なかなか研究が進まず、少し焦りだしてきている。
なぜ進まないのかは、ひとつには単純で、コツコツとした作業を行っていないためである。
全く何もしていないわけではないのだが、もう少し努力してもいいところである。
また、ある程度作業を進めてきて気がついたが、史料不足の部分があり、また人文研に行かなければならない。このくそ熱い中をあそこまでチャリ漕いで行かなければならないのかと思うとげんなりするが、少なくともお盆休みまでには行っておく必要がある。
もうひとつは、まだ先の話だが、一部の史料については、第一档案館にしかないようで、そこまで行くか、なんとかして史料を手に入れなければならないかもしれない。
研究の骨子は、清代中期以降、官塩の供給量を需要に対応させることを放棄したという事実、そして清代後期に財政的必要性が増した時には、塩の供給量を増やすのではなく、塩税税率を高めることでそれに対応しようとしたという事実を指摘し、その原因として、前者については当時の清朝にはその動機がなかったこと、後者については財政構造上の必然であったと主張するというものである。
基本的な枠組みとしてはそれで充分であると考えているのだが、動機がなかったという否定証明、また財政構造を説くにせよ、いささか説得力に欠ける憾みがあるという気もしている。
そこで、塩政の意思決定の過程を改めて検討しておく必要性を感じているのだが、そのためには一次史料である塩務関係の档案類を見なければならないという気がしつつあるのである。
日本で見られたらいいのだが、あいにくと完全な形での発表は行われておらず、また塩政関係に限るとはいえ、かなりの量に上ることから、直接現地に赴くにせよ、あるいは史料のコピーの郵送が可能であるにせよ、相応のカネがかかりそうな感じである。
目指す史料が「当たり」であるとの目処が、ある程度であれ立つのであれば、そして充分な時間がとれるのであれば、何らかの助成金を求めるなどの方策を取ろうとも思えるのだろうが、そこまでの確証も得られない。
この問題については、さしあたり宮中档を使うしかないだろう。どの程度当たりがあるかどうかは不明だし、一番のかなめである乾隆年間のそれが、大学にはないという無様な状態なので、それこそ京大の文学部あたりに足しげく通わなくてはならないかもしれない。
いずれにせよ、今回の論文の締め切りまでにこの問題を解決することは、時間的に不可能である。
本来ならば、一度ここで研究を中止し、こちらを片づけてから改めて現在のテーマに戻るべきであろう。
が、それも時間的に不可能なので、とりあえず不充分なかたちであるにせよ、今回の論文を片づけ、その上でこの問題に取り掛かるべきということになるだろう。
なかなかに気分が重い。
2011年7月16日土曜日
2011年7月9日土曜日
文月九日 『グローバル化と銀』
久しぶりに読書感想文。
デニス・フリン『グローバル化と銀』山川出版社, 2010.5
世界史理論というと難しげな感じであり、実際難しいことも多いのだが、その最先端の一派というか主張についての本である。
難しげな話とは書いたが、この本は3つの講演を文字に起こしたものが基本であり、その意味では非常に読みやすい。難しげな部分についても、編者による解説が最初についているので、まぁ大体の予備知識は仕入れられるはず。
「グローバル化は1571年に始まった―新大陸銀とマニラ・ガレオン」
ここでは、グローバル化という、皆が好んで使う割に正体不明な概念について、論者なりの定義を行い、解説している。簡単にいえば、グローバル化とは世界中の主要な経済圏が強く連結した状態を指し、それが始まったのは、1571年にスペインがマニラに拠点を設け、銀という商品(通貨に非ず)をアメリカや日本から中国へもたらすようになった時である、ということになる。
日本の学界では、それほど違和感のない考え方だと思うのだが、環大西洋経済圏などヨーロッパ優位の考え方が主流だったヨーロッパでは、議論のあるところなのだろう。
これまで対中貿易の通貨として扱われてきた銀を、単純な通貨ではなく商品として考えるべきだと強調したことは、言われてみればもっともな考え方である。金銀比価が高く、また銀の需要も大きかった中国は、金を輸出して銀を輸入する動機があったわけであり、金銀比価が世界市場と同程度にまで落ち着いた17世紀半ばになると、この動きはひと段落するわけである(18世紀に始まる次の銀輸入シーズンについては、また別の話となる)。
「徳川幕府とスペイン・ハプスブルク帝国―グローバルな舞台での二つの銀帝国」
ここでは、中国に対する銀の輸出国だった日本と、アメリカ銀を握っていたスペインについて述べている。
双方とも対中貿易で莫大な利益を挙げたわけだが、スペインがヨーロッパにおいて盛んに行うようになった軍事活動の財源としたのに対し、日本は統一後、対外拡張政策を放棄し、軍事費ではなく国内の経済・社会基盤の整備に投資するようになった。
中国の銀需要が低下し銀が売れなくなると、スペインは破産したのに対し、日本はその後の経済発展の準備を進めることになる。
面白いのは、従来スペインはアメリカ銀の流入により資本主義的な意味での近代化を進めていったとされてきたのに対し、ここでは、スペインはその銀を経済的発展どころか、イギリスやオランダが進めようとしていた近代化を阻害するために用いたとしていることであろう。
「貨幣と発展なき成長―明朝中国の場合」
ここでは、莫大な量の銀を飲み込んでいった中国について述べられている。
紙幣制度の維持に失敗した明朝は、民間側の需要が先導する形で銀遣いが一般化しつつあったのだが、銀が事実上の通貨となることで、その需要が一気に拡大した。
政府による銀の消費は、主に政府機能が置かれ、軍事行動が展開されていた北方においてであったため、銀が流入してくる東南部においては、常に銀の需要が高かった。
このような需要の拡大に対し、銀の大量供給が可能だったことから、さらに需要が拡大するといった形で中国の銀遣いは拡大することになり、明代後期以降の経済成長がもたらされたということになる。
さて、この経済成長は、経済発展ではないというのが論者の主張である。つまり、経済規模は拡大したのだが、銀というそれ自体価値のある商品に対し、価値ある対価を支払い続けたことにより、相応の富が流出したのだという。ヨーロッパにおける重金主義と重商主義の対立などを引き合いに出しながら、中国の経済規模の拡大が、見た目ほどには質的な発展をもたらさなかったと説くのである。
この量的成長と質的発展の違いについては、近年よく引き合いに出されるアンガス・マディソンの研究などで強調されているが、近世において世界最大の経済大国だった中国が、近代になって大きく凋落した原因を表すキーワードとして注目されている。
この論点の説得性は、数量面からの詳細なリサーチが可能かどうかにかかっているのだが、清代以降はともかく明代については難しいことも多い。統計史料そのものはいろいろと残っているのだが、信頼性に欠けるのだ。
それでも、慎重な吟味を行うのであれば、様々な史料を利用することは可能だろうし、今後も研究が進められていくのではなかろうか。
その上で、本書で提示されたモデルが妥当なのかどうかといった議論が、今後も一層深められていくことであろう。
残念なのは、日本においてこの手の議論はあまり活発ではないように思われる点だ。重箱の隅をつつくような研究手法について、その限界性を説く人は昔から多数いるのだが、相変わらず大きくは変わっていないような気もする。阪大などを中心に、少しずつ変わっていっているというところだろうか。
この分野で発表される研究も欧文のものが多く、日本語で読めるものはあまりない。そういえば、ポメランツの"The Great Divergence"も、相変わらず未翻訳のままみたいだ。英語版を読むしかないのかな。買ってはいるんだけど。
デニス・フリン『グローバル化と銀』山川出版社, 2010.5
世界史理論というと難しげな感じであり、実際難しいことも多いのだが、その最先端の一派というか主張についての本である。
難しげな話とは書いたが、この本は3つの講演を文字に起こしたものが基本であり、その意味では非常に読みやすい。難しげな部分についても、編者による解説が最初についているので、まぁ大体の予備知識は仕入れられるはず。
「グローバル化は1571年に始まった―新大陸銀とマニラ・ガレオン」
ここでは、グローバル化という、皆が好んで使う割に正体不明な概念について、論者なりの定義を行い、解説している。簡単にいえば、グローバル化とは世界中の主要な経済圏が強く連結した状態を指し、それが始まったのは、1571年にスペインがマニラに拠点を設け、銀という商品(通貨に非ず)をアメリカや日本から中国へもたらすようになった時である、ということになる。
日本の学界では、それほど違和感のない考え方だと思うのだが、環大西洋経済圏などヨーロッパ優位の考え方が主流だったヨーロッパでは、議論のあるところなのだろう。
これまで対中貿易の通貨として扱われてきた銀を、単純な通貨ではなく商品として考えるべきだと強調したことは、言われてみればもっともな考え方である。金銀比価が高く、また銀の需要も大きかった中国は、金を輸出して銀を輸入する動機があったわけであり、金銀比価が世界市場と同程度にまで落ち着いた17世紀半ばになると、この動きはひと段落するわけである(18世紀に始まる次の銀輸入シーズンについては、また別の話となる)。
「徳川幕府とスペイン・ハプスブルク帝国―グローバルな舞台での二つの銀帝国」
ここでは、中国に対する銀の輸出国だった日本と、アメリカ銀を握っていたスペインについて述べている。
双方とも対中貿易で莫大な利益を挙げたわけだが、スペインがヨーロッパにおいて盛んに行うようになった軍事活動の財源としたのに対し、日本は統一後、対外拡張政策を放棄し、軍事費ではなく国内の経済・社会基盤の整備に投資するようになった。
中国の銀需要が低下し銀が売れなくなると、スペインは破産したのに対し、日本はその後の経済発展の準備を進めることになる。
面白いのは、従来スペインはアメリカ銀の流入により資本主義的な意味での近代化を進めていったとされてきたのに対し、ここでは、スペインはその銀を経済的発展どころか、イギリスやオランダが進めようとしていた近代化を阻害するために用いたとしていることであろう。
「貨幣と発展なき成長―明朝中国の場合」
ここでは、莫大な量の銀を飲み込んでいった中国について述べられている。
紙幣制度の維持に失敗した明朝は、民間側の需要が先導する形で銀遣いが一般化しつつあったのだが、銀が事実上の通貨となることで、その需要が一気に拡大した。
政府による銀の消費は、主に政府機能が置かれ、軍事行動が展開されていた北方においてであったため、銀が流入してくる東南部においては、常に銀の需要が高かった。
このような需要の拡大に対し、銀の大量供給が可能だったことから、さらに需要が拡大するといった形で中国の銀遣いは拡大することになり、明代後期以降の経済成長がもたらされたということになる。
さて、この経済成長は、経済発展ではないというのが論者の主張である。つまり、経済規模は拡大したのだが、銀というそれ自体価値のある商品に対し、価値ある対価を支払い続けたことにより、相応の富が流出したのだという。ヨーロッパにおける重金主義と重商主義の対立などを引き合いに出しながら、中国の経済規模の拡大が、見た目ほどには質的な発展をもたらさなかったと説くのである。
この量的成長と質的発展の違いについては、近年よく引き合いに出されるアンガス・マディソンの研究などで強調されているが、近世において世界最大の経済大国だった中国が、近代になって大きく凋落した原因を表すキーワードとして注目されている。
この論点の説得性は、数量面からの詳細なリサーチが可能かどうかにかかっているのだが、清代以降はともかく明代については難しいことも多い。統計史料そのものはいろいろと残っているのだが、信頼性に欠けるのだ。
それでも、慎重な吟味を行うのであれば、様々な史料を利用することは可能だろうし、今後も研究が進められていくのではなかろうか。
その上で、本書で提示されたモデルが妥当なのかどうかといった議論が、今後も一層深められていくことであろう。
残念なのは、日本においてこの手の議論はあまり活発ではないように思われる点だ。重箱の隅をつつくような研究手法について、その限界性を説く人は昔から多数いるのだが、相変わらず大きくは変わっていないような気もする。阪大などを中心に、少しずつ変わっていっているというところだろうか。
この分野で発表される研究も欧文のものが多く、日本語で読めるものはあまりない。そういえば、ポメランツの"The Great Divergence"も、相変わらず未翻訳のままみたいだ。英語版を読むしかないのかな。買ってはいるんだけど。
2011年6月11日土曜日
塩引数変遷についての研究見通し
相も変わらず「遅々として進む」感じで作業を続けている。各行塩地の塩引数の変遷を辿るという「1-1」ステージは、もうじき終わりそうである。ラストが、両淮という大物なわけだが。
塩斤数をチェックする「1-2」については、半分程度ははっきりしているのだが、残り半分は今一つよくわからない。税収と直結する塩引数については、比較的分かりやすく(それでもかなり複雑な表現を使っていたりするが)、把握もしやすいのだが、塩斤数については、そこまで分かりやすくまとめられていないこともあるのが面倒臭い。
最悪、もう一度人文研へ出張らないといけないかもしれない。
人口数を把握する「1-3」ステージは、作業が住んでいる。というか、先行研究のをそのまま引用するので、問題とならない。
問題は、税収云々が絡んでくる第2ステージなのだが、今から悩んでいても仕方がない。とりあえず第1ステージの今月中の完成を目指す。
にしても、かなりのページ数になりそうで、今から怖い。前後篇に分けるとか、やりたくないんだが。
細かい塩制の変遷を文字で追うのを回避するには、表を多用するしかない。
これがちょっとした項目だけなら、あまり嵩張らないのだが、そうもいくまい。行塩地内の塩引数改訂を1行にまとめたとしても、各行塩地ごとに半ページ~1ページ程度は消費しそうである。
今回チェックする行塩地は7箇所で、平均して3/4ページ使うとするなら、約6ページ程度を使うことになる。雑誌での1ページを簡単に原稿用紙単位に換算すると、だいたい4枚に相当するので、原稿用紙24枚程度ということになる。ちなみに論文1本あたりの制限枚数は、原稿用紙換算で40枚である。無理を言えば、60枚程度ぐらいは我慢してもらえるが。
……どう考えても詰んでいるわけだが、今の時点では考えないことにする。畜生めが。
塩斤数をチェックする「1-2」については、半分程度ははっきりしているのだが、残り半分は今一つよくわからない。税収と直結する塩引数については、比較的分かりやすく(それでもかなり複雑な表現を使っていたりするが)、把握もしやすいのだが、塩斤数については、そこまで分かりやすくまとめられていないこともあるのが面倒臭い。
最悪、もう一度人文研へ出張らないといけないかもしれない。
人口数を把握する「1-3」ステージは、作業が住んでいる。というか、先行研究のをそのまま引用するので、問題とならない。
問題は、税収云々が絡んでくる第2ステージなのだが、今から悩んでいても仕方がない。とりあえず第1ステージの今月中の完成を目指す。
にしても、かなりのページ数になりそうで、今から怖い。前後篇に分けるとか、やりたくないんだが。
細かい塩制の変遷を文字で追うのを回避するには、表を多用するしかない。
これがちょっとした項目だけなら、あまり嵩張らないのだが、そうもいくまい。行塩地内の塩引数改訂を1行にまとめたとしても、各行塩地ごとに半ページ~1ページ程度は消費しそうである。
今回チェックする行塩地は7箇所で、平均して3/4ページ使うとするなら、約6ページ程度を使うことになる。雑誌での1ページを簡単に原稿用紙単位に換算すると、だいたい4枚に相当するので、原稿用紙24枚程度ということになる。ちなみに論文1本あたりの制限枚数は、原稿用紙換算で40枚である。無理を言えば、60枚程度ぐらいは我慢してもらえるが。
……どう考えても詰んでいるわけだが、今の時点では考えないことにする。畜生めが。
2011年6月1日水曜日
水無月朔日 東北震災の歴史的評価
フェルナン・ブローデルは、『地中海』を書くに際して、それまで伝統的に歴史学が守備範囲とするものとされていた政治的事件などの「短い歴史」、そしてある世界を構成する基礎的な情報を与えてくれる地理や気候などの「長い歴史」と、その中間である社会や経済の変容といった「中ぐらいの歴史」の三点を挙げ、それぞれの観点から地中海を描きあげた。
僕は、主に経済の歴史に関心を寄せているわけだからして、この「中ぐらいの歴史」の観点から歴史を見ることが多い。
逆に言えば、あまり「出来事」に対しては興味を持たない。無いわけじゃないけど。
極端な例だが、2001年のWTC同時爆破テロが起きた時、もちろん僕も大いに興奮したわけだが、しばらくすると、違和感を感じるようになった。
周囲では、「これで歴史が変わる」とか言っていたが、それを胡散臭く感じるようになったのだ。別に、何も変わらないというわけではないが、この一件一つが転機となるというのは、単純すぎるだろうと思ったのである。
今回の地震でも、やはり「歴史が変わる」と主張する人は多いわけだが、同じく胡散臭く感じる。そりゃまぁ、原子力政策とかはかなり影響を受けるかもしれないが、人類の経済成長を維持するためには一定量のエネルギーが必要であり、化石燃料ではそれを長期にわたって賄うことは出来ず、新エネルギーも当分の間はコストパフォーマンスの点で主力とは成り得ないという現状を鑑みるに、原子力を完全に封殺することは難しいはずである。
もちろん、短期的には原子炉の建設は不可能だし、日本に限ればかなりの長期間に渡り、建設できない可能性は低くはない。以前から胡散臭げに見られてきたが、今回の一件で、原子力村への信頼はほとんど完全に失墜したし。
しかし、これで「歴史が変わる」のか?
まぁ、こうなってくると何を以て歴史が変わったのかという定義からの問題となるだろう。実際、被災した人にとっては、その人もしくはその周囲の人の「歴史」は確実に変わったのだろうし。
ただし、こうした個人的な経験は、僕は取り扱わない。こうしたものも歴史が取り扱うべき分野の一つには違いないのだが、それだと、今この瞬間に車にはねられた人と、根本的に何が違うのかということになるので。
もっとも、こうしたことも、車の増加による事故の発生率と、それによる経済的損失を話すというのなら別である。同じく、地震の発生による社会構造や経済構造の変化という話をするなら、考察の対象となり得よう。まさに「中ぐらいの歴史」の範疇といえる。
さて、この観点からすれば、東北や日本や世界の歴史は変わったのか?
東北についてと限定すれば、大きく変わり得るかもしれない。避難の長期化や経済的基盤の長期的な崩壊、震災復興への負担などにより、これまでの生活は一変しており、そしてその変化は元に戻らない可能性が高い。
日本についてはどうか。経済的には極端な打撃ではない。混乱した生産機能も数年以内に代替可能となる。阪神大震災により神戸の経済組織は大きな打撃を受け、そしてそれは完全な復興を遂げてはいないし、今後もそれはないだろうが、その分の機能は他所が補っているということからの推測である。
ただし、エネルギー政策に対してはかなりの期間影響が及ぶ可能性が高い。また、震災復興のための財政的負担は、財政状態が阪神当時よりも悪化していることから、かなりの問題となるだろう。ただし、どちらの問題にせよ、昨日今日に始まった問題ではないということも留意しておくべきだろう。
総合的には、現時点ではよくわからない。東北の震災を被ったことによる影響は、日本の経済や社会を質的には変化させないだろうが、量的には大きな変化をもたらす可能性がある。経済・社会的負担があまりにも大きくなれば、その構造そのものを変えてしまう可能性もあるだろう。
世界についてはどうか。ほとんど変わらないのではないかと思う。原子力エネルギーへの依存度の高まりは、かつてより弱まるかもしれないが、現在の経済発展の主力である中国・ロシアその他の国々は、何よりもエネルギーを必要としており、そのためなら多少のリスクの高まりなど目にもかけないだろうし、実際、原子炉の安全性をPRするのに躍起になっている。
経済の発達のみがすべてではないが、経済の発達なしに国力を大きく伸ばすことは難しい。そして、経済を大きく伸ばすチャンスというのは、歴史においてそう何度も訪れるものではない。特にロシアほどの化石エネルギーを持たず、生産業が国力の大きな要素となっている中国や韓国の場合、エネルギーは必須である。また、高齢化が急速に進みつつある中、今のうちに稼いでおかないと、日本のような安定した状態(停滞ともいうが)を狙うことすら不可能になりかねないわけであり、その意味では日本よりもよほど切実だろう。
とまぁ、こんなわけで、世界史の観点からすると、この一件は大した影響力を及ぼさないのではないか、と現時点では思っている。日本史の観点からしても、多分そうだろう。細かい部分ではそれなりの影響力を及ぼしはするだろうが、全体的な観点からとなると、こう判断される。
まぁ、来年の今頃は全く違ったことを言っているかもしれないが。歴史家は過去からしか判断できないし、本来、未来のことは守備範囲外だからと、逃げを打っておくことにする。
僕は、主に経済の歴史に関心を寄せているわけだからして、この「中ぐらいの歴史」の観点から歴史を見ることが多い。
逆に言えば、あまり「出来事」に対しては興味を持たない。無いわけじゃないけど。
極端な例だが、2001年のWTC同時爆破テロが起きた時、もちろん僕も大いに興奮したわけだが、しばらくすると、違和感を感じるようになった。
周囲では、「これで歴史が変わる」とか言っていたが、それを胡散臭く感じるようになったのだ。別に、何も変わらないというわけではないが、この一件一つが転機となるというのは、単純すぎるだろうと思ったのである。
今回の地震でも、やはり「歴史が変わる」と主張する人は多いわけだが、同じく胡散臭く感じる。そりゃまぁ、原子力政策とかはかなり影響を受けるかもしれないが、人類の経済成長を維持するためには一定量のエネルギーが必要であり、化石燃料ではそれを長期にわたって賄うことは出来ず、新エネルギーも当分の間はコストパフォーマンスの点で主力とは成り得ないという現状を鑑みるに、原子力を完全に封殺することは難しいはずである。
もちろん、短期的には原子炉の建設は不可能だし、日本に限ればかなりの長期間に渡り、建設できない可能性は低くはない。以前から胡散臭げに見られてきたが、今回の一件で、原子力村への信頼はほとんど完全に失墜したし。
しかし、これで「歴史が変わる」のか?
まぁ、こうなってくると何を以て歴史が変わったのかという定義からの問題となるだろう。実際、被災した人にとっては、その人もしくはその周囲の人の「歴史」は確実に変わったのだろうし。
ただし、こうした個人的な経験は、僕は取り扱わない。こうしたものも歴史が取り扱うべき分野の一つには違いないのだが、それだと、今この瞬間に車にはねられた人と、根本的に何が違うのかということになるので。
もっとも、こうしたことも、車の増加による事故の発生率と、それによる経済的損失を話すというのなら別である。同じく、地震の発生による社会構造や経済構造の変化という話をするなら、考察の対象となり得よう。まさに「中ぐらいの歴史」の範疇といえる。
さて、この観点からすれば、東北や日本や世界の歴史は変わったのか?
東北についてと限定すれば、大きく変わり得るかもしれない。避難の長期化や経済的基盤の長期的な崩壊、震災復興への負担などにより、これまでの生活は一変しており、そしてその変化は元に戻らない可能性が高い。
日本についてはどうか。経済的には極端な打撃ではない。混乱した生産機能も数年以内に代替可能となる。阪神大震災により神戸の経済組織は大きな打撃を受け、そしてそれは完全な復興を遂げてはいないし、今後もそれはないだろうが、その分の機能は他所が補っているということからの推測である。
ただし、エネルギー政策に対してはかなりの期間影響が及ぶ可能性が高い。また、震災復興のための財政的負担は、財政状態が阪神当時よりも悪化していることから、かなりの問題となるだろう。ただし、どちらの問題にせよ、昨日今日に始まった問題ではないということも留意しておくべきだろう。
総合的には、現時点ではよくわからない。東北の震災を被ったことによる影響は、日本の経済や社会を質的には変化させないだろうが、量的には大きな変化をもたらす可能性がある。経済・社会的負担があまりにも大きくなれば、その構造そのものを変えてしまう可能性もあるだろう。
世界についてはどうか。ほとんど変わらないのではないかと思う。原子力エネルギーへの依存度の高まりは、かつてより弱まるかもしれないが、現在の経済発展の主力である中国・ロシアその他の国々は、何よりもエネルギーを必要としており、そのためなら多少のリスクの高まりなど目にもかけないだろうし、実際、原子炉の安全性をPRするのに躍起になっている。
経済の発達のみがすべてではないが、経済の発達なしに国力を大きく伸ばすことは難しい。そして、経済を大きく伸ばすチャンスというのは、歴史においてそう何度も訪れるものではない。特にロシアほどの化石エネルギーを持たず、生産業が国力の大きな要素となっている中国や韓国の場合、エネルギーは必須である。また、高齢化が急速に進みつつある中、今のうちに稼いでおかないと、日本のような安定した状態(停滞ともいうが)を狙うことすら不可能になりかねないわけであり、その意味では日本よりもよほど切実だろう。
とまぁ、こんなわけで、世界史の観点からすると、この一件は大した影響力を及ぼさないのではないか、と現時点では思っている。日本史の観点からしても、多分そうだろう。細かい部分ではそれなりの影響力を及ぼしはするだろうが、全体的な観点からとなると、こう判断される。
まぁ、来年の今頃は全く違ったことを言っているかもしれないが。歴史家は過去からしか判断できないし、本来、未来のことは守備範囲外だからと、逃げを打っておくことにする。
2011年5月28日土曜日
皐月三十日 福島原発の海水注入
東電福島第1原発1号機で、政府と東電が海水注入を55分間停止していたと説明していたことに対し、発電所所長の吉田昌郎が、自身の判断で注入を続けていたことを明らかにし、問題となっている。
問題のポイントは、まず、政府と東電が説明(というか注入停止についての責任のなすりつけ合い)していたことに対し、そもそも注入停止が行われていなかったとして、議論の根底を崩したという点にある。
次いで、こうした重要な問題が、現場の判断で行われ、指揮系統上部に対して長期間伏せられていたという点である。
前者については、まぁどうでもいい。既にボロボロになっている両者の面子がさらに潰されただけのことであり、対策そのものは正解だったと考えられている。
問題は後者だ。これでは、他にも隠した情報があると考えられても仕方がない。そもそも政府や東電の措置について批判されるのは、情報の公開が不充分であり、意思決定の過程や責任の所在が不明瞭であるというためである。今回の一件で、これがさらに深刻であることが明らかとなった。
僕が感じるのは、現場の後方に対する不信感である。そして、その結果生じる独善というものである。
ちょうど、昨年起きた尖閣ビデオと同じ構図であろう。上層部の判断に対し、異なる判断を下している現場が反発し、独断専行を行う。そして、全体としては現場の判断の方が正しいのだが、独断専行のため指揮系統は混乱する。
言うまでもなく、組織としては完全に落第である。政治というものは徹底的に結果だけが評価されるので、今回の一件も、結果オーライではある。が、これが常態化するようになると、関東軍の暴走がまた始まることになり、更に大きな失敗を生むことになる。
責められるべきは、もちろん独断専行した現場だが、一番の問題となっているのは上層部の無能であろう。現場の責任は上層部が問えるが、上層部の無能は誰が糺すのか?
戦前の場合、誰もそれを行おうとはしなかった。組織としての日本帝国は、意思決定や責任の所在が不明瞭なまま、戦争へと突入する。この当時、プレイヤーだった政府、議会、海軍、陸軍、天皇、重臣のいずれも、この問題を解決しようとはしなかったわけだ。
今は、プレイヤーは政府、議会、企業ということになろうが、戦前とは異なり、天皇と重臣に代わって、国民というものが入っているのではなかろうか。となると、国民には何ができるのだろう。
問題のポイントは、まず、政府と東電が説明(というか注入停止についての責任のなすりつけ合い)していたことに対し、そもそも注入停止が行われていなかったとして、議論の根底を崩したという点にある。
次いで、こうした重要な問題が、現場の判断で行われ、指揮系統上部に対して長期間伏せられていたという点である。
前者については、まぁどうでもいい。既にボロボロになっている両者の面子がさらに潰されただけのことであり、対策そのものは正解だったと考えられている。
問題は後者だ。これでは、他にも隠した情報があると考えられても仕方がない。そもそも政府や東電の措置について批判されるのは、情報の公開が不充分であり、意思決定の過程や責任の所在が不明瞭であるというためである。今回の一件で、これがさらに深刻であることが明らかとなった。
僕が感じるのは、現場の後方に対する不信感である。そして、その結果生じる独善というものである。
ちょうど、昨年起きた尖閣ビデオと同じ構図であろう。上層部の判断に対し、異なる判断を下している現場が反発し、独断専行を行う。そして、全体としては現場の判断の方が正しいのだが、独断専行のため指揮系統は混乱する。
言うまでもなく、組織としては完全に落第である。政治というものは徹底的に結果だけが評価されるので、今回の一件も、結果オーライではある。が、これが常態化するようになると、関東軍の暴走がまた始まることになり、更に大きな失敗を生むことになる。
責められるべきは、もちろん独断専行した現場だが、一番の問題となっているのは上層部の無能であろう。現場の責任は上層部が問えるが、上層部の無能は誰が糺すのか?
戦前の場合、誰もそれを行おうとはしなかった。組織としての日本帝国は、意思決定や責任の所在が不明瞭なまま、戦争へと突入する。この当時、プレイヤーだった政府、議会、海軍、陸軍、天皇、重臣のいずれも、この問題を解決しようとはしなかったわけだ。
今は、プレイヤーは政府、議会、企業ということになろうが、戦前とは異なり、天皇と重臣に代わって、国民というものが入っているのではなかろうか。となると、国民には何ができるのだろう。
皐月二十八日 研究進まず
研究が進まない……わけではないが、予定していたペースには遅れている。
原因は明らかで、仕事をしていないからだ。
どうも精神的活力が落ちているらしく、やる気が出ない……わけでもないが、出にくくて長続きしない。
仕事が終わって帰ってくると、酒飲んで寝る→3時間ぐらいして目が覚める→なんかゲームとかしているうちに夜が更ける→寝る→起床・仕事というサイクルになる日が結構ある。
このサイクル自体は、昨年ぐらいから起きるようになったのだが、これはこれで、一度寝てリフレッシュしてからもう一仕事、という感じもあって、それほど悪くなかったのだからして、まずいのは総合的な士気が低下しているという部分だろう。「なんかゲームとかしているうちに夜が更ける」の部分を変えればいいわけである。簡単に変わるなら苦労しないが、まぁ、この部分が努力の対象ということで。
で、進まないながらも、多少は進捗している。
あらためて、論文のゴールと章立てを確認してみよう。
論文の目的は、清代における財政構造の特徴を明らかにすることで、目標としては、官塩の供給と塩税の関係について検討を行うことである。
具体的には、清代中期ごろに官塩の供給量が人口の増減に対応しなくなり、また清代後期になって塩税の需要が高まると、塩の供給量の増加ではなく税率を高めることでそれに対応させようとするのだが、それはなぜかを明らかにする。
実際問題として、それは上手くいったのか? 上手くいかなかったとして、なぜ官塩供給量を増やすという、僕にはより合理的に思える手段を取らなかったのか? 清朝の財政構造は非常に硬直的に見えるのだが、塩政というカテゴリーにおいてもそれは見られるのか、見られるとして、それはなぜか? さらに、その硬直的に思える財政構造が、実際に存在していたとして、それは清滅亡後にどう変わったのか。あるいは変わらなかったのか。変わったとして、それはなぜか?
仮定と設問がやたら多そうだが、そのあたりは各節においてつぶしていくわけである。広東だけなら楽だったのだが、今回は中国全土というわけであり、中国の塩政は地域差が大きいことから、主要なものだけでも8つある行塩地それぞれについてチェックする必要があるので、かなりの作業量が予想される。というか、ものすごい作業量である。折れる心を継ぎなおしつつ、作業を進めるしかあるまい。
1.1. 各行塩地の塩引数の増減をチェック。
1.2. 各行塩地の塩引1道あたりの塩斤数を確認し、各行塩地の官塩供給量を把握。
1.3. 各行塩地の人口の増減を調査。
これにより、官塩供給量の調整が清代中期に停止したという知見が得られるはず。以下はその原因の検討。
2.1. 清代前期から後期にかけての塩税の推移を確認。税率が高まるはず。
2.2. 陶ジュや張謇ら、清代後期の改革を確認。
清代後期に入り塩税需要が増すと、塩税税率を高めて対応したこと、そしてそれを担保するべく官塩の競争力を強めようとしたが、非常に困難であり、特に張謇の改革は成果を出せなかったことを述べる。両者の違いは、改革時期もあるが、加えて各人の持つ強制力と改革対象の力の大きさである。
3.1. 民国初期の官塩供給量と人口、塩税税収の推移を調査。
3.2. 張謇やデーンが進めようとした改革を述べる。両者の違いは、背景に持つ強制力の違いであり、改革の方向性は大きくは異ならないはずである。
以上から、清代、そして清代の塩政を引き継いだ民国最初期の塩政は、非常に硬直的なものであり、それを崩すには外国列強による強制力が必要だったのではないか、ということが、今のところの結論となる。
壮大な話であるが、現在は1.1.の、それもいくつかの行塩地についての検討を進めているところである。
詳細な検討を終えているのは両広のみなのだが、やはり各行塩地の検証が行われていくと、各地独特の事情が見えてくる。
たとえば両浙では、太平天国の乱のため、清代後期になると塩引数などが一度リセットされる。清代を通して有力な開拓地だった四川は、比較的遅くまで小刻みな塩引数の増減が行われる。特に他の地域が海水から塩を生産するのに対し、この地では塩井からの生産になるので、新しい井戸が開かれたり、逆に結構井戸が枯れたりする。
他のいくつかの行塩地では、正塩の供給は乾隆年間ごろには固定化されるが、代わりに余塩の供給が増える。これは地域ごとの発給数などが厳密に定められた正塩とは異なり、比較的柔軟性が高くて、塩務官僚にとっては考課の対象となりにくいものである。
かつて塩務官僚が官塩供給量の増加を望まなかった理由として、財政的にその必要性が乏しかったことと、考課のハードルが高くなることを嫌ったことを挙げたのだが、その意味ではこういう余塩は扱いやすいはずである。
ま、こんな感じで行塩地ごとにじっくりとまとめていく必要があるわけである。次いで塩斤数のチェックなんかも必要だし、塩税とかは今の時点では考えたくもない。
多分、士気が高まらない理由の一つとして、どれだけの作業量があるのか掴めないということがあるのだろう。少しずつでも仕事が進めば、だんだん気分が乗ってくる……ことを望み、作業を進めることにする。
11月がデッドエンドらしいので、夏ごろまでには目処を立てておかなければならないのだが、なかなか大変そうな気がする。
原因は明らかで、仕事をしていないからだ。
どうも精神的活力が落ちているらしく、やる気が出ない……わけでもないが、出にくくて長続きしない。
仕事が終わって帰ってくると、酒飲んで寝る→3時間ぐらいして目が覚める→なんかゲームとかしているうちに夜が更ける→寝る→起床・仕事というサイクルになる日が結構ある。
このサイクル自体は、昨年ぐらいから起きるようになったのだが、これはこれで、一度寝てリフレッシュしてからもう一仕事、という感じもあって、それほど悪くなかったのだからして、まずいのは総合的な士気が低下しているという部分だろう。「なんかゲームとかしているうちに夜が更ける」の部分を変えればいいわけである。簡単に変わるなら苦労しないが、まぁ、この部分が努力の対象ということで。
で、進まないながらも、多少は進捗している。
あらためて、論文のゴールと章立てを確認してみよう。
論文の目的は、清代における財政構造の特徴を明らかにすることで、目標としては、官塩の供給と塩税の関係について検討を行うことである。
具体的には、清代中期ごろに官塩の供給量が人口の増減に対応しなくなり、また清代後期になって塩税の需要が高まると、塩の供給量の増加ではなく税率を高めることでそれに対応させようとするのだが、それはなぜかを明らかにする。
実際問題として、それは上手くいったのか? 上手くいかなかったとして、なぜ官塩供給量を増やすという、僕にはより合理的に思える手段を取らなかったのか? 清朝の財政構造は非常に硬直的に見えるのだが、塩政というカテゴリーにおいてもそれは見られるのか、見られるとして、それはなぜか? さらに、その硬直的に思える財政構造が、実際に存在していたとして、それは清滅亡後にどう変わったのか。あるいは変わらなかったのか。変わったとして、それはなぜか?
仮定と設問がやたら多そうだが、そのあたりは各節においてつぶしていくわけである。広東だけなら楽だったのだが、今回は中国全土というわけであり、中国の塩政は地域差が大きいことから、主要なものだけでも8つある行塩地それぞれについてチェックする必要があるので、かなりの作業量が予想される。というか、ものすごい作業量である。折れる心を継ぎなおしつつ、作業を進めるしかあるまい。
1.1. 各行塩地の塩引数の増減をチェック。
1.2. 各行塩地の塩引1道あたりの塩斤数を確認し、各行塩地の官塩供給量を把握。
1.3. 各行塩地の人口の増減を調査。
これにより、官塩供給量の調整が清代中期に停止したという知見が得られるはず。以下はその原因の検討。
2.1. 清代前期から後期にかけての塩税の推移を確認。税率が高まるはず。
2.2. 陶ジュや張謇ら、清代後期の改革を確認。
清代後期に入り塩税需要が増すと、塩税税率を高めて対応したこと、そしてそれを担保するべく官塩の競争力を強めようとしたが、非常に困難であり、特に張謇の改革は成果を出せなかったことを述べる。両者の違いは、改革時期もあるが、加えて各人の持つ強制力と改革対象の力の大きさである。
3.1. 民国初期の官塩供給量と人口、塩税税収の推移を調査。
3.2. 張謇やデーンが進めようとした改革を述べる。両者の違いは、背景に持つ強制力の違いであり、改革の方向性は大きくは異ならないはずである。
以上から、清代、そして清代の塩政を引き継いだ民国最初期の塩政は、非常に硬直的なものであり、それを崩すには外国列強による強制力が必要だったのではないか、ということが、今のところの結論となる。
壮大な話であるが、現在は1.1.の、それもいくつかの行塩地についての検討を進めているところである。
詳細な検討を終えているのは両広のみなのだが、やはり各行塩地の検証が行われていくと、各地独特の事情が見えてくる。
たとえば両浙では、太平天国の乱のため、清代後期になると塩引数などが一度リセットされる。清代を通して有力な開拓地だった四川は、比較的遅くまで小刻みな塩引数の増減が行われる。特に他の地域が海水から塩を生産するのに対し、この地では塩井からの生産になるので、新しい井戸が開かれたり、逆に結構井戸が枯れたりする。
他のいくつかの行塩地では、正塩の供給は乾隆年間ごろには固定化されるが、代わりに余塩の供給が増える。これは地域ごとの発給数などが厳密に定められた正塩とは異なり、比較的柔軟性が高くて、塩務官僚にとっては考課の対象となりにくいものである。
かつて塩務官僚が官塩供給量の増加を望まなかった理由として、財政的にその必要性が乏しかったことと、考課のハードルが高くなることを嫌ったことを挙げたのだが、その意味ではこういう余塩は扱いやすいはずである。
ま、こんな感じで行塩地ごとにじっくりとまとめていく必要があるわけである。次いで塩斤数のチェックなんかも必要だし、塩税とかは今の時点では考えたくもない。
多分、士気が高まらない理由の一つとして、どれだけの作業量があるのか掴めないということがあるのだろう。少しずつでも仕事が進めば、だんだん気分が乗ってくる……ことを望み、作業を進めることにする。
11月がデッドエンドらしいので、夏ごろまでには目処を立てておかなければならないのだが、なかなか大変そうな気がする。
2011年5月7日土曜日
皐月七日 『帝国の興亡』
GWは、正月に引き続き昔の大型ボードゲームをやった。今回は『帝国の興亡』。
7人集まったので、正規のシナリオでは動かないことから、千年紀のシナリオを無理やり実施することになった。
HRE@まさやん(ハンデ±0)
フランス@かずや(ハンデ+5)
ビザンツ@ヤス(ハンデ+10)
キエフ公国@僕(ハンデ+20)
デンマーク@もりりん(ハンデ+30)
ポーランド@電気屋(ハンデ+30)
ブルゴーニュ@nori(ハンデ+30)
というメンツである。
このシナリオは776年開始の1025年終了(だったと思う)。実際には、時間の都合で9ラウンド目、つまり1020年に終わった。
このゲームをやったのはずいぶん前のことになるのだが、その時には「不作」が連発して、ヤスが担当していたHREがひどいことになってたりした。
基本的にこのゲームは、運の要素がかなり強い。人為が運命の前に翻弄される中世という時代をよく表していると思うが、やっていてフラストレーションがたまることもまた事実である。
プレイヤーとしては一番危険性の高いヤスが、正月のシヴィライゼーションに続いて隣国となったわけだが、正月の時のような不毛な全面戦争は、今回は避けられた。
やはり危険性の高い電気屋は、国力が小さいことと、序盤のダッシュで失敗を繰り返したことから、僕にとっての脅威にはならなかった。
こうなると後背の危険のない(別シナリオだとモンゴルが迫ってくる最前線となるのだが)ロシアは、非常に気が楽である。とりあえずカトリックに改宗したり、マジャール人の出撃拠点であるハンガリーを抑えたりして、地味に過ごす。
HREは、史実通りシナリオ開始時点で、ドイツが本領なのにイタリアに手を伸ばしていることから、国内統治で大変なことになっている。
フランスはイベリア半島に向かい、レコンキスタを開始。正直な話、史実より簡単すぎる気がする。
両者に挟まれたブルゴーニュは、イタリアに向かうかイベリアに向かうか、二つの選択肢が与えられている。フランスが良い調子で勢力を伸ばし始めていたことから、noriはイベリアへの進出を決定。
デンマークは、スカンディナヴィアを固める一方、さっさとイギリスへと向かう。
このシナリオでは、北海のバイキングと西部地中海のサラセン海賊とがお邪魔虫となる。具体的には、ターン(25年単位)の初めに略奪を連発するわけである。
目標は、一番豊かな地域になるので、下手に内政を行って地味を肥やしたりすると、そこから狙われる。比較的攻撃力の弱いバイキングの場合、要塞化すると止まってくれるのだが、サラセン海賊の場合はほとんど不可能である。
結果、この地域をプレイするデンマーク、フランス、ブルゴーニュなどは、結構面倒臭いことになる(HREはイタリアを持っているのだが、基本放置するのであまり痛くない)。
西欧や南欧は豊かな地域が多いのだが、災害も多いのでなかなかに難しい。
途中、ブルゴーニュに外交9の化け物リーダーが登場し、フランスに折伏攻勢を浴びせることになった。
領内の随所に外交的介入を行う。たまたまこの時期のフランス王は外交2だったので、ほとんど抵抗できない。下手をすると、国土の半分ぐらいが離反しなけない危機的状況である。
何度か諸侯会談が持たれたのだが、正直なところフランスの方が地力が強いことはみんな承知しているので、外交9のブルゴーニュ公を疎ましく思っていても、フランス王へ肩入れする人間もあまり出ない。
さすがに外交的征服は却下するが、それ以外はおおむねブルゴーニュにとって満足すべき展開となる。
しばらくすると、フランス王も代替わりして外交9になり、不毛な外交戦争は終わることになった。
ゲームそのものは地味~に進み、最後の方で東欧を一気に抑え、ついでに上手いこと改宗と軍事のイベントカードを引き当てた僕が、あっさりと勝利した。もう1ターンぐらいあると、ヤスあたりが猛烈な勢いでラッシュをかけてきたはずだから、完勝という程のものでもない。
というか、長らくやっていないことから皆ルールを忘れてしまっており、ルールを把握している僕の方が有利なのは当然のことなので、自慢にできるようなものでもない。
正月にやったシヴィライゼーションと比べると、このクラスの戦略級ボードゲームとして考えると、こちらの方が運の要素が多い分、やや安易だなと感じる。もちろん、計算抜きでは勝てないことは間違いないので、運の要素を強調しすぎるのも片手落ちなのだが、どうも運の要素が目立って仕方ないというあたりが弱いところだ。
あと、古いゲームだから仕方がないのだが、不必要に煩雑で、徴税や反乱のチェックなどはもっと手軽にした方がプレイアビリティが高まることであろう。
7人集まったので、正規のシナリオでは動かないことから、千年紀のシナリオを無理やり実施することになった。
HRE@まさやん(ハンデ±0)
フランス@かずや(ハンデ+5)
ビザンツ@ヤス(ハンデ+10)
キエフ公国@僕(ハンデ+20)
デンマーク@もりりん(ハンデ+30)
ポーランド@電気屋(ハンデ+30)
ブルゴーニュ@nori(ハンデ+30)
というメンツである。
このシナリオは776年開始の1025年終了(だったと思う)。実際には、時間の都合で9ラウンド目、つまり1020年に終わった。
このゲームをやったのはずいぶん前のことになるのだが、その時には「不作」が連発して、ヤスが担当していたHREがひどいことになってたりした。
基本的にこのゲームは、運の要素がかなり強い。人為が運命の前に翻弄される中世という時代をよく表していると思うが、やっていてフラストレーションがたまることもまた事実である。
プレイヤーとしては一番危険性の高いヤスが、正月のシヴィライゼーションに続いて隣国となったわけだが、正月の時のような不毛な全面戦争は、今回は避けられた。
やはり危険性の高い電気屋は、国力が小さいことと、序盤のダッシュで失敗を繰り返したことから、僕にとっての脅威にはならなかった。
こうなると後背の危険のない(別シナリオだとモンゴルが迫ってくる最前線となるのだが)ロシアは、非常に気が楽である。とりあえずカトリックに改宗したり、マジャール人の出撃拠点であるハンガリーを抑えたりして、地味に過ごす。
HREは、史実通りシナリオ開始時点で、ドイツが本領なのにイタリアに手を伸ばしていることから、国内統治で大変なことになっている。
フランスはイベリア半島に向かい、レコンキスタを開始。正直な話、史実より簡単すぎる気がする。
両者に挟まれたブルゴーニュは、イタリアに向かうかイベリアに向かうか、二つの選択肢が与えられている。フランスが良い調子で勢力を伸ばし始めていたことから、noriはイベリアへの進出を決定。
デンマークは、スカンディナヴィアを固める一方、さっさとイギリスへと向かう。
このシナリオでは、北海のバイキングと西部地中海のサラセン海賊とがお邪魔虫となる。具体的には、ターン(25年単位)の初めに略奪を連発するわけである。
目標は、一番豊かな地域になるので、下手に内政を行って地味を肥やしたりすると、そこから狙われる。比較的攻撃力の弱いバイキングの場合、要塞化すると止まってくれるのだが、サラセン海賊の場合はほとんど不可能である。
結果、この地域をプレイするデンマーク、フランス、ブルゴーニュなどは、結構面倒臭いことになる(HREはイタリアを持っているのだが、基本放置するのであまり痛くない)。
西欧や南欧は豊かな地域が多いのだが、災害も多いのでなかなかに難しい。
途中、ブルゴーニュに外交9の化け物リーダーが登場し、フランスに折伏攻勢を浴びせることになった。
領内の随所に外交的介入を行う。たまたまこの時期のフランス王は外交2だったので、ほとんど抵抗できない。下手をすると、国土の半分ぐらいが離反しなけない危機的状況である。
何度か諸侯会談が持たれたのだが、正直なところフランスの方が地力が強いことはみんな承知しているので、外交9のブルゴーニュ公を疎ましく思っていても、フランス王へ肩入れする人間もあまり出ない。
さすがに外交的征服は却下するが、それ以外はおおむねブルゴーニュにとって満足すべき展開となる。
しばらくすると、フランス王も代替わりして外交9になり、不毛な外交戦争は終わることになった。
ゲームそのものは地味~に進み、最後の方で東欧を一気に抑え、ついでに上手いこと改宗と軍事のイベントカードを引き当てた僕が、あっさりと勝利した。もう1ターンぐらいあると、ヤスあたりが猛烈な勢いでラッシュをかけてきたはずだから、完勝という程のものでもない。
というか、長らくやっていないことから皆ルールを忘れてしまっており、ルールを把握している僕の方が有利なのは当然のことなので、自慢にできるようなものでもない。
正月にやったシヴィライゼーションと比べると、このクラスの戦略級ボードゲームとして考えると、こちらの方が運の要素が多い分、やや安易だなと感じる。もちろん、計算抜きでは勝てないことは間違いないので、運の要素を強調しすぎるのも片手落ちなのだが、どうも運の要素が目立って仕方ないというあたりが弱いところだ。
あと、古いゲームだから仕方がないのだが、不必要に煩雑で、徴税や反乱のチェックなどはもっと手軽にした方がプレイアビリティが高まることであろう。
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