2011年3月16日水曜日

弥生十六日 470ミリSv

マーフィーの法則などで言われていることだが、往々にして悪い予感ほど当たるものである。

福島第一原子力発電所の状況は、きわめて悪いようだ。
毎日新聞の記事によれば、15日10時22分、3号機付近で400ミリSvの放射線量を記録したとのことである。
つまり、炉の中はもっと酷いわけである。

作業員がどうしているのか心配だったのだが、読売新聞の記事からもかなり悪いことが窺える。

12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。

 もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。


ということで、本来、緊急時に一時的に浴びることのみが許される100ミリSvを連続して浴び、悪いときには400ミリSvに達するというわけである。
というわけで、同じく読売新聞の記事によると、厚労省はこの原発処理に限り、100ミリSvから250ミリSvに引き上げる処置を下した。記事によると、

放射線の専門家でつくる「国際放射線防護委員会」が示す国際基準では、緊急作業時の例外的な被曝線量の限度は約500ミリ・シーベルト。厚労省によると、250ミリ・シーベルト以下で健康被害が出たという明らかな知見はないといい、同省は「被曝した作業員の健康管理には万全を期す」としている。

とのことである。
こうした記事は、抑制的に報道を行っている大手メディアに依るものであり、実態はもっと酷いかも知れない。普通に考えれば、酷いと考えるべきだろう。
2chがソースなので信憑性に難はあるが、実際に作業している人の書き込みとされるものがまとめられている。IDから察するに、携帯から書き込まれているようだ。
47万マイクロSv(470ミリSv)の環境下、90人程度の作業員が、20人程度のグループに分かれ、8~10秒交替で弁の開放作業に従事している。つまりほぼ一分交替である。実質的にほとんど連続的に被曝している状態である。
弁は、どうやら海水の塩分のために動かない状態らしい。海水注入は、本来ならば一回限りの緊急避難的措置であり、今回のように連続して注入するという事態が想定外だったのだろう。

冷却系が麻痺している現状では、定期的に弁を開放して水素を逃さねばならない。
しかるに、弁の周辺はほぼ限界の放射線量となっている。
炉の状況が安定するまで、人間をすり潰して作業を進めるしかない(進めないと格納容器が破壊され、チェルノブイリが再現される)わけだが、どの程度の時間が必要なのか。
再び毎日新聞の記事によると、

住田健二・大阪大名誉教授(原子炉工学)は「とにかく水を入れ続けなければならない。あと1~2日も注水すれば、燃料棒からの発熱も減って、今よりも条件が改善される。これ以上の燃料の溶解を防ぎ高い放射線レベルの核分裂生成物も出なくなる。事業者が責任を持って取り組むべき問題だ」と話す。

とのことである。つまり、16日一杯はこの作業を続ける必要があるということだろうか。
それまで、水素を適切に放出できて大規模な爆発が起きず、冷却水を注入し続けてメルトダウンが進行しなければ、の話だが。


いまだにトラウマ気味の『がらくた屋まん太』の原発事故処理の話を彷彿とさせてきたなぁ。あそこまで酷くはないだろうけど。というか、あの話はチェルノブイリクラスのハザードだったから、災害の規模が違うか。
しかし、ここで悪い目を追加で幾つか出せば、チャイナ・シンドロームに至るかも知れないわけで。

他人事のように、頑張ってくれ、としか言いようがないのがもどかしい。
これが若狭湾あたりの話だとしたら、京都までだいたい100Km。福島第一から仙台ぐらいの距離である。
僕が仮に仙台に住んでいるとした場合、こんな他人事みたいにしていられただろうか? いやまぁ、仙台に住んでいたら、まず地震の方で手一杯になっていただろうが。

2011年3月13日日曜日

弥生十三日 福島第一原子力発電所

地震直後の段階では、「死者が1000人を越えることはないと思う」と書いたが、どうも二桁ほど間違えたらしい。確かこの時点では死者がまだ百人ちょっと程度確認されたという状況だったと思う。
阪神の時にも、時間の経過と共に死傷者数が跳ね上がっていったことを思い返せば、そんな程度で済むわけはないというべきか。
正直なところ、関東や阪神の震災の時と異なり、大都市圏以外の地域で起きる地震で、これほど人が死ぬとは思わなかった。が、二万人以上の死者を出した明治三陸地震の時のように、この地方では津波による死者が多発しやすい。都市型の地震では建物が火災を起こしたり崩れたりすることで死傷者が出るが、沿岸部の場合は津波によって丸ごとやられてしまうという訳であろう。

さて、どの程度の人的被害が出るのだろうか。ちょっと想像が付かない。


昨日から今日にかけては、福島第一原発の状況がどうなるのかが関心の集まるところだった。
現状から見ている限り、国際原子力事象評価尺度でいうLv6、つまりスリーマイル島事故より酷いものになるのではなかろうか。
廃炉覚悟で海水を注入することで、格納容器外への被害を出さないようにする(格納容器が壊れるとLv7──チェルノブイリクラスとなる)わけだが、おそらく随所にひび割れなどが出来ているのだろうが、冷却水の水位を維持できないでいる。
現在出ている放射性物質は、冷却水が不足し、一次冷却水から生じた水蒸気が気密を破って出たためのものだ。気密を破ったのは、格納容器損壊を防ぐための窮余の一策らしいので、これはある意味覚悟の上でのものであり、作業側のコントロール範囲である。つまり、あまり心配は要らない。

僕が心配している問題はみっつある。
ひとつは、コントロールできなくなった場合。冷却水の供給が不可能となり、メルトダウンが起き、格納容器が壊れてチェルノブイリの地獄が再現された場合である。
言うまでもなく、最大の努力を払って食い止めようとしているのはこちらだ。そして、おそらくそれは可能だろう。海水の供給という最後の手段を打てる限り、冷却状態はかろうじてではあっても食い止められれる。

で、もうひとつは、上の過程において、どの程度の被曝が生じるかという点である。これはさらに二つに分けられる。ひとつは、圧力を逃がすために追加の蒸気放出が行われる事によるもの。主な被曝者は民間人となる。人体に対する放射線の影響は、「一般公衆が一年間にさらされてよい放射線の限度」として1ミリSv。スリーマイル島事故の時には、周辺住民の被曝量は1ミリSv以下だったらしいから、逆に言えばスリーマイル島事故程度の被害であれば、問題ないと考えて良いだろう。
で、もう一方は作業者の被曝。毎日新聞の記事によると、13日13時52分には1557.5マイクロSv(つまり1.5575ミリSv)の線量を確認しているそうな。どこで計測されたものか記事には載っていなかったが、おそらく容器のすぐ外あたりだろうか。これはすぐに下がったので、一時的に水蒸気が漏れたかどうかしたためだろう。
先ほどの被曝許容量の表によると、放射線業務従事者が一回の作業で曝されて良い線量の上限は100ミリSv(ちなみにX線CTによる被曝量は一回7~20ミリSv)。一年間なら50ミリ、三ヶ月なら5ミリ程度となるが、長期間の作業であれば交代も効くのであまり問題はない。
もっとも、一日あたりを考えると、三ヶ月許容量から単純に換算すると56マイクロSv、年間許容量だった場合でも137マイクロSvとなり、その意味では宜しくない(言うまでもないが、作業員が交替をしない場合であり、現実的にはあまり意味がない計算である)。
詰まるところ、現状程度の被曝であれば、長期間続くことが無く、適切に交替出来るのであれば問題ないといえる。もちろん、これ以上原子炉の状況が悪化しないという前提だが。
ただ、ここに至るまでに、無理な作業をしていないかどうかが気になる。していないと祈りたいところだが。

みっつめは、事後の問題である。果たして、原発に対する国民の意識はどうなるのだろうか。地震以前の時点で、すでに好感情は抱けていないという状況だった。スリーマイルの時には、この事故のためにアメリカにおける原発建設は中断を余儀なくされた。
日本の場合、東海村の事故などがあったが、あれはあくまで作業員の不手際によるものである。ヒューマンエラーに依らない今回のような災害は、ある意味防ぎようがない。こんな地震は百年に一度だの千年に一度だのというセリフは、原発が置かれた地域の住民にとっては何の慰めにもならないだろう。
電力は必要だが、原発は置けない。今回の災害で福島第一原発は幾つかの炉が廃炉となるが、その跡地に新設できるのだろうか?
よほど上手くやらないと、後始末の方が大変なのでは無かろうかと思うわけである。

2011年3月11日金曜日

弥生十一日 宮城地震

たまたま仕事を休んでおとなしくしていたのだが、京都では全然分からなかった。

正確には、東北地方太平洋沖地震というらしいが、東日本大地震とかいうらしい。
M8.9というが、それよりも最大震度7といった方が、受けるダメージを直感的に理解しやすい。
最終的に死者が1000人を越えることはないと思うが、かなりの損害が出るだろう。

この地震そのものについてより、菅内閣の延命に役に立ちそうだなというのが最初の感想だった。
ここしばらく、ガタガタだったわけだが、これで野党も総辞職を狙いにくくなるだろう。
一ヶ月程度は休戦が成立しそうである。

2011年3月7日月曜日

弥生七日 研究の見通し

研究は、遅々として進んでいない……というか、遅々として進んでいる。
つまり予定よりかなり遅れながらも、少しずつ形が見えてくるようになってきた。

現在、両淮・長蘆・両浙について、行塩数の変動を調べてきた。四川・福建・河東については、作業が進んでいる。
以上の調査において、共通して乾隆年間ごろまでには、塩引数は変化しなくなってきている。つまり両広と同じ現象が見られたわけで、清代中期ごろになると、清は官塩の積極的供給を放棄し、人口増に伴う需要については私塩に任せるようになったとする僕の仮説は裏付けが取れたわけである。

次に来るのは動機、つまりなぜ放任したのかという点だが、以前にも書いたとおり、財務及び塩務官僚にその動機がなかったためだと考えている。
この仮説を証明することはできるだろうか。一応はチェックしてみるつもりではあるが、官僚たちの不作為を証明するような史料があるとは考えにくいので、状況からの推論に頼らざるを得ないだろう。

清代中期から激化したかどうかは分からないが、清代のほぼ全期にわたって、私塩問題が悩みの種となっている。特に、清代後期には私塩が激化する。広東の例に倣うなら、人口の半分を私塩で賄うようになるのだから、そりゃ激化もするだろう。
仮に清代中期ごろから私塩が激化したのだとすれば、塩務官僚にすれば、官塩の増加など現実的な解決だとは思えなかったのかもしれない。
私塩を官塩で吸収するという発想は、例えば明代に王守仁が発案したように、必ずしも珍しくはないのだが、清代はどうなのだろう。清代後期に陶ジュが行った両淮塩政改革に、それに近い案が出ていたかもしれない。確認が必要だ。
それはさておき、一般に私塩対策が叫ばれる場合、求められるのは官塩の欠額分をいかに埋めるかという点であって、つまり財政問題である。需要の拡大した必需品の供給という観点は存在しない。一口に私塩といっても、官塩による供給分に食い込み、塩税収入を削っている部分と、官塩による供給分以外の部分とがあり、塩務官僚たちが問題にしているのは、前者というわけである。
とはいえ、私塩そのものは上記のごとく二分できるようなものではない。よって、前者の解決のみを模索しても、私塩問題が片付くわけがないのだが、そのあたりについては、王守仁のそれを例外とすれば、どうも認識が乏しかったように思われる。

官僚にとって、私塩問題とは、官塩の販売分の一部が私塩に取って代わられ、塩税収入が減損してしまうというものだった。私塩そのものも問題だったわけだが、それ以上に税収減が問題だったのである。
人口増に伴い、官塩供給量を増やすといっても、現今の官塩ですら満足に供給できていない状態で、さらに供給量を増やすことが現実的に可能なのか。
不可能ではないはずである。王守仁は塩政を変えてそれを実施した。ただし、これは明代の話であり、かつ彼が当時行っていた軍事活動の予算を捻出するために行った非常の策という側面がある。
治安が安定していた清代中期に、強大な権力を持ち合わせているわけでもない官僚たちが、自分たちの塩税徴収ノルマというハードルを上げてまで挑むべき難問ではないと考えてもおかしくはあるまい。
結果、弥縫的に私塩対策を続け、清代後期に至るわけである。財政需要が増し、より大きな塩税収入が求められるわけであり、また拡大しつつある私塩問題も解決しなければならないわけだが、陶ジュの改革なども含め、抜本的なものとはならなかった。陶ジュについてはもう一度確認しておく必要があるとは思うが、塩政の基本的な部分は変わっていないはずである。

変わらなかったというよりは、変えられなかったというべきか。塩政に限った話ではないと思うが、この時期には制度が硬直し、それを変えるにはきわめて大きな努力が必要だった。陶ジュにせよ、嘉慶帝の全面的な信任を得ていながらも、かなりの苦労をしている。まして清末になると、張謇が行おうとした改革は、ほとんど実施が不可能だった。
莫大な利権をもたらす塩業には、相応の利益団体がついている。ひとたび塩制を変えるとなると、大きな富と権力を有する彼らの猛烈な抵抗に遭うし、また末端部分で塩政を担っている人々を失業させ、治安悪化につながることになる。現実問題として、塩政の抜本的な改革などということは不可能事だったのかもしれない。

要するに、塩制を変える動機があり、変える力もあった清代前期には、塩制は変えられている。
塩制を変える動機のなかった中期には、おそらく変える力はあったのだろうが、塩政は変えられなかった。
塩制を変える動機はあったのだが、塩制を変える力のなかった後期には、塩政は変えられなかった、というわけである。


財政的な硬直という意味では、いわゆる原額主義の問題もある。
「量出制入」という財政原則は、唐代に両税法を導入して以来のものである。
唐代においては、「量入制出」の原則に立つ均田制・租庸調制が実施されていた。これは厳格な人口調査に裏付けられて実施されていた。「入るを量る」ためには、人口数が分からないと話にならないためだ。
が、戦乱で国土が荒廃していた唐初はともかく、国内が安定し人口が増加してきた中期以降になると、口分田が足りなくなって貸与を行えなくなってしまい、均田制が崩壊してしまう。
そこで両税法を導入し、「量出制入」へと財政原則を切り替えたわけである。
以来、基本的な原則は清代にまで続く。教科書的には明代後期に一条鞭法の導入によって両税法は廃止されたことになっているが、その原則そのものは清代に至るまで現役である。

さて、「量入制出」の均田制・租庸調制が人口調査によって裏付けされていることは先に述べた。で、「量出制入」の両税制の場合、人口調査はさほど重要ではない。全く人口と無関係に歳入を決めるわけにはいかないが、例えば国初などある時期において把握した人口に基づき歳入を決めれば、あとは原則として人口は増えていくため、歳入を変化させなくても問題ない(実際にはそうでもないのだが、ここでは措く)。
よって、「量出制入」を原則としている税制の場合、どうしてもその徴税額は硬直化しがちになる。
現実には、人口が増大したことにより行政上の必要も増加し、それに伴い必要な支出も増える。(ついでにパーキンソンの法則により、役人の数は必要の有無にかかわらず常に増大する傾向にあることも、支出の増加を加速させているかもしれない)
いずれにせよ、その部分は何とかしなければならないわけだが、それは正額外の税収によって賄われる。附加税のたぐいだ。
こうした財政構造については、岩井茂樹の研究に依っているわけだが、塩税においても同じことが言える。つまり基本的に硬直性の高い正額と、必要に応じて設けられる正額外の附加税による租税体系を、塩政もやはり有しているわけである。

清代後期以降の両広塩政について行った研究からも、このことは裏付けられる。正額以外に百近い附加税が存在しており、清末にはほぼ正額と同程度の規模にまで拡大していたのだ。乾隆年間あたりまでは、ほぼ正額のみだったので、実質的に倍増したといってもいい。
財政需要の高まりに応じて、官塩に課する税額を大幅に増やしていったのである。


結論としては、

(1)塩政において私塩が存在していたことは、その制度の性質上避けられるものではなく、塩務官僚もこの点そのものは問題としていなかった。彼らが問題としてたのは、私塩による塩税収入の欠損である。
(2)塩税収入そのものの増額が必要な場合は、官塩供給量の増大ではなく、塩税税率を挙げることによって賄った。

となる。これは両広塩政について観察された結論と同じであり、つまり清代中国の全土においても共通した財政的傾向であるということを意味している。



まぁ、なんというか面白みのない結論である。以前、両広塩政について書いた論文と同じ内容なんだから当然なのだが。
一言で言ってしまえば、両広塩政について得られた結論は、清代中国全体についても同じとがいえるというものである。まぁ、この結論自体は無意味ではない。中国における塩政は地域差が極めて大きいのだが、その根底部分にある原則は共通しているということになるからだ。
また、私塩というものが、反体制的行為であるにもかかわらず、その根絶が不可能であるという観察と、財政需要の高まりが官塩の税率を高め、ひいては官塩の流通を困難とせしめるという観察から、財政需要が高まるにつれ、社会の混乱が避けられなくなり、ついには王朝を転覆せしめてしまうという仮説を導き出すことが可能である。
要するに、中華帝国というやつは、放っておくだけで滅亡するということである。
もちろんこの結論は誇張しすぎている。塩税収入は財政のすべてではないし、財政的事情だけで中華帝国が滅亡するわけでもない。第一、清について言えた結論が、明や宋についても通用するかは、個別に検証する必要がある。
だが、塩税収入が歳入の大きな割合を占めていたことは事実だ。米麦による正税収入についての検証も併せて行えば、より正確な理解が可能となる。また、国家が滅亡するのは、直接的には外寇や内乱によるが、その背景には国力の低下、すなわち財政的混乱が出てくることは言うまでもない。誇張はあっても虚偽ではないというあたりである。

とりあえず塩政に話を戻せば、清代だけでなく、明代と宋代についてもチェックする必要がある。元についてはどうだろう。やはりチェックする必要があろう。
その次に、財政の検討が必要になりそうである。正直、やりたくないし膨大な先行研究もあるので、それをチェックするだけで充分だとは思うが。

あとは、通貨の問題になるだろうか。
一条鞭法にそれほど重みがあるわけではないが、明代中期以降の財政的特徴は海外からの流入銀が強く影響を及ぼしている。それは具体的にはどのように影響を及ぼしているのか。
詳述できるほどの知識はないが、少なくとも明や清の末期に行われた大規模な増税は、銀建てかどうかはともかく貨幣経済でないと不可能である。明代中期までの米建て経済では無理だ。銀の大量移入が経済規模を拡大したのは事実だろうが、それによる悪い影響もまた同様に生じている……わけだが、まぁとりあえずは別の話だな。そこまでたどり着くのに何年かかるやら。

2011年3月6日日曜日

弥生六日 ラノベの定義

舞阪洸の『鋼鉄の白兎騎士団』を読んでいる。
今のところ、七巻まで読了。

なかなかに面白い。舞台は中世ヨーロッパ風の架空世界に、うら若き美少女ばかりの騎士団が繰り広げるあれやこれ、という掃いて捨てるほどあるようなものだが、それだけに細かい部分での話の持って行き方を上手くこなしている。

鉄の棍棒と変わらないような中世ヨーロッパの剣を振り回せるのかとかはご愛敬。美少女ばかりというのは、騎士団の守護神の女神様がそういう趣味だから仕方がない。ギリシアのアルテミスみたいなものだ。
ウソ設定が入るのは、ある程度は仕方がないことであり、それに対して如何にエクスキューズを付けるのかという方が大事である。
ポイントはそういう方向でのリアリティではなく、主人公の繰り出すちょとしたトリックやなんやらで苦境を一挙挽回という……やはりよくある展開なのだが、嫌味にならない程度にどんでん返しの部分を伏せて、表にするタイミングを計っているので、読んでいて不愉快にはならない。

なんかこう書いていると、いかにもありきたりな内容の小説を、ひねくれたオッサンが偉そうに講釈付けているようであり、またそれはかなりの部分で事実でもあるのだが、エンターテイメントの本分は読む人を楽しませるという点にあるというあたりからは一歩も外れていない。
女の子の入浴シーンばかりで、ほっとんど男は出てこないし、たまに出てきても悪役か、あるいはショタ王子様だったりするあたりが何ともあざといが、あざとかろうが正義は正義である。

このあたり、イギリスのアーサー王伝説や日本の平家物語とかの、昔から様々な人々に愛されてきたエンターテイメント文学とまさに一致する。リアリズムやオリジナリティよりも、楽しいのが正義なのである。


ライトノベルという語を耳にするようになって久しいが、未だその定義するものがよく分からない。
Wikipediaにあった2chラノベ板の「あなたがライトノベルと思うものがライトノベルです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません。」という定義が、一番しっくり来るとおもう。要するに、定義なんて無いということだ。
まぁ、あえて僕が「ライトノベルと思うもの」の定義を挙げるなら、上でも書いた「リアリズムやオリジナリティよりも、楽しいのが正義」な小説ということになろうか。



ところで、先ほど腹筋をしてみた。あまりの運動不足で人としてどうかとか思ったわけではなく、何となくやってみただけのことである。ちなみに運動不足云々は全くの事実である。

結果、30回ほどで音を上げた。
以前、かつて弓道部に所属しており、いまでも筋トレは欠かさないという職場の同僚と話をしていて、腹筋するときに留意すべき事柄として、背筋で身体を持ち上げないということが大事だと教わった。
つまるところ筋肉とは縮むか伸びるかのどちらかしか行えないわけであり、仰向けに寝転がった状態から起きあがるには、普通に考えれば腹筋を縮める事によって、上体を持ち上げる。
が、背筋を延ばすことによっても可能である。
普通は効率が悪いのでそんなことはしないのだが、腹筋が疲れてくると、無意識のうちにそうなるということである。腹筋するときには自分の腹筋に意識を集中しろと良く言われるが、背筋を使うのを防ぐためらしい。
というわけで、それに留意してみたところ、なるほどきつい。
数年前、50回ぐらいをワンセットとして腹筋をしていた時期があったが、今にして思えば、おそらく背筋の力を借りていたのだろう。
今回は30回ほどしかできなかったが、1日に3回ぐらいなんとか続けてみれば、しばらくすれば50回ぐらいは出来るようになるだろう。出来ればどうだというわけでもないが、気分転換にそういうのも良いという気もする。