2011年3月6日日曜日

弥生六日 ラノベの定義

舞阪洸の『鋼鉄の白兎騎士団』を読んでいる。
今のところ、七巻まで読了。

なかなかに面白い。舞台は中世ヨーロッパ風の架空世界に、うら若き美少女ばかりの騎士団が繰り広げるあれやこれ、という掃いて捨てるほどあるようなものだが、それだけに細かい部分での話の持って行き方を上手くこなしている。

鉄の棍棒と変わらないような中世ヨーロッパの剣を振り回せるのかとかはご愛敬。美少女ばかりというのは、騎士団の守護神の女神様がそういう趣味だから仕方がない。ギリシアのアルテミスみたいなものだ。
ウソ設定が入るのは、ある程度は仕方がないことであり、それに対して如何にエクスキューズを付けるのかという方が大事である。
ポイントはそういう方向でのリアリティではなく、主人公の繰り出すちょとしたトリックやなんやらで苦境を一挙挽回という……やはりよくある展開なのだが、嫌味にならない程度にどんでん返しの部分を伏せて、表にするタイミングを計っているので、読んでいて不愉快にはならない。

なんかこう書いていると、いかにもありきたりな内容の小説を、ひねくれたオッサンが偉そうに講釈付けているようであり、またそれはかなりの部分で事実でもあるのだが、エンターテイメントの本分は読む人を楽しませるという点にあるというあたりからは一歩も外れていない。
女の子の入浴シーンばかりで、ほっとんど男は出てこないし、たまに出てきても悪役か、あるいはショタ王子様だったりするあたりが何ともあざといが、あざとかろうが正義は正義である。

このあたり、イギリスのアーサー王伝説や日本の平家物語とかの、昔から様々な人々に愛されてきたエンターテイメント文学とまさに一致する。リアリズムやオリジナリティよりも、楽しいのが正義なのである。


ライトノベルという語を耳にするようになって久しいが、未だその定義するものがよく分からない。
Wikipediaにあった2chラノベ板の「あなたがライトノベルと思うものがライトノベルです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません。」という定義が、一番しっくり来るとおもう。要するに、定義なんて無いということだ。
まぁ、あえて僕が「ライトノベルと思うもの」の定義を挙げるなら、上でも書いた「リアリズムやオリジナリティよりも、楽しいのが正義」な小説ということになろうか。



ところで、先ほど腹筋をしてみた。あまりの運動不足で人としてどうかとか思ったわけではなく、何となくやってみただけのことである。ちなみに運動不足云々は全くの事実である。

結果、30回ほどで音を上げた。
以前、かつて弓道部に所属しており、いまでも筋トレは欠かさないという職場の同僚と話をしていて、腹筋するときに留意すべき事柄として、背筋で身体を持ち上げないということが大事だと教わった。
つまるところ筋肉とは縮むか伸びるかのどちらかしか行えないわけであり、仰向けに寝転がった状態から起きあがるには、普通に考えれば腹筋を縮める事によって、上体を持ち上げる。
が、背筋を延ばすことによっても可能である。
普通は効率が悪いのでそんなことはしないのだが、腹筋が疲れてくると、無意識のうちにそうなるということである。腹筋するときには自分の腹筋に意識を集中しろと良く言われるが、背筋を使うのを防ぐためらしい。
というわけで、それに留意してみたところ、なるほどきつい。
数年前、50回ぐらいをワンセットとして腹筋をしていた時期があったが、今にして思えば、おそらく背筋の力を借りていたのだろう。
今回は30回ほどしかできなかったが、1日に3回ぐらいなんとか続けてみれば、しばらくすれば50回ぐらいは出来るようになるだろう。出来ればどうだというわけでもないが、気分転換にそういうのも良いという気もする。

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