2011年7月9日土曜日

文月九日 『グローバル化と銀』

久しぶりに読書感想文。

デニス・フリン『グローバル化と銀』山川出版社, 2010.5

世界史理論というと難しげな感じであり、実際難しいことも多いのだが、その最先端の一派というか主張についての本である。
難しげな話とは書いたが、この本は3つの講演を文字に起こしたものが基本であり、その意味では非常に読みやすい。難しげな部分についても、編者による解説が最初についているので、まぁ大体の予備知識は仕入れられるはず。

「グローバル化は1571年に始まった―新大陸銀とマニラ・ガレオン」
ここでは、グローバル化という、皆が好んで使う割に正体不明な概念について、論者なりの定義を行い、解説している。簡単にいえば、グローバル化とは世界中の主要な経済圏が強く連結した状態を指し、それが始まったのは、1571年にスペインがマニラに拠点を設け、銀という商品(通貨に非ず)をアメリカや日本から中国へもたらすようになった時である、ということになる。
日本の学界では、それほど違和感のない考え方だと思うのだが、環大西洋経済圏などヨーロッパ優位の考え方が主流だったヨーロッパでは、議論のあるところなのだろう。
これまで対中貿易の通貨として扱われてきた銀を、単純な通貨ではなく商品として考えるべきだと強調したことは、言われてみればもっともな考え方である。金銀比価が高く、また銀の需要も大きかった中国は、金を輸出して銀を輸入する動機があったわけであり、金銀比価が世界市場と同程度にまで落ち着いた17世紀半ばになると、この動きはひと段落するわけである(18世紀に始まる次の銀輸入シーズンについては、また別の話となる)。

「徳川幕府とスペイン・ハプスブルク帝国―グローバルな舞台での二つの銀帝国」
ここでは、中国に対する銀の輸出国だった日本と、アメリカ銀を握っていたスペインについて述べている。
双方とも対中貿易で莫大な利益を挙げたわけだが、スペインがヨーロッパにおいて盛んに行うようになった軍事活動の財源としたのに対し、日本は統一後、対外拡張政策を放棄し、軍事費ではなく国内の経済・社会基盤の整備に投資するようになった。
中国の銀需要が低下し銀が売れなくなると、スペインは破産したのに対し、日本はその後の経済発展の準備を進めることになる。
面白いのは、従来スペインはアメリカ銀の流入により資本主義的な意味での近代化を進めていったとされてきたのに対し、ここでは、スペインはその銀を経済的発展どころか、イギリスやオランダが進めようとしていた近代化を阻害するために用いたとしていることであろう。

「貨幣と発展なき成長―明朝中国の場合」
ここでは、莫大な量の銀を飲み込んでいった中国について述べられている。
紙幣制度の維持に失敗した明朝は、民間側の需要が先導する形で銀遣いが一般化しつつあったのだが、銀が事実上の通貨となることで、その需要が一気に拡大した。
政府による銀の消費は、主に政府機能が置かれ、軍事行動が展開されていた北方においてであったため、銀が流入してくる東南部においては、常に銀の需要が高かった。
このような需要の拡大に対し、銀の大量供給が可能だったことから、さらに需要が拡大するといった形で中国の銀遣いは拡大することになり、明代後期以降の経済成長がもたらされたということになる。
さて、この経済成長は、経済発展ではないというのが論者の主張である。つまり、経済規模は拡大したのだが、銀というそれ自体価値のある商品に対し、価値ある対価を支払い続けたことにより、相応の富が流出したのだという。ヨーロッパにおける重金主義と重商主義の対立などを引き合いに出しながら、中国の経済規模の拡大が、見た目ほどには質的な発展をもたらさなかったと説くのである。

この量的成長と質的発展の違いについては、近年よく引き合いに出されるアンガス・マディソンの研究などで強調されているが、近世において世界最大の経済大国だった中国が、近代になって大きく凋落した原因を表すキーワードとして注目されている。
この論点の説得性は、数量面からの詳細なリサーチが可能かどうかにかかっているのだが、清代以降はともかく明代については難しいことも多い。統計史料そのものはいろいろと残っているのだが、信頼性に欠けるのだ。
それでも、慎重な吟味を行うのであれば、様々な史料を利用することは可能だろうし、今後も研究が進められていくのではなかろうか。
その上で、本書で提示されたモデルが妥当なのかどうかといった議論が、今後も一層深められていくことであろう。

残念なのは、日本においてこの手の議論はあまり活発ではないように思われる点だ。重箱の隅をつつくような研究手法について、その限界性を説く人は昔から多数いるのだが、相変わらず大きくは変わっていないような気もする。阪大などを中心に、少しずつ変わっていっているというところだろうか。
この分野で発表される研究も欧文のものが多く、日本語で読めるものはあまりない。そういえば、ポメランツの"The Great Divergence"も、相変わらず未翻訳のままみたいだ。英語版を読むしかないのかな。買ってはいるんだけど。

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