可能である。というのも、こうした塩法志の大半は、光緒年間ごろに発行されているので、民国初期刊行の『清塩法志』とは情報がかぶって当然なわけである。
ならばわざわざ高い金を払う必要があるのかということになるが、実物を見てみると、清の最末期ごろに色々と悪あがきをしているのだが、それについての情報がばかにならないことに気付いた。
今回の研究では清代中期が主な対象となるのだが、知らん顔もできない。
かくして、必要な情報量はそれほど多くはないにもかかわらず、そこだけをピックアップすることもできないため、泣く泣く全部コピーすることになったわけである。
で、現在は大量にゲットしたコピーを、ファイルにとじるために折っているところである。ついでに最近コピーした論文も同じように折っているのだが、折り終わる前に心が折れた。
というわけで、こちらに逃げたわけである。
学生証が年度末で一時的に切れるので、再発行までのタイムロスが惜しくての駆け込みである。
で、『清塩法志』から大量にコピーしてきた。180枚強で6300円ほど。専門書が一冊買える値段である。くそう。
年に数度行くのだが、行くたびに5k円ぐらい貢いでいる気がする。
もともとは、ここまで大量のコピーを行うつもりはなかった。前回コピーしていなかった部分をコピーするだけ……と思っていたのだが、いざ実物を見てみると、前回訪れたときより研究を進めていた分、必要となる史料が格段に増えていたことに気がついた。
つまり、前回は塩引数を記載する部分のみをコピーしていたのだが、研究方針が変わり、塩引の増減にかかわる部分と、塩の価格に関する部分をチェックする必要が生じたのである。
あるいは、塩税に関する部分もすべてチェックしたほうがいいのかもしれないが、その辺りについては今回は外しておいた。コピー数も、コピーにかかる時間もシャレにならなくなるので。
実のところ、こうした史料の大半は基本古籍庫にある各塩運司の塩法志を見ても、ほぼ同様の情報を手に入れることが可能である。というのも、こうした塩法志の大半は、光緒年間ごろに発行されているので、民国初期刊行の『清塩法志』とは情報がかぶって当然なわけである。
ならばわざわざ高い金を払う必要があるのかということになるが、実物を見てみると、清の最末期ごろに色々と悪あがきをしているのだが、それについての情報がばかにならないことに気付いた。
今回の研究では清代中期が主な対象となるのだが、知らん顔もできない。
かくして、必要な情報量はそれほど多くはないにもかかわらず、そこだけをピックアップすることもできないため、泣く泣く全部コピーすることになったわけである。
で、現在は大量にゲットしたコピーを、ファイルにとじるために折っているところである。ついでに最近コピーした論文も同じように折っているのだが、折り終わる前に心が折れた。
というわけで、こちらに逃げたわけである。
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