2011年1月20日木曜日

睦月廿日

なお、今回の記事はやたら長いうえに内容がない。一応警告まで。


別に第二次大戦期に限った話ではないが、ある程度歴史やら戦史やらを齧った人間なら、ifに関心を持つようになる。
言うまでもなく、歴史にifを持ち込むのは禁じ手である。なぜかというに、何ら生産的ではないからだ。
ただしふたつの例外がある。ひとつは「可能性を検討する」というもの。これは歴史学でもアリとされている。
例えば日本の鎖国を評価するのに、「もし鎖国しなかったなら」というifを設けて思考実験を行うことは、それなりに有意義である。肯定否定それぞれの評価が下されることになるが、鎖国した時期及びその前後の日本(と世界)を検討するのに有用な役割を果たすことになろう。
もうひとつの例外は、はなっから有益かどうかを考慮せず、単なる妄想を楽しむ場合。妄想なんだから生産的であるかどうかは問題外である。

いわゆるシミュレーション小説・ゲームなどにおいては、後者が重視される。シミュレーションという意味では前者を重視しても良いはずで、古典的なシミュレーションゲームでは比較的こちらを重視する(おかげでゲーム性に問題が出ることも往々にしてあるが、ここでは措く)のだが、エンターテイメント性の強いゲームでは、あまり問題としない。特に昨今のゲーム業界では、前者を重視するタイプのゲームは、覿面にクソゲー呼ばわりされること必定である。
まぁ、シミュレーションそのものを楽しむことは、想像力や知識などの面においてかなりの水準が要求されるので、こちらを重視する勢力が相対的に少数派たることは仕方ないのだろう。


さて、ここまでが前置き。
年末ぐらいから色々と蔵書の電子化を進めてきたわけだが、佐藤大輔の小説なんかも大半を電子化し、久しぶりにそれらを読んでいた。
で、僕も妄想してみようと思ったわけである。

お題は、「太平洋戦争で日本が戦術的勝利を収め続けた場合、どうなるか」。
開戦時点で日本に勝ち目がなかったことは、この分野に少しでも関心のある人間なら常識の範疇に入るであろうが、それはどこまで捻じ曲げられるだろうか。
実を言うと、hoi2の架空シナリオを作るためのネタである(本当に作るかどうかはまた別の話)。「なんかの間違いで日本が勝ってしまった世界」で、1940年代後半から50年代前半ぐらいからゲームを始めるとしたら、どういう設定が必要になるかを考えてみたわけだ。

定番としては、ミッドウェーで日本が負けたというのがある。
繰り返すが、大戦略というレヴェルでは、日本はすでに負けているのだが、そこは目をつぶっての話である。
しかし大戦略的環境(日本の総合的な国力)を無視するわけではない。
ゆえに、ミッドウェーで「運命の30分」とやらをもみ消すこととしても、当時の日本海軍の状態からして、その次かそのまた次あたりで大敗北を喫するはずと考える。ミッドウェー海戦で敗北したことはある意味偶然の産物だが、1942年中ごろ(遅くとも後半)に日本が大きな敗北を喫することは、ほとんど必然と考えていい。戦略目標の欠如、情報への関心の低さ、戦力回復能力の低さ、軍上層部の慢心などを考えると、他の結論は出ない。

そこで、南雲司令長官には一足先にミッドウェーを味わっていただく。
具体的にはミッドウェーの二か月前、セイロン沖海戦にて、イギリス軍の空襲が「偶然に」成功し、甲板に飛行機を並べた《赤城》は大破し、第一航空艦隊司令部は機能を停止する(南雲と源田は重傷、草鹿は戦死の判定)。
ちなみに史実では空襲はあったものの、機数が少なすぎ、攻撃機の能力も低すぎて被害はなかった。逆に、一発入ればミッドウェーと同じことになった可能性もあった。
こうして、以降は南遣艦隊司令長官の小沢治三郎が指揮を執る。そして作戦後、その時点で南遣艦隊は概ね任務を終えているため、小沢はそのまま一航艦長官へ横滑りするものとする。史実だと小沢はこの年の11月まで南遣艦隊の指揮官で、それから第3艦隊司令長官に転出するのだが、半年ばかり早まるわけである。

で、ミッドウェーだが、《赤城》が失われたため、アリューシャン攻略は中止され、4航戦の《隼鷹》・《龍驤》が参加する。
展開そのものは同じになるが、ミッドウェー第二次攻撃用の爆装が行われた状態で敵機動部隊を発見した時、山口多門だけでなく同じくらい戦闘的な角田覚治からの意見具申により、南雲よりは航空戦における時間の重要性を感じている小沢は、航空隊を出撃させる(逆に航空戦に通じているがために、正規の装備を整えることを重視する可能性もあるが、そちらは黙殺する)。
もちろん空襲を受けるわけで、そのために《赤城》の代わりの位置にいた《隼鷹》と、《加賀》・《蒼龍》は中破する。が、誘爆は起きないので、ある程度の復旧は見込まれる。
そして爆装した攻撃隊は《エンタープライズ》・《ホーネット》の甲板を叩き、一時的に発着不能とする。
そして《飛龍》・《龍驤》搭載機を中心とする第二次攻撃隊により、《ヨークタウン》大破(のち潜水艦攻撃で沈没)。
結局、空母戦力の消耗を鑑みて、スプルーアンスは撤退を決意し、ミッドウェーは本隊到着を以て占領される。

以上が妄想上のミッドウェー海戦である。この結果、一時的に太平洋から米軍の空母戦力が消滅することになり、日本軍はFS作戦を実施、また米軍はガダルカナル上陸に始まるウォッチタワー作戦を順延することになる。
また、空母の攻撃力と脆弱性を鑑み、改マル5計画においては、改飛龍型(のちの《雲龍》型)ではなくて甲板装甲を有する改大鳳型およびG14型の建造に集中することになる。

FS作戦は、大小の海戦を繰り返し、それなりの損害を受けながらも順調に進み、42年末には完遂される。
しかし、米豪分断というFS作戦の目的は達成されない。やる気になっている連合国がオーストラリアを手放すわけがないのだ。

で、 43年は、南太平洋においては数次の大規模海戦が行われ、またポートモレスビー攻略作戦も進行する。イニシアティブを失うことが敗北への転落を意味すると承知している山本五十六は、かなりの損害を出しつつも攻勢を続け、隔月建造の勢いで空母を投入する米軍も、戦力の逐次投入の愚を承知しながらも部隊を展開し、出血を続ける。
こうして8月にはポートモレスビーも陥落するが、陸軍は伸びきった戦線を維持するため、ビルマ方面から戦力を引き抜くことを余儀なくされる。
また、9月にはイタリアが陥落し、ヨーロッパの戦局が改善するため、オーストラリアは講和に応じない。
艦隊を動かす重油がほぼ払底してしまった日本海軍は、別の方向からオーストラリアを屈服させるべく、連山を戦略爆撃機として用いるため開発を急がせる。また、航空戦力の消耗の激しさを補うため、ドイツが降伏したイタリア艦艇に用いた対艦誘導兵器の入手に腐心するようになる。
燃料の底がついた日本軍と戦力を損耗させてしまった米軍のどちらも、43年の後半は活発には動かなくなる。
なお、10月にはミッドウェーを奪還される。どのみち兵站が続くわけがないので当然である。同様にフィジーやサモアも放棄が決定される。連合艦隊は嫌がるだろうが、無い袖は振れない。
ちなみに、連合軍潜水艦による通商破壊戦は、史実と同様の展開である。つまり、ちまちまと攻撃を受けている。ガダルカナルの大消耗がないので、損害そのものは低いのだが、兵站が伸びている分、攻撃される可能性も増えているためだ。こうして11月には海上護衛総司令部が設立されるが、兵站が伸びている分、史実以上に苦労の多いことになるだろう。

日本が戦争のイニシアティブを失い、米軍の反攻が始まるのは44年が明けてから。
それを予想していた日本軍は、こつこつと蓄えてきた燃料備蓄を取り崩し、マーシャル沖での迎撃戦に挑むが、この時点で戦力バランスは米軍の方に傾いており、4月にはマーシャル諸島を失うことになる。史実より、約半年遅れというところか。
なお、ミッドウェー喪失の時点で島嶼防衛の重要性に気付いた日本は、マーシャルの防備に取り掛かったのだが、間に合わなかった。引き続きマリアナ諸島の防御に力を入れることになる。
なお、7月にはドイツの機密資料を多数積み込んだ《伊29》が日本に到着する。史実では台湾海峡付近で沈没しているのだが、まだ日本がマリアナ諸島やフィリピンを抑えているため、米軍潜水艦の攻撃は史実ほど深刻ではない。
なお、中国戦線では史実通り一号作戦(大陸打通作戦)が実施されている。大陸からのB29空襲は、やはり一定の脅威ではあったためだ。が、インパール作戦は行われていない。ビルマ方面の戦力がニューギニア方面へ引き抜かれていたため、守勢を保つことが肝要(というか他に方法がない)であると、ビルマ方面の指揮官だった牟田口廉也が考えていたためである。

米軍は数か月の準備を整え、ラバウルとトラックの航空戦力を叩いたうえで、サイパン上陸を狙う。
10月、史実より5か月遅れで行われたマリアナ沖海戦は、双方の海上戦力をすり潰すような激戦となる。が、このころまで何とか高い練度を有していた日本の航空戦力と、試験的に投入された対艦誘導弾「桜花」(ドイツのフリッツXの改良型)などの活躍もあり、かろうじて米軍を追い返す。ちなみにこれまでの消耗もあり、米軍機動部隊は史実ほどの陣容を擁してはいない。

上陸部隊を壊滅させられ、ニミッツは解任はされなかったものの、大きく発言力を減じることになる。代わりにニューギニア、フィリピン方面への攻勢を主張するマッカーサーの立場が強化される。
またルーズヴェルトは44年末の大統領選には勝利するが、史実ほどの圧倒的優勢ではなく、むしろ僅差の勝利といえる結果だった。

11月には日本軍はガダルカナルを放棄する。また2年半にわたって空母戦力を率いてきた小沢は軍令部次長に転任し、後任には中将に昇進した山口多門が就くことになる。
こうして45年を迎えた。

連合艦隊の主力は大きく戦力を減らし、これまで極力消耗戦を避けてきた航空部隊の練度もそろそろ低下しつつある。燃料不足も大規模戦闘の度に備蓄を失うので、充分とは言いかねる状況にある。
空母による殴り合いをなるべく回避するため、マリアナ沖でなかなかの成果を上げた対艦誘導弾の開発に力を入れることになった。マリアナ沖で投入された桜花11型は無線誘導で、着弾まで追随する必要があったため、VT信管付き対空砲弾を投入するようになった現状では損害が大きすぎた点が改良の要である。
かくして、国内で研究がすすめられていた赤外線誘導装置を搭載し、また搭載母機を一式陸攻から銀河に変えた22型が開発され、さらに開発は完了したものの使い道を失って宙ぶらりんだった連山に搭載する32型なども開発された。
赤外線誘導は母機が危険にさらされないというメリットがあるが、細かい誘導が出来ないというデメリットもある。強い赤外線を発する標的を狙うので、特定の大型艦に攻撃が集中してしまうのだ。時速800㎞で突っ込んでくる1.2トンもの弾頭の力をもってすれば、空母なら2発も喰らえば戦闘力を失ってしまうので、それ以上は無駄である。戦艦に対してはあまり効かないだろうけど。
いくら桜花の生産が簡単であるとしても、数を作るのはかなりの手間が必要であることも問題だった。いまだ国内が安泰なため、研究能力も十全を発揮できてはいるが、それでもこの時期の日本には手に余る代物だった。

が、アメリカの方も頭を悩ませていた。確かに日本海軍の力は減じつつあるのだが、決定的な差が出来ない。個々の戦闘において痛み分けに近い結果が続くため、総合力に勝るアメリカが最終的に勝利することは疑いない。
しかし、そこに至るまでの損害が問題となっていた。この時期、ヨーロッパ戦線はほぼけりがつく状態になっており、ドイツの降伏は時間の問題だった。
一方で太平洋戦線は思うようには進んでおらず、大統領と海軍が批判される結果になっていた。

ニューギニア攻略と次のフィリピン攻略へと歩を進めるべく2月より行われたラバウル・ポートモレスビー攻略戦では、連合艦隊総力と桜花を装備した連山の群れが、再建を果たした米軍に襲い掛かり、双方が壊滅的な損害を出した。
だが、桜花をまとめて喰らった米空母は、いかに間接防御力を発達させたエセックス級であってもまず沈んでしまう。一方で、《大鳳》・《信濃》などの重防御空母を前衛においた日本側は、戦力的には劣勢でもかなりの攻撃に持ちこたえるし、また戦闘後の回復も比較的早かった。が、それ以外の従来型空母はほとんどその姿を消していた。
凄惨な流血の末、3月にラバウルが、そして6月にポートモレスビーが陥落し、ようやくオーストラリアの脅威を除いてフィリピンへの道を開いたのだが、まだマリアナは戦力を保持している状態だった。つまり、史実より1年遅れていることになる。
それでも、逆に言えば1年かけてマリアナ・フィリピンを攻略すれば、日本本土への空襲や潜水艦攻撃を行うことが可能となる。いや、連合艦隊がほぼ戦力を喪失していることを考えると、それより早いかもしれない。

が、そうした見込みは、別の方向から崩されることになった。
2月に行われたヤルタ会談で、ドイツ降伏後に参戦することが決まっていたソ連が、史実通り8月9日に参戦し、満州を席巻した。
千島列島への攻撃は、再編中の日本海軍によって大打撃を受けて失敗したが、関東軍は後退を続けることになった。
日本軍は虎の子の連山を兵站攻撃に投入し、ソ連軍の前進を遅らせようとしたが、日本陸軍の再配置が完了し、ソ連軍の勢いを抑えることに成功した9月の時点で、朝鮮半島北部、そして山海関以北は全て喪失していた。

ここで、日本は連合国との講和への動きを本格化させた。
正確には、ラバウル失陥の責任を取って総辞職した東條内閣の後任となった鈴木貫太郎は、比較的早い時点から和平の可能性を探っていたのだが、連合国の対応は芳しくはなかった。
また日本側も7月に出されたポツダム宣言を、表面的には黙殺していた。
だが、ソ連の参戦を受け、事情が変わった。
ソ連に対して比較的宥和的だったルーズヴェルトが4月に死去し、後任となったトルーマンは、ソ連の勢力拡大を懸念していた。
このままでは、一年をかけて日本を屈服させる前に、ソ連の手で降伏しかねない。そうなると後れを取ってベルリンを奪われたドイツの二の舞となる。
チャーチルの後任となったアトリーも、ソ連の勢力拡大を望まなかった。
さらに、アメリカ国民がこれ以上の犠牲を望んでいなかった。

かくして、45年12月24日、ソ連を除く連合国各国(代表として米英仏蘭中)と日本との間で、オアフ停戦条約が調印された。条件は、南洋諸島を除く第一次大戦での獲得領土・中国からの獲得領土の返上、満州国解体、朝鮮独立。つまり、日本が日清戦争以降に築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄する。ハルノートよりさらに踏み込んだものである。
そして翌46年2月15日、ソ連をはじめとするオアフ条約非調印国を含めたウラジオストク停戦条約調印。こちらで焦点となったのは、北半分を占領された朝鮮半島の扱いだった。将来的な朝鮮の独立を約束するが、暫定的に朝鮮半島における38度線を分割ラインとし、北側をソ連の所轄、南側を日本の所轄とする。将来的には統一し、信任統治を行う方針で合意。

こうした和平に対し、米軍の一部と中国政府では抵抗があった。特に国民党政府は日本の軍事力に制限を加えるよう求めていた。
が、アメリカ政府では対日から対ソへ仮想敵をシフトさせていたことと、大戦中の国民党政府のふがいなさと腐敗に愛想を尽かしており、かつ中国側もろくな人脈を持っていなかったことから、大きな発言力は持たなかった。また、どのみち制限するまでもなく、日本の軍事力はしばらく回復しそうにないと判断されていた。
なお、中国共産党は特に抵抗することもなく停戦を受け入れている。彼らは次の内戦へ目を向けていたためだ。日本が影響力を失い、連合国の手も届かないのであれば、ソ連からの潤沢な支援を受け取れる彼らの方が圧倒的に優勢である。

そして日本は、戦争に敗北しなかった。国家の存亡を勝利条件とするなら、むしろ勝利したといえる。
が、国内から崩壊しそうな状態だった。
多数の熟練労働者を徴兵された産業は体力を失い、また生産の内容も軍需産業へ偏りすぎていた。
植民地もすべて失ったため、資源の安定供給も見込めない。
四年を超える総力戦を戦い抜いた軍は、特に海軍は壊滅状態だった。
開戦前に600万トンに達していた商船団は半減していた。

差し当たり200個近い師団を動員していた陸軍は、十分の一以下にまで縮小する必要がある。
だが海軍の方は、特に問題ない。何せフネが残っていないから。
最後まで生き残った大型艦は、戦艦は《大和》・《武蔵》。空母は《翔鶴》・《瑞鶴》・《加賀》・《大鳳》・《海鳳》・《蒼鳳》・《信濃》。いずれもかなり損傷しており、長期の整備が必要となっている。特に老朽化した《加賀》は、解体した方が早いかもしれない。なお、改大鳳型が1隻、G14型が2隻ほど建造中だったが、いずれも資材不足のため工事は進捗していない。
重巡や軽巡はほぼ全滅している。すり潰されてしまったのだ。
駆逐艦も似たようなもので、戦前からの特型や甲型はほぼ姿を消している。秋月型や松型ばかりである。
潜水艦もほぼ壊滅。
大戦中盤からの海上護衛戦の主役だった海防艦などは多数残っているが、その大半は戦時急造型で、戦争が終われば予備艦となるか解体される運命である。

まとめてみると、確かに日本は生き残ったのだが、軍事大国としては生き残りようがない状態になっていた。
まぁ、植民地が無くなったので陸軍は必要なくなったが、海上交通路の覇権を争うべき海軍は、その根幹は残ったにせよほぼ一からの再建が必要となる。
太平洋の覇者となったアメリカが日本に対して特に好意的になる理由はないので、これからの日本は、史実以上に苦しいことになるであろう。
これまでの方法ではどうにもならないし、「勝てなかった」軍の発言力もかなり損なわれてしまっているので、これから当分の間は通商と外交で生きていくしかなさそうである。
加えて、おそらくは民主主義と共産主義の影響力が強まるはずである。

だが、アメリカの方も手放しでは喜べない。結局、「海軍の戦い」では日本に勝てなかったわけで、「陸軍の戦い」でドイツに勝利したことと比較されると、どうしても海軍の発言力が見劣りすることになる。
また、そもそも日本と争うことになった原因のひとつだった中国への権益は、戦争を終えても手に入らずじまいだった。むしろ、戦争末期になって参戦してきたソ連の影響力が増す結果となっている。

かくしてスターリンが漁夫の利を占めることになった。東アジア方面において、史実よりもより強力な立場を持てたためだ。朝鮮半島南部には日本が影響力を有する朝鮮人民共和国(史実ではすぐに消滅した。大韓民国の母体の一つ)が発足したが、親日・親米両派の争いや共産主義勢力の伸張などにより、あまり頭を悩ませることはないだろうと考えられる。
中国についても、近い将来、中国共産党による勝利がもたらされることだろう。


……とまぁ、こういう感じである。ちなみに世界中が民族主義のうねりに巻き込まれだす50年ごろに「ドイツ戦争」が起きて、東西が第三次世界大戦へと突き進む予定である。
日本はどちらからも距離を置く立ち位置にいるので、表向きは蚊帳の外、その裏側では戦時中から培ってきた親日民族主義勢力への支援を行い、東南アジアの独立を支援することになるかもしれない。
そういうふうに表現すると悪くなさそうだが、肝心のカネがないのが問題となる。史実と異なり、西側ブロックの金融力を当てにすることはできないためだ。
下手をすると、貧乏なまま共産主義革命が起きるかもしれない。

いずれにせよ、ひどいものである。文字通りの「火葬」戦記といえる。国土そのものはあまり酷いことにはならなかったが、連合艦隊はほとんど燃え尽きてしまった。たぶん、史実の日本より悪い状態で戦後という時代を歩むことになるのではなかろうか。史実とは異なり、西側からも東側からも嫌われている状態なので。
うまくいったとして、軍部独裁体制から民主主義へのゆるやかな路線転換。悪い場合は共産主義革命。もしくは軍部による反クーデタ。後者の方が悪いかな。
もちろん、第三次世界大戦が飛び火してキノコ雲がたつというデッドエンドもあるが、まぁそれは仕方がない。人類滅亡みたいなものだし。
ただ、1949年に核実験に成功したソ連が、1950年代前半において、日本にまで核攻撃を仕掛けられる可能性はあまり高くなさそうだ。

こういう妄想はやってみると結構楽しいものだが、妄想以上のものではないことを強く感じるようにもなる。何せ、ある程度真面目に検討すると、ほとんどの場合史実より悪い結果になる。
考えてみれば当たり前の話で、現実だと必ず起きる「都合の良い偶然」は起きず、「都合の悪い偶然」は概ね起きる。前者は記録上存在しないが、後者は記録上存在するのでこうなるのは仕方がない。
また、現実において様々な戦略を立て、戦術を遂行していた人々は、僕よりもはるかに高い能力を持った人々である。例えば今回、米軍の反攻戦略を史実のそれに近い「飛び石戦略」で組み立て、史実よりも強力な抵抗を受けたことにより失敗させて、マッカーサーの陸路戦略に切り替えさせたが、本職の高級参謀たちなら別の戦略を立てていたかもしれない。ポートモレスビーやラバウルをいちいち占領せずに無力化するにとどめ、フィリピンをまっすぐ狙うとか。
アメリカが対日勝利をあきらめた理由として、米軍の進行速度の遅さと損害に比してソ連の侵攻が速やかだったことが挙げられるが、45年初めごろまでにフィリピンの制海権を握れば、日本の海上交通路は干上がってしまう。マリアナ諸島を攻略せずとも、日本を降伏に追い込むこともできたかもしれない。

このように妄想の上に妄想を重ねて出来上がった仮想世界にKaiserreichなんかがあるが、ああいうのはなかなか大変なものだと思う。
こちらもこの妄想世界をさらに推し進めて第三次世界大戦にまで持っていければ良いのだが、まぁそれまでに飽きてしまいそうだ。

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