2011年3月13日日曜日

弥生十三日 福島第一原子力発電所

地震直後の段階では、「死者が1000人を越えることはないと思う」と書いたが、どうも二桁ほど間違えたらしい。確かこの時点では死者がまだ百人ちょっと程度確認されたという状況だったと思う。
阪神の時にも、時間の経過と共に死傷者数が跳ね上がっていったことを思い返せば、そんな程度で済むわけはないというべきか。
正直なところ、関東や阪神の震災の時と異なり、大都市圏以外の地域で起きる地震で、これほど人が死ぬとは思わなかった。が、二万人以上の死者を出した明治三陸地震の時のように、この地方では津波による死者が多発しやすい。都市型の地震では建物が火災を起こしたり崩れたりすることで死傷者が出るが、沿岸部の場合は津波によって丸ごとやられてしまうという訳であろう。

さて、どの程度の人的被害が出るのだろうか。ちょっと想像が付かない。


昨日から今日にかけては、福島第一原発の状況がどうなるのかが関心の集まるところだった。
現状から見ている限り、国際原子力事象評価尺度でいうLv6、つまりスリーマイル島事故より酷いものになるのではなかろうか。
廃炉覚悟で海水を注入することで、格納容器外への被害を出さないようにする(格納容器が壊れるとLv7──チェルノブイリクラスとなる)わけだが、おそらく随所にひび割れなどが出来ているのだろうが、冷却水の水位を維持できないでいる。
現在出ている放射性物質は、冷却水が不足し、一次冷却水から生じた水蒸気が気密を破って出たためのものだ。気密を破ったのは、格納容器損壊を防ぐための窮余の一策らしいので、これはある意味覚悟の上でのものであり、作業側のコントロール範囲である。つまり、あまり心配は要らない。

僕が心配している問題はみっつある。
ひとつは、コントロールできなくなった場合。冷却水の供給が不可能となり、メルトダウンが起き、格納容器が壊れてチェルノブイリの地獄が再現された場合である。
言うまでもなく、最大の努力を払って食い止めようとしているのはこちらだ。そして、おそらくそれは可能だろう。海水の供給という最後の手段を打てる限り、冷却状態はかろうじてではあっても食い止められれる。

で、もうひとつは、上の過程において、どの程度の被曝が生じるかという点である。これはさらに二つに分けられる。ひとつは、圧力を逃がすために追加の蒸気放出が行われる事によるもの。主な被曝者は民間人となる。人体に対する放射線の影響は、「一般公衆が一年間にさらされてよい放射線の限度」として1ミリSv。スリーマイル島事故の時には、周辺住民の被曝量は1ミリSv以下だったらしいから、逆に言えばスリーマイル島事故程度の被害であれば、問題ないと考えて良いだろう。
で、もう一方は作業者の被曝。毎日新聞の記事によると、13日13時52分には1557.5マイクロSv(つまり1.5575ミリSv)の線量を確認しているそうな。どこで計測されたものか記事には載っていなかったが、おそらく容器のすぐ外あたりだろうか。これはすぐに下がったので、一時的に水蒸気が漏れたかどうかしたためだろう。
先ほどの被曝許容量の表によると、放射線業務従事者が一回の作業で曝されて良い線量の上限は100ミリSv(ちなみにX線CTによる被曝量は一回7~20ミリSv)。一年間なら50ミリ、三ヶ月なら5ミリ程度となるが、長期間の作業であれば交代も効くのであまり問題はない。
もっとも、一日あたりを考えると、三ヶ月許容量から単純に換算すると56マイクロSv、年間許容量だった場合でも137マイクロSvとなり、その意味では宜しくない(言うまでもないが、作業員が交替をしない場合であり、現実的にはあまり意味がない計算である)。
詰まるところ、現状程度の被曝であれば、長期間続くことが無く、適切に交替出来るのであれば問題ないといえる。もちろん、これ以上原子炉の状況が悪化しないという前提だが。
ただ、ここに至るまでに、無理な作業をしていないかどうかが気になる。していないと祈りたいところだが。

みっつめは、事後の問題である。果たして、原発に対する国民の意識はどうなるのだろうか。地震以前の時点で、すでに好感情は抱けていないという状況だった。スリーマイルの時には、この事故のためにアメリカにおける原発建設は中断を余儀なくされた。
日本の場合、東海村の事故などがあったが、あれはあくまで作業員の不手際によるものである。ヒューマンエラーに依らない今回のような災害は、ある意味防ぎようがない。こんな地震は百年に一度だの千年に一度だのというセリフは、原発が置かれた地域の住民にとっては何の慰めにもならないだろう。
電力は必要だが、原発は置けない。今回の災害で福島第一原発は幾つかの炉が廃炉となるが、その跡地に新設できるのだろうか?
よほど上手くやらないと、後始末の方が大変なのでは無かろうかと思うわけである。

2011年3月11日金曜日

弥生十一日 宮城地震

たまたま仕事を休んでおとなしくしていたのだが、京都では全然分からなかった。

正確には、東北地方太平洋沖地震というらしいが、東日本大地震とかいうらしい。
M8.9というが、それよりも最大震度7といった方が、受けるダメージを直感的に理解しやすい。
最終的に死者が1000人を越えることはないと思うが、かなりの損害が出るだろう。

この地震そのものについてより、菅内閣の延命に役に立ちそうだなというのが最初の感想だった。
ここしばらく、ガタガタだったわけだが、これで野党も総辞職を狙いにくくなるだろう。
一ヶ月程度は休戦が成立しそうである。

2011年3月7日月曜日

弥生七日 研究の見通し

研究は、遅々として進んでいない……というか、遅々として進んでいる。
つまり予定よりかなり遅れながらも、少しずつ形が見えてくるようになってきた。

現在、両淮・長蘆・両浙について、行塩数の変動を調べてきた。四川・福建・河東については、作業が進んでいる。
以上の調査において、共通して乾隆年間ごろまでには、塩引数は変化しなくなってきている。つまり両広と同じ現象が見られたわけで、清代中期ごろになると、清は官塩の積極的供給を放棄し、人口増に伴う需要については私塩に任せるようになったとする僕の仮説は裏付けが取れたわけである。

次に来るのは動機、つまりなぜ放任したのかという点だが、以前にも書いたとおり、財務及び塩務官僚にその動機がなかったためだと考えている。
この仮説を証明することはできるだろうか。一応はチェックしてみるつもりではあるが、官僚たちの不作為を証明するような史料があるとは考えにくいので、状況からの推論に頼らざるを得ないだろう。

清代中期から激化したかどうかは分からないが、清代のほぼ全期にわたって、私塩問題が悩みの種となっている。特に、清代後期には私塩が激化する。広東の例に倣うなら、人口の半分を私塩で賄うようになるのだから、そりゃ激化もするだろう。
仮に清代中期ごろから私塩が激化したのだとすれば、塩務官僚にすれば、官塩の増加など現実的な解決だとは思えなかったのかもしれない。
私塩を官塩で吸収するという発想は、例えば明代に王守仁が発案したように、必ずしも珍しくはないのだが、清代はどうなのだろう。清代後期に陶ジュが行った両淮塩政改革に、それに近い案が出ていたかもしれない。確認が必要だ。
それはさておき、一般に私塩対策が叫ばれる場合、求められるのは官塩の欠額分をいかに埋めるかという点であって、つまり財政問題である。需要の拡大した必需品の供給という観点は存在しない。一口に私塩といっても、官塩による供給分に食い込み、塩税収入を削っている部分と、官塩による供給分以外の部分とがあり、塩務官僚たちが問題にしているのは、前者というわけである。
とはいえ、私塩そのものは上記のごとく二分できるようなものではない。よって、前者の解決のみを模索しても、私塩問題が片付くわけがないのだが、そのあたりについては、王守仁のそれを例外とすれば、どうも認識が乏しかったように思われる。

官僚にとって、私塩問題とは、官塩の販売分の一部が私塩に取って代わられ、塩税収入が減損してしまうというものだった。私塩そのものも問題だったわけだが、それ以上に税収減が問題だったのである。
人口増に伴い、官塩供給量を増やすといっても、現今の官塩ですら満足に供給できていない状態で、さらに供給量を増やすことが現実的に可能なのか。
不可能ではないはずである。王守仁は塩政を変えてそれを実施した。ただし、これは明代の話であり、かつ彼が当時行っていた軍事活動の予算を捻出するために行った非常の策という側面がある。
治安が安定していた清代中期に、強大な権力を持ち合わせているわけでもない官僚たちが、自分たちの塩税徴収ノルマというハードルを上げてまで挑むべき難問ではないと考えてもおかしくはあるまい。
結果、弥縫的に私塩対策を続け、清代後期に至るわけである。財政需要が増し、より大きな塩税収入が求められるわけであり、また拡大しつつある私塩問題も解決しなければならないわけだが、陶ジュの改革なども含め、抜本的なものとはならなかった。陶ジュについてはもう一度確認しておく必要があるとは思うが、塩政の基本的な部分は変わっていないはずである。

変わらなかったというよりは、変えられなかったというべきか。塩政に限った話ではないと思うが、この時期には制度が硬直し、それを変えるにはきわめて大きな努力が必要だった。陶ジュにせよ、嘉慶帝の全面的な信任を得ていながらも、かなりの苦労をしている。まして清末になると、張謇が行おうとした改革は、ほとんど実施が不可能だった。
莫大な利権をもたらす塩業には、相応の利益団体がついている。ひとたび塩制を変えるとなると、大きな富と権力を有する彼らの猛烈な抵抗に遭うし、また末端部分で塩政を担っている人々を失業させ、治安悪化につながることになる。現実問題として、塩政の抜本的な改革などということは不可能事だったのかもしれない。

要するに、塩制を変える動機があり、変える力もあった清代前期には、塩制は変えられている。
塩制を変える動機のなかった中期には、おそらく変える力はあったのだろうが、塩政は変えられなかった。
塩制を変える動機はあったのだが、塩制を変える力のなかった後期には、塩政は変えられなかった、というわけである。


財政的な硬直という意味では、いわゆる原額主義の問題もある。
「量出制入」という財政原則は、唐代に両税法を導入して以来のものである。
唐代においては、「量入制出」の原則に立つ均田制・租庸調制が実施されていた。これは厳格な人口調査に裏付けられて実施されていた。「入るを量る」ためには、人口数が分からないと話にならないためだ。
が、戦乱で国土が荒廃していた唐初はともかく、国内が安定し人口が増加してきた中期以降になると、口分田が足りなくなって貸与を行えなくなってしまい、均田制が崩壊してしまう。
そこで両税法を導入し、「量出制入」へと財政原則を切り替えたわけである。
以来、基本的な原則は清代にまで続く。教科書的には明代後期に一条鞭法の導入によって両税法は廃止されたことになっているが、その原則そのものは清代に至るまで現役である。

さて、「量入制出」の均田制・租庸調制が人口調査によって裏付けされていることは先に述べた。で、「量出制入」の両税制の場合、人口調査はさほど重要ではない。全く人口と無関係に歳入を決めるわけにはいかないが、例えば国初などある時期において把握した人口に基づき歳入を決めれば、あとは原則として人口は増えていくため、歳入を変化させなくても問題ない(実際にはそうでもないのだが、ここでは措く)。
よって、「量出制入」を原則としている税制の場合、どうしてもその徴税額は硬直化しがちになる。
現実には、人口が増大したことにより行政上の必要も増加し、それに伴い必要な支出も増える。(ついでにパーキンソンの法則により、役人の数は必要の有無にかかわらず常に増大する傾向にあることも、支出の増加を加速させているかもしれない)
いずれにせよ、その部分は何とかしなければならないわけだが、それは正額外の税収によって賄われる。附加税のたぐいだ。
こうした財政構造については、岩井茂樹の研究に依っているわけだが、塩税においても同じことが言える。つまり基本的に硬直性の高い正額と、必要に応じて設けられる正額外の附加税による租税体系を、塩政もやはり有しているわけである。

清代後期以降の両広塩政について行った研究からも、このことは裏付けられる。正額以外に百近い附加税が存在しており、清末にはほぼ正額と同程度の規模にまで拡大していたのだ。乾隆年間あたりまでは、ほぼ正額のみだったので、実質的に倍増したといってもいい。
財政需要の高まりに応じて、官塩に課する税額を大幅に増やしていったのである。


結論としては、

(1)塩政において私塩が存在していたことは、その制度の性質上避けられるものではなく、塩務官僚もこの点そのものは問題としていなかった。彼らが問題としてたのは、私塩による塩税収入の欠損である。
(2)塩税収入そのものの増額が必要な場合は、官塩供給量の増大ではなく、塩税税率を挙げることによって賄った。

となる。これは両広塩政について観察された結論と同じであり、つまり清代中国の全土においても共通した財政的傾向であるということを意味している。



まぁ、なんというか面白みのない結論である。以前、両広塩政について書いた論文と同じ内容なんだから当然なのだが。
一言で言ってしまえば、両広塩政について得られた結論は、清代中国全体についても同じとがいえるというものである。まぁ、この結論自体は無意味ではない。中国における塩政は地域差が極めて大きいのだが、その根底部分にある原則は共通しているということになるからだ。
また、私塩というものが、反体制的行為であるにもかかわらず、その根絶が不可能であるという観察と、財政需要の高まりが官塩の税率を高め、ひいては官塩の流通を困難とせしめるという観察から、財政需要が高まるにつれ、社会の混乱が避けられなくなり、ついには王朝を転覆せしめてしまうという仮説を導き出すことが可能である。
要するに、中華帝国というやつは、放っておくだけで滅亡するということである。
もちろんこの結論は誇張しすぎている。塩税収入は財政のすべてではないし、財政的事情だけで中華帝国が滅亡するわけでもない。第一、清について言えた結論が、明や宋についても通用するかは、個別に検証する必要がある。
だが、塩税収入が歳入の大きな割合を占めていたことは事実だ。米麦による正税収入についての検証も併せて行えば、より正確な理解が可能となる。また、国家が滅亡するのは、直接的には外寇や内乱によるが、その背景には国力の低下、すなわち財政的混乱が出てくることは言うまでもない。誇張はあっても虚偽ではないというあたりである。

とりあえず塩政に話を戻せば、清代だけでなく、明代と宋代についてもチェックする必要がある。元についてはどうだろう。やはりチェックする必要があろう。
その次に、財政の検討が必要になりそうである。正直、やりたくないし膨大な先行研究もあるので、それをチェックするだけで充分だとは思うが。

あとは、通貨の問題になるだろうか。
一条鞭法にそれほど重みがあるわけではないが、明代中期以降の財政的特徴は海外からの流入銀が強く影響を及ぼしている。それは具体的にはどのように影響を及ぼしているのか。
詳述できるほどの知識はないが、少なくとも明や清の末期に行われた大規模な増税は、銀建てかどうかはともかく貨幣経済でないと不可能である。明代中期までの米建て経済では無理だ。銀の大量移入が経済規模を拡大したのは事実だろうが、それによる悪い影響もまた同様に生じている……わけだが、まぁとりあえずは別の話だな。そこまでたどり着くのに何年かかるやら。

2011年3月6日日曜日

弥生六日 ラノベの定義

舞阪洸の『鋼鉄の白兎騎士団』を読んでいる。
今のところ、七巻まで読了。

なかなかに面白い。舞台は中世ヨーロッパ風の架空世界に、うら若き美少女ばかりの騎士団が繰り広げるあれやこれ、という掃いて捨てるほどあるようなものだが、それだけに細かい部分での話の持って行き方を上手くこなしている。

鉄の棍棒と変わらないような中世ヨーロッパの剣を振り回せるのかとかはご愛敬。美少女ばかりというのは、騎士団の守護神の女神様がそういう趣味だから仕方がない。ギリシアのアルテミスみたいなものだ。
ウソ設定が入るのは、ある程度は仕方がないことであり、それに対して如何にエクスキューズを付けるのかという方が大事である。
ポイントはそういう方向でのリアリティではなく、主人公の繰り出すちょとしたトリックやなんやらで苦境を一挙挽回という……やはりよくある展開なのだが、嫌味にならない程度にどんでん返しの部分を伏せて、表にするタイミングを計っているので、読んでいて不愉快にはならない。

なんかこう書いていると、いかにもありきたりな内容の小説を、ひねくれたオッサンが偉そうに講釈付けているようであり、またそれはかなりの部分で事実でもあるのだが、エンターテイメントの本分は読む人を楽しませるという点にあるというあたりからは一歩も外れていない。
女の子の入浴シーンばかりで、ほっとんど男は出てこないし、たまに出てきても悪役か、あるいはショタ王子様だったりするあたりが何ともあざといが、あざとかろうが正義は正義である。

このあたり、イギリスのアーサー王伝説や日本の平家物語とかの、昔から様々な人々に愛されてきたエンターテイメント文学とまさに一致する。リアリズムやオリジナリティよりも、楽しいのが正義なのである。


ライトノベルという語を耳にするようになって久しいが、未だその定義するものがよく分からない。
Wikipediaにあった2chラノベ板の「あなたがライトノベルと思うものがライトノベルです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません。」という定義が、一番しっくり来るとおもう。要するに、定義なんて無いということだ。
まぁ、あえて僕が「ライトノベルと思うもの」の定義を挙げるなら、上でも書いた「リアリズムやオリジナリティよりも、楽しいのが正義」な小説ということになろうか。



ところで、先ほど腹筋をしてみた。あまりの運動不足で人としてどうかとか思ったわけではなく、何となくやってみただけのことである。ちなみに運動不足云々は全くの事実である。

結果、30回ほどで音を上げた。
以前、かつて弓道部に所属しており、いまでも筋トレは欠かさないという職場の同僚と話をしていて、腹筋するときに留意すべき事柄として、背筋で身体を持ち上げないということが大事だと教わった。
つまるところ筋肉とは縮むか伸びるかのどちらかしか行えないわけであり、仰向けに寝転がった状態から起きあがるには、普通に考えれば腹筋を縮める事によって、上体を持ち上げる。
が、背筋を延ばすことによっても可能である。
普通は効率が悪いのでそんなことはしないのだが、腹筋が疲れてくると、無意識のうちにそうなるということである。腹筋するときには自分の腹筋に意識を集中しろと良く言われるが、背筋を使うのを防ぐためらしい。
というわけで、それに留意してみたところ、なるほどきつい。
数年前、50回ぐらいをワンセットとして腹筋をしていた時期があったが、今にして思えば、おそらく背筋の力を借りていたのだろう。
今回は30回ほどしかできなかったが、1日に3回ぐらいなんとか続けてみれば、しばらくすれば50回ぐらいは出来るようになるだろう。出来ればどうだというわけでもないが、気分転換にそういうのも良いという気もする。

2011年2月15日火曜日

如月十五日 ダブルフィードしがちな紙

数か月にわたり自炊を行ってきた結果、ある程度知恵がついてきた。
ダブルフィードを起こしやすい紙は、薄い紙、そしてざらついた紙など。天辺がぐしゃっとなっているのもダメ。
ちなみにこの条件をすべて満たすのは、中国の90年代以前の本。やはり安い紙を使っているだけのことはある。近年出版の本は、比較的良質の紙を使っていることが多いのだが。
こういう紙の本であっても、上手くいくときは上手くいくのだが、ダメなときにはどうにもならない。
仕方ないので、一枚ずつフィーダに送ることになる。これは面倒くさいし、また時間ももったいない。とはいえ、ほかに手段がないとあっては仕方もない。
中国の本でスキャニング対象としているのは、中華書局の『明史』と『宋史』である。これはいわゆる正史シリーズのやつだが、僕が持っているのはこの二種だけである。実際のところ、正史を見る必要がある場合、中央研究院を使う場合が多いので、持っていてもあまり役に立っていない。そのくせ、それぞれ28冊と40冊という大容量なので、場所だけは喰う。研究書や資料を裁断するのはあまり気が進まないのだが、こいつらは例外となったわけである。

他にも、コミックなんかも一部の奴は裁断してしまってもいいかもしれない。文庫本タイプの奴とか。
まぁ、まだまだ部屋は片付いていないので、今しばらくスキャニング生活が続く予定である。こればかりやっていると、他の仕事に手が回らないので、しばらくサボるというのもいいかもしれないが。

2011年2月4日金曜日

如月四日 方針転換

少し、研究が行き詰まっていたことから、方針を変えることにする。
とはいっても、それほど変化があるわけでもないが。

まず、これまで行ってきた作業は、各省の府県に対する行塩数を列記し、清代中期のそれと清代後期のそれとを並べ、塩引発給数の増減を比較することで、人口の増大に対する官塩供給量の対応がなされているか否かを明らかにするという方針に基づき、行われてきた。
だが、これを進めていると、うまく行く地域とうまく行かない地域とがあることが分かってきた。
というのも、大まかな部分では調べがつくのだが、細かい部分で表から漏れている地名があったり、よくわからない理由で数字が変わっていたりするわけである。
おそらくは、精査すればそれぞれの問題点についても解消できるのだろうが、中国全土に対してそこまで手間暇をかけていられない。
かといって、都合のいい部分だけを抜き出して、こちらの結論に結び付けることは、それがおそらくは正しい結論を示しているのであろうとしても、許されることではない。研究は過程が大事なのだ。

というわけで、別のアプローチを持ってきた。
今度は、各行塩地の塩引数の増減を調べることにした。以前、清代初期の両広塩政について行った際に用いた手法である。
これも、細かい部分は史料の不整合や漏れがあったり、あるいはこちらの誤解が生じたりして、なかなかすっぽりとはまらない。
行塩数が変化するたびに全体の塩引数についても列記してくれればありがたいのだが、そこまで親切ではないのである。
が、少なくとも清代初期に塩政を開始した時の塩引数(原額)と、それぞれの史料が編纂された当時の塩引数は、当然ながら記されている。史料によっては、ある特定の時期についても記載している。
そういう数値をマイルストーンとすれば、細かい部分で不整合があっても、大体のめどはつく。
それに、こちらが行うことは、数字合わせのパズルではなく、どの時期にどの程度の頻度で、そして分かるのであればどういう理由で行塩数が変化したのかということである。
今のところ、長蘆と両淮についてその作業を行ったが、どちらもかつて行った両広と同じ傾向を示している。つまり、雍正から乾隆初年ごろまではある程度の頻度で塩引は増減していたが、清代中期ごろからは、ほとんど塩引数は変化していないのである。
あと、両浙・福建・四川と、山東・雲南・河東あたりを行えば片がつく。後三者については、いま史料がないのだが、まぁあまり重要でもないので、後回しにしても良いだろう。

この作業をよすがとして、省単位の調査とを比較すれば、おそらく楽にできる。省についてはすべてを調べる必要もあるまい。

そうすれば、次の作業となる。なぜ清代中期に塩引数を人口の増加に対応させなかったのか。
推論としては、財務及び塩務官僚にその動機がなかったため、ということになるが、直接的な史料は存在するのだろうか。不在を証明するのは非常に難しいのだが、ある程度はチェックしておかねばなるまい。たぶん無いだろうけど。動機のないことをわざわざ文章化する人間はいないものなぁ。

2011年1月28日金曜日

睦月廿九日 ファンタジー世界の財政

D&Dのゲーム世界構築のため、ちょいと手すさびに経済規模などを仮設定してみた。

今遊んでいるキャンペーンは、クランスチャンという惑星のグランビルという大陸が舞台である。
サイズは約540万平方キロメートル。アメリカ、カナダ、中国などが1000万平方キロメートルなので、その半分強というところである。オーストラリアが770万平方キロメートルなので、それを一回り小さくしたものと考えればいいかも知れない。なお、大陸北辺はシルトと呼ばれる針葉樹林帯で、ここには入植はなされていない。ここを加えればもっと大きくなる。
このシルトには、部族や村単位でゴブリンやエルフ、人間などが住まっている。
ここ数年、寒波が強まっており、これまで住んでいた地域では暮らせなくなったシルティス(シルトの住人)たちが南方へ移住し、それが混乱を引き起こし……というのが、大きな流れである。

グランビル大陸の人口は、約3000万人と設定した。
これは、かつて大陸西方のヘイストートスという都市を、「大陸最大の100万都市」などと設定したことに始まっている。ちなみに僕が高校生頃のことだっただろうか。
もう少し知恵がついてから考えると、100万都市などというものは、古代ローマとか近世では江戸・北京・ロンドンとかがあるが、中世には多分存在しない。
実際、100万都市を食わせる方法を考えるだけでも気が遠くなってくる。かなりの食糧生産能力が必要となり、相応の後背地が必要となるが、ヘイストートスを握るスィクレストン王国は、そんな巨大国家ではない。アメリカでいえば、カリフォルニアぐらいか。もうちょいあるかな。
「食糧なんて、輸入すればいいじゃない」と言いたいところだが、食糧などという重い割に値段の安い商品は、この時期の商人にしてみれば、好んで扱いたいブツではない。中華帝国クラスの強力な中央集権国家なら別だが、たとえばヴェネツィアなどはなんとか食糧を確保しようと汲々としていたぐらいである。
結局、100万都市は誇大表現で、都市周辺の人口を含むことにした。それでも大した物ではあるのだが。

これを基準にすると、大体の目処がつく。
スィクレストン王国など、仲の悪い西方三国は合計200万×3。
大陸中央に位置し、最大国家のホルニッセ帝国は、八つの選帝卿領と皇帝直轄領、光教会直轄領、西方辺境領それぞれひとつを持つ。
選帝卿のうち、東側のふたつは10年ほど前の戦争で完全に荒廃してしまっている。
というわけで、西側六つと皇帝直轄領は150万人、東側ふたつと教会直轄領は50万、西方辺境領は100万人とし、合計1300万人とした。
大陸東側のリッジウェイ帝国は、土地の広い東側が500万、狭い西側が300万、合計800万とする。
その他、亜人間各種族など、少数民族が300万人。
総合計で3000万。

この数字が多いのか少ないのか、判断に困るが、社科実情データ図録という便利なサイトがあり、ここのヨーロッパの超長期人口推移というところから引っ張ってくると、十字軍のころのヨーロッパがおおむね4000万人ぐらいだったらしい。
ただし、この世界の設定は、地球でいえば近世に入る直前から15世紀初期ぐらいを想定しているので、ペスト大流行(14世紀半ば)前のヨーロッパの人口が7000万人だったことを考えると、半数以下である。ちと少なめというところか。
しかし、この世界は150年ほど前に世界規模の大戦争を演じており、その際に人口が激減していてもおかしくないので、まぁ良いとする。

次に所得水準を設定する。
まず、農民、兵士、徒弟、貧乏な聖職者などの貧乏人、つまり平均的な人間1世帯が1日の生活に必要なカネ(というかモノを含めた価値)は、この世界の通貨で100ラートとしている。これは銀貨1枚で、無理やり現代日本円に直すと、5000円となる。無理やりと断ったのは、前近代社会と近代社会とでは、食糧のような消費財と、家具や服のような耐久消費財、武器や奢侈品などで、ずいぶんと価値が異なるためである。
ちなみに1ラートの価値は、消費財なら50円、耐久消費財なら100円、武器や奢侈品は200円で換算している。
富農、店を持つ商人、正規の職人、将校、ある程度まともな教会の司祭などが中所得層となる。彼らが自分の身分を保つために必要とする消費を行うには、200ラートを必要とする。日本円に換算する場合は100円のレートを使い、20000円と考える。
今でもある程度そうだが、ある社会階層であることを社会的に認知させるには、一定の服装や装飾品、食事や住居を持つことが要請される。ひとは他人の外見を見て、その人物を判断するのである。
で、貴族や大商人、将軍(普通は貴族と同じ意味)、高位聖職者などは、400ラート以上を必要とする。日本円に換算する場合は200円のレートを用い、80000円と考える。もちろん、上級貴族や王族となるとまた別になるが、それは措く。

で、次は税率。これは直接税と間接税の問題、階層状に形成されている各領主の取り分、教会の取り分など、かなり複雑に構成されている。
ここでは単純に、直接税のみを考えるものとし、最上位(王や皇帝。ホルニッセ帝国のみは例外で選帝卿)の取り分が10%、教会が10%、所属領主が30%とする。この数値が地球の史実に照らし合わせて妥当なのか判断が付きかねるが、5公5民なら少ないような気もする。まぁ、ここに出てくる数字以外の収入や収奪があり、そこで帳尻を付けているものとしておこう。
さて、以上の設定によれば、ホルニッセ帝国のある農民が100ラート払う場合、10ラートは選帝卿、10ラートは教会、30ラートは領主の騎士に払う。
ここで、人口100人(20世帯)の小さな村を考えよう。
騎士は、20×30ラートを得ることになるが、彼もまた収入の30パーセントを上級領主たる男爵に支払わねばならない。つまり、600ラートのうち180ラートを支払い、420ラートが手元に残る計算になる。まぁ、高貴なる身分の人間に必要な支出は、かろうじて賄えそうである。

ちょと話が脇に逸れるが、これは騎士ひとりを捻出するのに必要な最低規模をも示している。D&Dのゲーム設定では、人口20~80(4~16世帯)を集落としているが、この規模では騎士を養えないわけである。騎士ひとりを養うには100人の人口が必要である。
この数字が妥当なのかどうか、判断する材料を持ち合わせていない。そもそも、その世界における軍制(騎士の軍事的位置づけ)によって変化が出るし、当然、それを支える経済力が問題となる。貧乏人100人よりは豊かな100人の方が、養える騎士数の多いことは自明である。
ま、そういうわけで、この数字はこの世界の便宜上のものとする。この世界は比較的裕福な設定にしてあるので、この程度なら養えるだろう。

さて話を戻そう。420ラートを得た騎士だが、彼は領民のように選帝卿や教会に対して収入の10%を支払う必要があるのだろうか。
騎士が教会や王(選帝卿)に納税する義務があるのかというと、ここは微妙だ。王権や教会権の大きさや歴史的経緯に左右される。とりあえず、グランビルの諸国家では、王権は今ひとつ強くなく(少なくともホルニッセ帝国の皇帝の財政上の権力は弱い)、また教会も中世ヨーロッパのキリスト教会ほどには強くないと考えておき、騎士には納税の義務はないものとしておく。このあたりは変えるかも知れないが。
なお、仮に10%を教会に支払うとした場合、この騎士の収入は420-30=390ラートとなり、騎士身分を維持できなくなることになる。税率を上げるか、騎士を養うに足る村の規模を大きくするしかないということになるわけだ。

騎士は、180ラートを男爵に支払う。
男爵領の平均人口はどうなるのだろうか。
これも舞台によって大きく変わるのだが、かつてゲームで用いた設定で、レジオス子爵領という領土を設定した。ここはかなり裕福な領地で、4つの連隊を有しているとしている。連隊長は男爵相当(軍制については長くなるので説明しない)なので、4人の男爵がいてもいい勘定になる(実際にはひとりしかいないのだが、それも措く)。
レジオス子爵領の人口は約20万人である。つまり、男爵領ひとつあたり5万人の領民がいる計算になる。騎士数に直せば500人である。まぁ、実際にそんなに騎士がいるとは思えないが。
仮にそのまま計算を進めれば、500人の騎士が180ラートを支払えば、9万ラートとなる。うち30%の2.7万ラートは子爵に送られる。
子爵は2.7万×4と行きたいが、実際には子爵は男爵領ひとつを直轄地に持っているので、2.7万×3+9万で17.1万ラートの収入となる。
子爵の次は伯爵だが、ホルニッセ帝国においては、選帝卿に組み込まれている伯爵は子爵とほぼ同じ扱い(格だけは上)なので、この上は選帝卿(侯爵と公爵の差はない。これについても措く)になる。
レジオス子爵の上位は、オラーニュ選帝卿である。オラーニュ選帝卿の下には、レジオス子爵領以外に3つの子爵・伯爵領と、直轄領がある。つまり5つの領土があるわけである。仮にこの基準を当てはめるとしたら、17.1万ラートの収入を得た子爵は、30%の5.1万ラートを選帝卿に納めるので、選帝卿の収入は、5.1万×4+17.1万=37.5万ラート。
この計算は、一日あたりの収入なので、歳入を計算してみると、1.4億ラート。日本円換算で70億円。
これに加え、選帝卿は民が直接払う10%税を得る。このモデルにおける人口は、20万×6で120万人となっているので、ひとり10ラート支払うわけだから、一日あたり1200万ラート。一年では43.2億ラートとなる。手下の諸侯や騎士からの揚がりなんて目じゃないね。
ちなみに日本円で4320億円。あまり意味のある比較ではないが、Wikipediaによると、2005年の大分県の人口がだいたい120万人である。で、大分県の予算規模は、5904億円(2009年度)
本当なら15世紀初頭頃のヨーロッパで、人口120万人ほどの王国の予算規模を知りたいのだが、まぁ無理だろう。

こんな感じでデータを作っていると、他にも色々と想像を巡らせられる。
例えば、オラーニュ選帝卿領の常備兵力は、120万人の人口に対して12000人の騎士として表せる。これはプファルツやピエモンテなど、他の選帝卿家でも同じ事。
が、オラーニュは歩兵を重視しており、騎士ひとりに対して歩兵が約10人程度就く。つまり、騎兵1.2万と歩兵12万人をさほど無理なく動員できると設定できるわけである。
プファルツは騎士を重視しており、騎士ひとりに対して、従騎士ひとり、歩兵4人が就く。つまり、騎兵2.4万と歩兵4.8万を動員できる。プファルツの方が強いのではないかと思うところだが(いや、実際帝国最強としているが)、プファルツの歩兵はオラーニュのそれほど高い戦闘力を持っていない。これは個人戦闘能力の問題ではなく、軍制上、プファルツは歩兵を重視していないためである。オラーニュは歩兵を重視しており、弓兵として使えるよう訓練しているため、総合戦闘力としては、さほどプファルツに劣るわけではないということになる。
で、ピエモンテは騎士ひとりに対して歩兵が2人ほどしか就かない。つまり騎兵1.2万と歩兵2.4万。しかもこの歩兵はプファルツのそれ同様、騎士の護衛となる従卒として使われるので、オラーニュのそれほどの戦闘能力を持たない。
それではダメなのでは? となるが、ピエモンテはその分のカネを平時は経済活動に投じ、有事には傭兵を雇用することで賄っている。傭兵の戦闘能力は高いので、これはこれで馬鹿にならない。他の諸侯も傭兵は使うのだが、ピエモンテとは異なり、補完的に用いている。

このようにして各諸侯を個性付けていくわけである。なかなか楽しいのだが、面倒くさいのもまた事実。
これに、教会組織をどうのこうのとか、間接税や商人たちの資本移動なんかを考え出すと、面白くはあるのだが時間がいくらあっても足りないので、とりあえずこんなところとしておく。