2011年1月25日火曜日

睦月廿五日

一昨年、鳩山由紀夫が首相になった時、僕は彼に対して何の期待もしていなかった。
結果は見ての通りで、近代日本政治史上、指折りの無能宰相として辞任した。
僕が彼に対して期待していなかった理由は、彼が民主党の幹事長など要職を務めていた間に、何の実績も挙げられなかったなかったためである。
こと首相になってからの彼の評価としては、「悪い意味での理想家」ということになろうか。
理想を語るのは、トップとして大いに結構なのだが、現実を見ず、また現実へのすり合わせを行おうともせず、宰相としての権力の身を行使しようとすると、酷いことになる。
どう考えてもバカではなかろうかとしか思えないのだが、これでも東大出でスタンフォードでPh.D.を取っている。専攻はORだそうで。最近、リポジトリ関係の仕事をやっていて、政治における意思決定などを対象とするゲーム理論関係の論文を見ると、微苦笑をぬぐえない。
つまるところ、自分の知識や才覚を、現実に適用できない人物ということだろう。そうした点については僕自身も大きな口は叩けないが、個人が自分の能力をどう扱おうと自由だが、公人がそれをやるとシャレにならないことがある。そういうことだと思う。

菅直人については、評価すべき実績としては厚生省の薬害事件があるが、これはトップとして組織をまとめ、成果を出させるという本道からそれた、壊し屋としての業績である。それはそれでおろそかにはできないが、これだけが業績となると、能力の方はどうだろう。やはり民主党のトップとしては、大した結果を残せていないし。
そう思いつつ、ここ一年ほど眺めてきたわけだが、ある程度の評価が定まってきた。
つまり、「悪い意味での現実主義者」である。
その時その時の風を読んで妥協を行い、現実とすり合わせて結果を出そうとするわけだが、大きな目標を定める理想というものがないため、まったく腰が据わらない。文字通り右往左往して、まったく進んでいないどころか後ろに下がっているんじゃないかと思えてくることもある。
そうしたわけで、鳩山とは違った意味でバカにされるわけである。妥協というものは、それを行った人物の評価を少しばかり押し下げる。普通は妥協を行ったことで獲得した成果により、下がった以上の評価を獲るわけだが、成果が出ていないのでは仕方がない。

チャーチルは、優秀な政治家に必要なものとして、「将来何が起こるかを予言する能力」と「予言が当たらなかったとき、なぜそうならなかったのかを説明する能力」とを挙げたそうな。
確かに大事なことだと思う。自民党の公約にせよ民主党のマニュフェストにせよ、実現するものは多くはない。単純に力不足で為し得なかったものから、現実を直視するととてもきれいごとを言っていられなくなった(かつての社会党が陥った状況だ)ことまで、さまざまである。
問題は、なぜそれを実現できなかったかを説明し、その代案を提示することであろう。
僕が見る限り、民主党政権になってからもっとも欠けているのがこの点だ。

例えば福祉問題などは、「少ない税で多い福祉」というのが国民の要望だ。低成長の社会においては、言うまでもなく実現不可能な話である。「少ない税で少ない福祉」(小さい政治)か「多い税で多い福祉」(大きい政治)のどちらかしかあり得ない。(「中ぐらいの税で中ぐらいの福祉」というのも可能性としては挙げ得るが、議論を進めるのに何のメリットもないので捨象する。小さい政治だろうが大きい政治だろうが、実現する際には一定の妥協が行われ、ある程度は「中ぐらい」になるためだ)
どちらかを選べといわれ、ここ数年の大きな流れは、「大きい福祉」のためには「大きい税」(消費税増税)もやむを得ないという方向に流れつつあるようだ。
ならば増税すればいいわけだが、民主党は増税はしない、もしくは政治から無駄を削った上で行うと主張した。それが例えば「仕分け」や「埋蔵金発掘」として現れたわけである。
少し考えれば、仕分けで幾ばくかの無駄を省いたところで、消費税を数倍にするだけの効果を見込めるわけがないということぐらい、わかりそうなものである。まして、使えば減るだけの埋蔵金から、経常的に必要とされる福祉予算を割り当てられるわけもあるまい。
が、そうした行為は政治的には意味があったと僕は考えている。財政的には無意味だが、国民に対して、「我々はこうも頑張っているのです」というパフォーマンスを行うことは、将来的には行わざるを得ない増税という不人気な政治的アクションを行うのに、少しでも抵抗を減らす程度の効果は見込めるためだ。要するに、エクスキューズを作るためというわけである。
で、仕分けや埋蔵金では、やはり福祉予算は出ない。マニュフェストは実施できないわけだが、そこで国民に対して頭を下げ、「すみません。色々やってみましたが、やはりお金が足りません。今後も政治から無駄遣いを減らすべく努力を続けはしますが、どうしても必要な分だけは増税させてください」と訴えかける(他にも色々な政治的術策は弄するべきだろうが、そこは専門家に任せるべきだろう)。
で、増税を行う。その評価は次の選挙結果となって現れる。

と、政治には素人の僕なんかはそうするものだと思うわけだが、どうも菅首相の動きをみていると、仕分けや埋蔵金で何とかなると本気で思っていたのか、あるいは他に理由があるのか、そのままごり押しで増税しようとしているようだ。
党内は小沢問題で混乱中。野党との協議も、妥協に必要な材料を示さないのだから成立するめどは立たず、国民に対して頭を下げるという政治的レトリックすら行わない。
これでどうするつもりなんだろうか?
妥協に妥協を重ねれば、当座の問題は回避できるかもしれないが、その場合、おそらくほとんど成果を残さないことになる。で、妥協を行った相手以外からの不満は確実に高まる。
それこそゲーム理論の世界の話だが、いま菅が採っている政治的戦術方針をそのまま続けると、ほとんど点数を得ることなく、他のプレイヤーからの不満ばかり買うことになる。
冗談抜きで三月総辞職になりかねない。総選挙はとても行える状態じゃないから、自民党政権末期みたいな状態がさらに続くことになる。

他人事だったら笑える話だが、一応僕も日本というチームのプレイヤーの一人であり、他人事じゃないので笑えない。
どうなるのかねぇ。

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