2011年1月22日土曜日

睦月廿四日

久々に読書感想文。

鷲田小彌太『あの哲学者にでも聞いてみるか――ニートや自殺は悪いことなのか』祥伝社、2007.12

哲学にはトンと関心がなかった。今もない。philosophyの字義どおり、思考活動そのものを目的とする学問というのが、現実とどう接点を持つのか、理解できなかったからだ。
僕がやっている歴史学というヤツも、現実との接点の薄さは似たようなものかもしれないが、少なくとも僕が心がけているのは「今のこの世界は、どうして成立したのか」という問題意識を抱き、それを踏まえて研究をしようとしている。いやまぁ、その問題意識と研究とがどう接点を持てているのかとなると、また別の問題であると言葉を濁さざるを得ないわけだが。
閑話休題。この本は、サブタイトル通り、ニートや自殺をはじめとした今日的問題について、歴史上の哲学者に仮託して答えるというものである。いわゆる「なりきり」ものだ。
これが結構面白い。仕事人間であることの是非をマルクスに問う章では、マルクスが憤怒しながら答えて問答になっていないし、援助交際についてソクラテスに問う章では、「ああいえばこういう」式の議論で質問者をかえって悩ませるしと、こちらがステレオタイプに抱いている哲学者のキャラをうまく掴んで、かつそれなりに考えさせるようになっている。必ずしも結論を出さないのは、こうした問題には結論が簡単には出るものではなく、個々人の考えがその人にとっての(当座の)結論であるという観点から、この本が書かれているためだ。
大事なのは答えを出すことではなく、考えを深めることであるというのが哲学なのであれば、なるほど哲学にも価値があると思わせる内容だった。

最近はこうした本が結構増えている気がする。既存の学問が、その存在価値を問われるようになってきたが、それに対する応えの表れということだろう。
歴史学でそういう本を書く人は……あまりいないなぁ。
昔、W先生が、司馬遼太郎の著す歴史と、歴史学者の著す歴史について述べたことがあった。歴史畑の人間も含めて、誰もが司馬遼太郎の本の方が面白く感じて、歴史書を読まないというわけだ。ゆえに歴史家としては、司馬遼太郎の本よりも面白い歴史書(もしくは歴史小説)を書くべきだということになるわけだが、現実については言うまでもあるまい。ままならんものである。

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